砂辺鳴海は蟲工場で思考する

粟国翼

不思議職安

不思議職安

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 『社会に出る』って事は、準備の間に合わなかったヤツにとってパンツ一丁で雪山登山するみたいなもんだ。


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 そこには、まるで死んだ魚のような目をした人々がひしめき合い番号が呼ばれるたび一人また一人席を立ち案内に沿って流れていく。


 築50年以上は経つであろうそこは、仕事を求める人々に仕事を紹介する公的機関。


 職業安定所:通称ハローワークと呼ばれる場所だ。


 現在はこの不況の影響でフロアには失業者が溢れ、古びた検索用パソコンを使うにも40分待ち。



 ___まさに、負け犬の群れだな___



 生気の無い人々の群れを、死んだ魚の様な目で見つめながら鳴海は思った。


 と、同時に自分もついにこの群れの仲間入りを果たしたと思うと果てしなく落ち込んだ。



 「行くかな……」



 独り言を言うと、気を取り直し卒業証明書の入った容器を握り締め鳴海は受付カウンターへと向った。



 ___なんかすげー見られてる___



 受付カウンターに続く列に並んだまでは良かったのだが、物凄く周囲からの視線を感じる。


 確かに失業者の巣窟の中にブレザーの制服、胸にはコサージュ右手には表彰状とか入れるアレを持ち、肩には紙吹雪の残骸をつけたチビが並んでいたらそれは目立つかもしれないと鳴海はため息をついた。



 「次の方どうぞ!」

 


 ぼんやりしている間に、鳴海に順番が回ってくる。


 総合受け付けと書かれた窓口に進み出ると、ばっちりメイクをした受付のお姉さんが少し戸惑ったように鳴海を見て明らかに驚き眉を寄せた。



 「今日はどういった御用なのかな?」


 訝しげに鳴海を見たお姉さんは、いきなりタメ口で話かけてくる。

 


 「は? 仕事を探しにきたんですけど?」



 ___それ以外に此処に何しにくるんだ?___



 と、鳴海はイラついたがここは平常心が大切と言葉を続ける。



 「え、いや、始めて来たのでどうすれば良いのかと思いまして……」



 鳴海の言葉にお姉さんはますます困った顔をして、『ちょっと待ってね』と言うと内線電話をかけ始めた。



 窓口横のベンチで待つように言われて小一時間。



 案内されたのは、建物の一番奥のトイレのそばにある窓口だ。


 整理番号を受けとってすぐに呼ばれたので待たされることは無かったが、人混みを掻き分け窓口に向わなければならなかったので鳴海はうんざりだとため息をつく。


 窓口56番にたどり着くと、鳴海はキシギシ軋むパイプイスを引いて席に着いた。 

 「し、失礼します」


 席に着くなりむせ返るようなどぎつい香水のような匂いが鼻を突き、鳴海は鼻での呼吸を躊躇する。


 トイレのそばだから芳香剤かと思ったが、それにしてはきつ過ぎる。


 目線を上げると、カウンターを隔てて向かい合わせに匂いの主はいた。


 『ありえねぇ……』第一印象はこの一言に尽きる。


 目の前には60代の中年と言うにはの決して若くない女性がいた。


 ……それだけなら別に構わないのだが、何故だろう? この年齢の女性はこぞって髪の毛を紫に染めなくては気がすまないらしい。


 全国区かどうかは分からないが、この地域の特定のご高齢の女性は何故か白髪を紫に染める輩が多かった。


 そして目の前の女性は、鮮やかな耳に掛かる程度の紫の癖毛をなびかせまるでパテでシワを埋めるようにファンデーションを塗り固めた顔にピンクの口紅を引き、縁なし眼鏡からマスカラの定義を履き違えた目でこちらを見つめ、今時ヤンキーでもしないような糸のように細い眉をぴくぴくと動かし、身の程知らずにも少し小さめの薄桃色のスーツにピチピチに体を押し込み胸を窮屈そうに自己主張させる。


 ___一体なんのつもりなんだろう……見ていて痛々しい___


 鳴海は、嘲笑を通り越し目の前の老女に憐れみすら感じもう顔を直視できないと胸元のプレートに視線を逸らす。


 胸元のネームプレートには『ハローワークカウンセラー:金城町子(きんじょうまちこ)』と書かれていた。


 

 「今日は何の御用ぉかしら?」

 


 金城町子は、鳴海を見てにっこり微笑むと猫なで声でまるで小さな子供にでも話しかけいるように言った。


 ___馬鹿にされたようでむかつく……いや! このくそババァ絶対に自分を馬鹿にしている!___


 煮えくり返る腸を気力で抑えつけ、にっこりと微笑みながら鳴海は答える。



 「私は、ここに仕事を探しに来たのですが……こちらの窓口を案内されました」



 金城町子は少し困った顔をしたようだか、黙ったままさらに唇を吊り上げると同時に頬にひびが入る!

