アンサング・クロニクル

千里亭希遊

序 追憶

 窓に腰かけるようにして、上空を眺めている女子生徒がいる。


 少年には彼女の表情が、とてもウレシソウに見えた。



「何やってんの……? 危なくね?」



 まだ入学したばかりで、お互いに名前すら知らない。


 だから少年は呼びかたすら分からなくて、ただそれだけ声をかける。


 少年は窓から少し離れていたのに、少女は彼の声が自分に向けられたものだと気づいたようだ。


 ウレシソウな顔のまま、当たり前のように彼に言った。



「今日は雲がほとんどなくて、空がとっても広く見えるよ。誰かが掃除した後みたい」



 少年は、変な比喩表現を使う生徒だな、と思う。



「いいから窓からは降りとけ」


「はーい」



 その女子生徒は素直にそう言って教室の床に両足をつけ、自分の席に帰って行った。










 それからしばらくして、少年は、あの女子生徒がまた窓に腰かけて、空を見上げているところを発見した。


 他に誰もいない階段の踊り場。少年にはどうやって上ったのかすら分からない。


 今はなんだか上空に手を伸ばして、なにやら手を振っているように見えた。



「だからお前、危ないって言ったでしょ……」



 少年が呆れながら話しかけると、女子生徒はまたウレシソウな顔をして彼を見た。



「お昼なのに月が居るんだ、寂しそうだから撫でてる」



 それを聞いて、彼は今度は顔が引きつるような感覚を覚えた。



「……漫画とかアニメとか、めっちゃ好きだったりする?」



 少年自身もそれほど嫌いではない。


 しかし、こういう言動を公然とやっていたら、どうしても変な目で見る奴が出てくる。


 そしてアニメやゲームが悪いモノとして扱われていくのだ。


 少年は辟易する。



「んー? あんま知らないや。ただ、空とか雲とか星とか山とか、全部全部、とってもすごいものだと思うんだ。だから、触れ合ってみたいんだよ」


「……そういう自然とかって、地球の活動とかのせいでそう在るだけであって、別にすごくなくない?」



 少年は淡々と自然科学的思考を展開する。


 空気中に手を伸ばしたって、遠近感的に視界に収まって見えるだけの巨大な相手には、物理的に接触することなど不可能で、近づいてみたらただの空気やただの地面になるだけだ。



「でも地球が『活動してる』なら、『生きてる』ともとれる気がするの。ああいう巨大なものにもし人間みたいな意思があったら、面白くない?」



 漫画やアニメをあまり知らないでいてそういう考えに行き着いている彼女に、少しの感心と少しの侮りを持って、少年はこう言った。



「そういうのは、漫画とかアニメでカミサマって言われてる気がする」


「カミサマ?」


「そう。原始時代の人は、そういうのに本当に意思があると思ってて、怒ったら災害とかを起こしたり、喜んだら豊作にしてくれるとか都合のいいことを考えてたみたい」


「あー、歴史の授業でちょっとだけ聞いた気がする」


「多分たまにテストにも出るぜ……」


「うん、もう覚えたよ」



 そして女子生徒はまた、ウレシソウな顔で上空を見上げる。



「カミサマ、かあー。面白いなあ、出てきてくれないかなー」


「いいから窓からは降りとけ」



 少年は、結構前に同じセリフをこいつに吐いたよな、と、やはり呆れる。



「はーい」



 そしてまた素直に、その女子生徒は窓から降りるのだった。











「漫画とかアニメとかってとっても面白いね!」



 数日経ったある日の休み時間。空を眺めていた時以上に嬉しそうな顔をして彼女が話しかけてきたので、彼は少し焦った。



「……そういうの面白いと思うのは幼い頃だけって扱いが一般的だから、あんまりそういうこと言ってるとからかわれるぞ……」



 幸い彼女の声はそう大きなものではなくて、教室の喧騒にすっかり埋もれている。



「そうなの? 面白い物は面白いよ。周りの人にとって面白くなくても私がオモシロければそれでいいよ」


「そうか」



 少しひいた部分もありはすれ、少年は微笑んだ。


 何だか彼女は、他の誰よりも人生を楽しんでいるように見えた。















「は?」



 最初は何が何なのか少年には分からなかった。


 このところ雨が酷くて、ついに昨日は田舎の方で酷い土砂災害が起きてしまった。


 山沿いにあった民家が一軒全壊、二軒半壊。



 そして。



「……は??」



 少年の口からは、ただただ、その一音しか出てこない。


 そんなに遠くから通っていたことなんて知らなかった。

 だけどそんなものはどうでもいい。

 どうでも、いい……!

 

 何故、どうして。

 

 なんで、よりによって。









 ……『彼女』は、行方不明になった後、しばらくして片腕が地表に出ていたおかげで発見されたと、少年は聞いた。



 ……どれだけ怖かっただろう。

 どれだけ恐ろしかっただろう。

 どれだけ苦しかっただろう。

 どれだけ……痛かっただろう……?



 どうしてあんなにも自然を愛して──そう、意志を持たないものを『愛して』いて、あれはきっと『』ではなく『』な表情だったのだ──『彼女』が『自然』に殺されるんだ?


 少年の胸の内にどす黒い感情が渦巻く。


 もし本当に『カミサマ』なんているのなら、それこそそんなモノ死んでしまえ!!

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