パンダ・ジャンプ

丘村ナオ

パンダ・ジャンプ

 ぼくはイスだ。たぶんパンダの顔をしている。ぼく自身は見たことがないのだけれど、小さい子がみんなぼくを指さして「パンダ、パンダ」というので、たぶんパンダというやつなのだろう。

 パンダってかっこいい? かわいい? もしかっこいいんだったら、ちょっとうれしいな。


 ぼくがこの家に来たのは一人目のルミちゃんが座れるようになってからだ。低いテーブルにご飯が運ばれると、ぼくの出番。おいしそうな料理が目の高さに来てルミちゃんが座り、ぼくの視界はルミちゃんの背中で占められる。

 それでいいんだ、それが仕事だから。


 ルミちゃんの成長は早い。最初は小さなお尻がもぞもぞしていたのが、だんだん大きく重たくなってきて、ぼくの上でどすんどすんと跳びはねるまでになった。

 その頃には二人目のミカちゃんが家族の一員になって、ぼくはぼんやりと「ああ、将来はミカちゃんが座るんだろうな」と思った。


 予感は半分当たって、半分外れた。

 どちらかといえばおとなしく座っていられたルミちゃんと違って、ミカちゃんはよく暴れるんだ。

 お母さんが必死に座らせようとしても、ミカちゃんは振りかぶったイヤイヤをして、足をじたばたさせながら転げてしまう。

 ミカちゃんだけがぼくから落ちるときもあれば、とばっちりを受けてぼくごと倒れてしまうときもあった。


 実はこれがちょっとつらい。

 きっと、みんながいう「痛い」って感覚はないんだと思う。痛くはないけれど、倒れると気持ちが悪いんだよね。まっすぐだった景色が急に斜めになって、自分の向きがわからなくなる。ぼくは早くまっすぐになりたいんだけど、自分ではどうにもならない。


 理想と現実のギャップってやつかな。長い間そのままにされると、どことなくむかむかしてくる。

 だいたいぼくが倒れるようなときは食事の時間が大変なことになっていて、お母さんの叱る声とミカちゃんの全身全霊をかけた泣き声が部屋にわんわんと響く。

 そんなところで気持ち悪くなりながら転がっているぼくの姿を想像してみてよ。絶望的だろ。どんなにかっこいいパンダでも、これだけは勘弁してほしいよ。毎回思う。


 でも最近の救いはルミちゃんなんだ。

 座らせたいお母さんと座りたくないミカちゃんが延々とたたかっていたある日、ルミちゃんがぼくを見て泣いてくれた。

 誰も聞いていなかったかもしれないけれど、小さい声で「かわいそう」と言って、ぼくの向きを直してくれた。間違いない。転がっているぼくを見て泣いてくれた。


 お母さんにしてみれば、座らないミカちゃんが泣きわめいているのに、関係ないルミちゃんも泣き始めたのだからパニックになった。

「なんでルミも泣くの?!」

 ぼくはお母さんに説明して誤解をときたかったけれど、それは無理だった。ルミちゃんは意外とやさしいんだよ。


 そのときから、ミカちゃんがぐずってぼくを倒してしまうと、ルミちゃんが見かねてぼくを直してくれた。おかげでどれだけ生活の質が上がったことか。きゅう・おー・えるっていうんだろ。よくお父さんが口にするから覚えたんだ。違ってたら教えて。


 こないだ、そんなルミちゃんのきゅう・おー・えるがピンチになった。

 昼寝をしているルミちゃんを置いてお母さんが買い物に出たとき、大きな地震があったんだ。あまりにも揺れたので、ぼくは一瞬自分が動けるようになったのかと思った。

 でもそんなことはなかった。なぜなら、動きたいほうへは全然動けなかったから。


 そのときぼくは、眠っているルミちゃんの上に背の高いタンスが倒れてくるのを見た。

「危ない!」

 ぼくに声があったら叫んでいたよ。でもできない。ぼくはとっさに「ルミちゃんの隣に跳べ!」と念じた。だって念じるしかなかったんだ。


 これはぼくの力なのか、大きすぎる揺れのせいなのかわからない。

 ぼくは奇跡的にルミちゃんの隣に跳んだ。

 跳ぶっていうのは、景色が変わるんだね。見たことがない畳の全体像が見えたときは「結構長細いんだな」と思ったよ。角があるのは知っていたけど、あんな大きさだとは想像しなかった。


 このまま天井につくかなと心配した次の瞬間にはグッと床に引かれた。あとから思えばここが最高点ってやつだね。落ちかけて初めて、触ったことがない電灯のヒモがぼくの顔をそっと撫でた。

 注意力散漫に見えるかい。そんなことはないよ。これは振り返った今だからいえるのであって、跳んでから落ちるまではルミちゃんを守ることしか考えてなかった。


 ぼくは、ぼくがコントロールできない力でルミちゃんのそばに落ちた。

 落ちたぼくの上に、ごごんと重いものがのしかかってきた。

 個人的には「むぎゅ」と言いたかったけれど、聞こえてきたのはガチーンと硬い金属の音だった。


 ぼくの上に乗ったのはタンスだった。ぼくは、タンスがルミちゃんを押しつぶすのを防いだ。正確にいうと、ぼくが挟まったおかげでタンスが床まで倒れずにすんだんだ。


 タンスは思ったより重かったよ。痛くはないけれど重かった。そしてしばらくの間、気持ち悪かった。同時に、ぼくは心の底からホッとした。やさしいルミちゃんが無事でいられたんだもの。

 ただ、ぼくの脚は重みでひしゃげてしまった。イスとしては仕事ができない体になった。お母さんはそんなぼくをタンスの下から引き出してはくれたけれど、困った目をしていた。


 子ども用のイスはぼくだけだったから、次をどうしようか考えたのだと思う。そういうのは意外とすぐバレるんだ。みんなも気をつけたほうがいいよ。

 でもルミちゃんは「パンダがいい」と言って、ぼくがこの家にいられるようにたくさん泣いてくれた。ぼくはこのときほど「自分がパンダでよかった」と思ったことはないね。


 もしかしたら、ルミちゃんが大きくなったら部屋の隅にいるぼくなんて忘れてしまうかもしれない。まあ、忘れちゃってもいいよ。ぼくがルミちゃんを覚えているから。

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パンダ・ジャンプ 丘村ナオ @naiyang

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