 

 深い皺の地滑りに、リキッドファンデーションの下地にも限界が来たらしい。


 「それで?」


 「えっと……今日は高校の卒業式がありまして、その足でこちらに参りました。 あ……えと、私の学校には進学相談はあっても就職案内は無くって……その……すぐにでも仕事を見つけないと生活に困ってしまうんです」


 なおも不気味に微笑む金城町子に臆したのか、鳴海は戸惑ったように言葉を続けた。


 「なんで就職相談が無かったと言うと、私の通ってた高校は結構有名な私立の進学校で進学以外のサポート体制が無くって、しかも在学中に就職活動の許可がおりなくってそれで卒業式が終わった今日しか行動に移せなかったんです。 一応、卒業証書もって来ました」


 鳴海は、筒の中から卒業証書を取り出しカウンターに置いた。


 金城町子は、それを首から下げた分厚い老眼鏡でちらりと見たがすぐに一のほうに視線を移すと。


 大きくため息をつき、先ほどとは違ったぴしゃりとした口調で言った。



 「残念だけど、あなたに仕事を紹介することはできないわ」




◆◆◆





 鳴海は、ハローワークの中庭にあるベンチに腰掛けて自分の不運と間抜けさを呪った。


 凄まじく落ち込む鳴海の頬に先ほどから吹きすさぶ風が当たって痛い。


 日中とはいえ、二月の風は冷たいのだから仕方ない。


 そう、今は二月なのだ!


 通っていた私立尚甲学園高等学校は県内でも屈指の進学校で99.9%の生徒は進学する。


 海外の大学進学率も高いその為、公立高校より一ヶ月早く卒業式を行い残り一ヶ月間を進学休みとし海外への渡航準備をしたり不足単位を取得したりなど忙しく送るのだが、あくまで卒業式を早く行っているだけであって実質卒業となるのは3月31日なのだ。


 つまり現在鳴海はまだ高校生であり、基本ハローワークの利用はできるが進路指導部の先生とよく話をするようにという事なのだそうだ。


 先ほど、体育館で学園長より賜った卒業証書を見れば日付は3月31日となっている。



 ___恥ずかしすぎる……死にそうだ!!___



 確かに無知だったとは言え、社会進出初の大失態に凹まずにはいられなかった。


 情けなさに目頭が熱くなる中、今までの人生が走馬灯のように頭を駆け巡る。



 思えば、まるで熊手で水を掻くような人生だった。


 18年前、大学二年生の父:砂辺春海とアルバイターの母:森本せつなの間に鳴海は生を受けた。


 そのころ流行の『出来ちゃった婚』をした二人は、父の実家に転がり込み父は大学へ母は嫁姑バトルをしながら鳴海は2歳まで父方の実家で暮らした。


 祖母の口癖は『子供さえ出来なければ……』だった。


 父は無事銀行に就職出来たが生活費を入れることは無く『自分で稼いだ金は自分の物だ、お前が生まれたせいで俺は好きなことが出来ない』と破天荒なジャイアニズムが父の口癖で夢はミュージシャンに成る事で母を口説いたのも合コンでのカラオケらしい。


 母は保育士で仕事一筋の人、自分の子など放置して何よりも仕事を優先した。


 父が生活費を入れないので仕方ないと思っていたのだがそうじゃないようだと悟ったのは7歳の頃。


 高熱と吐き気……いや吐いてた自分を母は出勤がてら小学校に放置した。


 『今日は受け持ちクラスの子の誕生会で、私司会なの!さっさと学校行って頂戴!!』と言ったのを今でもよく覚えている。 



 ___母よ、貴女の子供も本日誕生日なんだが?___



と、子供心に悪態をついたものだ。



 丁度その頃、妹が生まれた。


 海里(かいり)と名づけられた妹を、酔っ払っては暴力を振るう父が帰ってくると抱いて逃げるのが鳴海の務めとなった。


 続いて弟の一海(かずみ)、末妹の優海(ゆうみ)が生まれると、役割分担をうまく組み効率よく避難したものだ。


 こんな環境に育ったせいだろうか?


 物の見方が同級生とは違ってしまった為、かなり変わり物とみなされ鳴海には友達が少なく年の離れた弟妹達が唯一のよりどころになっていた。  


 月日が流れるにつれ父の暴力、罵倒は激しさを増した。


 そして中学2年の頃、目つきが悪いと言う理由で髪をつかまれ部屋中引きずり回される小2の海里を救うことが出来ず、恐怖に怯え立ち尽くす事しか出来なかった自分を責めた。



 ___力が欲しい! こいつを倒せるほどの力が!___




 鳴海は、足が遅いとの理由で戦力外通告を受けていたソフトボール部を辞め柔道部に入部した。


 父は、思ったより喧嘩が弱い部類だったらしく2ヶ月ほどで楽々力は上回ったがいざ殺そうと思うと弟妹達の将来が心配になり実行には移さなかったのだ。


 それは、犯罪者加害者の家族の苦しみは想像を絶すると本で読んだことがあったからでそれが親殺しならもっと酷いだろうそう思いギリギリの所で踏みとどまった結果だ。


 まぁ、とは言ってもそれは只単に自分が人殺しになるのが嫌だったからかも知れない。


 その後、鳴海は体育特待で私立尚甲学園高等学校・体育科に進学した。


 柔道が好きでは無かったが、少々才能があったらしい。


 鳴海の父は高校の学費を払わないと言っていたので、この話が来たとき飛びついたのだ。



 _____学費払わねぇだ? 中卒は厳しいだろ! くそ親父が!!___



 特待なので学費は大幅免除されるが、実家からは通えないので寮に入らねばなくなりその費用は母方の祖母に援助をお願いした。


 家に兄弟を置いていくのは忍びなかったが家を出るまでの間、出来る限りの対処法を指導した。


 二年11ヵ月後。


 祖母が倒れ寮費の送金が無くなった。


 柔道部の規則として部員はみな寮に入らねばならない、鳴海はあっさりと部活をクビになった。


 まあ、高校をクビにならなかっただけましだったのだろう。

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