初イベントはワクワクとドキドキとトラブルが渦巻いてⅦ

 奈央さんの本物のライブを堪能して、観客たちは満足そうに散らばっていった。時間が押したので不安だったMCがなくなって、ゲームの話はできなかった。奈央さんはそれで助かったみたい。


「さ、そろそろ戻るわよ。湊一人置いてきたし」


「玲様みたいに寂しがったりはしないと思うけど」


「うるさいわよ。そもそも直が悪いんだから」


 僕のせいっていうか、間違えたのはマネージャーさんなんだけどなぁ。逃げ出さなかった僕も悪いと言えば悪いのかな。


 イベントのスペースに帰ってくると、湊さんが暇そうな顔で机に頬杖をついていた。積まれた同人誌は僕が休憩に行ったときとあまり変わっているようには見えない。やっぱりなかなか売れてはくれないみたいだ。


「あー、やっと戻ってきた」


「ライブすごかったよー。あ、湊ちゃんの分もサインもらってきたから」


 結局サインは四人分もらってしまった。当然のように書いてくれたのはやっぱり迷惑をかけたと思ってるからなのかな。


 僕としてはあんなステージでダンスをすることになって大変だったんだけど、なんだかんだ言って玲様も遥華姉も喜んでるみたいだからよかったのかな?


「それにしても本当に直がアイドルになってるなんて思わなかったわ」


「え、直くんスカウトされたの!?」


「されてないよ、代理でちょっと踊っただけだって」


「そっちの方が大事件じゃん! 見に行けなかったの悔しいなぁ」


 別にそんな大層なものじゃない。それに動画が三本もネットに上がってるんだから、それで我慢してほしいよ。アイドル用の衣装はダンス前提で軽く作られてるみたいで動きやすかった。今度からは作るときは考慮してもらおう。


 いや、もう今度なんて一生来てくれなくていいんだけどさ。


「こっちは全然みたいね」


「うん。一冊も出てないよ」


「はっきり言われるとさすがに傷つくわ」


「大丈夫だよ。まだ時間はあるし」


 いろいろと巻き込まれている間にもう三時。残りは二時間ほどになっている。もう目的を達して帰り始めている人もちらほら見える。


「結局売れたのは二冊だけね」


「大丈夫だよ、まだ時間はあるんだから」


「試合終了まで諦めないこと。剣道以外にも通じる基本だよ」


 遥華姉の場合は試合を諦めさせてる側だけどね。今日は同人イベントで対戦相手がいるわけじゃない。ただじっと待ち続けて、通りがかった人にちょっと声をかけていくことしかできない。


 どのくらい時間が経っただろう。一人の男の人がスペースの前にやってきた。それ自体はそれほど珍しいことじゃない。さっきから立ち読みしてくれる人はときどきいる。ただ明らかに違ったのはこのスペースにまっすぐやってきたってことだ。


「あの、さっき隣のイベントに出てませんでしたか?」


「え、私? 出てないと思うけど」


「いや、ステージに思いっきり割り込んできたじゃん。忘れたの?」


 玲様にかかると、警備員を振り切ってステージで叫ぶのもなんでもないことに割り振られるのかもしれない。


「あぁ、やっぱり。さっきの演技はすばらしかったですね」


「演技ってなによ?」


「じゃあもしかしてあれって台本じゃなくて現実?」


 ちょっと困惑しながら、同人誌を一冊買ってくれた。これで三冊目。玲様が起こしたあの大騒動は当然だけど一気に話題になって会場中を駆け回ったみたいだ。僕は衣装を着替えちゃったけど、玲様はこの目立つコスプレのままで上がってきた。


 それにみんな忘れがちだけど、玲様は美人だしスタイルもいいし。あんな目立つことをしたらそりゃ話題になるよね。


「もしかしてめちゃくちゃいい宣伝になったんじゃ?」


「イベントに割り込むなんて玲も無茶するよね」


「直があんなところにいるのが悪いのよ」


 だからってあんな助け方してくれなくても。そりゃ奈央さんを連れてきてくれたのは助かったけど、もっとこっそりと入れ替わることくらいできなかったかな? 助けてくれたときは嬉しかったけどさ。


「もしかしてさっき奈央ちゃんのステージに出てきた女の子?」


「ゴスロリ百合少女がいるサークルがあると聞いて」


「相手の女の子はいないの?」


 最初の一人が呼び水だったみたいにサークル前に人が集まってくる。目的はもちろん玲様だ。あれだけのことができる人が描いたマンガだったら確かに読んでみたくなる気持ちもわかるかも。


 立ち読みもそこそこにどんどんと同人誌が売れていく。さっきまで山積みだったのにもう十五冊もなくなって、山も小さくなってきた。


「すごいわね。直ってばやるじゃない」


「玲様が自分でやったことだよ」


「それよりもう特定されてるネットの方が怖いよね。竹刀持ってくればよかった」


 遥華姉が竹刀持ってたら危険物扱いで追い出されたりしないかな? この会場の人が全員敵になったとして、遥華姉なら何分で制圧しちゃうんだろう。素人数万人なら一時間はかからない気がする。考えただけで恐ろしい。


「これだけの数読んでもらえたら、私は満足よ。正直に言うと、一冊も売れないと思ってたの。だから直を使ってちょっとでも目立つようにって思ってたのよ」


「それはなんとなくわかってたけど、自分でやればいいのに」


 実際今は玲様の大騒ぎのおかげで人が集まってきたんだから。さすがにずっと続くってことはなかったみたいで、また元通りの静かな雰囲気になっちゃったけど。


 ここにいる三人は周りがうらやんだり、憧れたりするほどのすごさを持っていることに気付いていないのだ。僕がしっかりしておかないとなぁ。

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