ダンスのリズムは体中に響き渡ってⅨ

 楽しかった文化祭も終わってしまうと、日常が帰ってくる。毎日幸せだけど、ちょっと退屈な日常が戻ってくる。それは僕にとっても同じことのはずだ。


 それなのに、どうしてか僕の日常はいつも非日常によって上書きされている。


 今日はついにCM撮影の本番。三木村さんに練習もしっかりさせてもらった。こんなにたくさんの人の前でダンスするのは文化祭以来だけど、たぶん、きっと大丈夫。


「おはようございます」


「あ、えっと、お、おひゃようございます!」


「そんなに緊張しなくていいよ。撮影ってちょっと大げさに見えるけど、やることは普段の練習と変わらないからね」


 ディレクターの原田さんはそう言って僕の肩を叩いて、また打ち合わせに戻ってカメラマンさんや照明さんたちと何かを話している。


「袴って思ったより動きにくいやつだったんだよね」


 勝手に剣道着のイメージで話していたけど、まるでバサラ侍みたいな装飾がたくさんついたもので、衣装込みで踊ると感覚がズレて大変だった。


 武術っていうものはほんの数ミリ動きがズレるだけで大きな違いを生む。だから達人でも同じ刀を使い続ける。いつもと違う服を着ればその分だけ動きに修正が必要になる。


 そこらで拾った木の棒も瞬時に刀と同じように扱えるようになるためには、一生でも足りないくらいの修行が必要なのだ。


 武術をダンスに取り入れるっていうのはそういう違いの弱点も丸々受け継いでいるわけで、こんなことなら練習の早い段階から本番の衣装を着せてもらえばよかった。


「こんなに時間かけたらさすがの玲様も怒ってそうだしなぁ」


 この借りはイベントでひと悶着起こすことで返ってきそうだ。


 テストを何度か繰り返して、立ち位置やカメラの向きを確認する。強いライトも玲様のおかげで慣れてきていた。


「それじゃ、本番行きまーす」


 カメラの横でADさんがカウントダウンを始める。開始と同時に大きく腕を広げてストライドを広くとりながらカメラの前に躍り出た。


 雅楽のメロディに合わせながら、ダンスが始まる。雅さと風流さが失われないように注意を払いながら、息遣いさえも音の邪魔にならないように気をつける。呼吸のリズムが違えば、それは動きにも現れる。


 バックダンサーさんに負けないように、力強く、美しく、繊細に。


 どのシーンを使うのかは知らないけど、僕はただ一曲を完璧に踊りきるだけだ。


 自分では結構よかったと思うんだけど、それはプロに見てもらわないと分からない。タオルを受け取って汗を拭く。次に備えて袴の乱れを直してもらってメイクも確認。大丈夫みたい。


 原田さんはカメラさんやダンス指導の三木村さんと一緒に映像を確認している。玲様たちがやっていたみたいに小さなビデオカメラの画面じゃなくて大きなモニターに映し出して確認している。


 この瞬間はいつも緊張してしまう。玲様のときもヒロイン選挙のときも。誰かの決定を待っている時間っていうのはお腹を強く押されているみたいな不安がのしかかってくる。


「うーん、どうする?」


「そうですね。向こうに確認してみないと」


「先方にデータ送って連絡とってみます」


 なんだか急に騒がしくなってきた。何か問題でも起こったみたいに慌ただしくなっている。撮り直しくらいならなんとかなるけど、振り付けが変わったりするとすぐに対応は難しいかもしれない。


「ちょっといいかな?」


 いすに座って休んでいると、原田さんが僕に近づいてきた。


「はい。何かあったんですか?」


「うん。ちょっとカワハの広報さんと相談しているからまだ決定じゃないんだけど」


 原田さんが一度呼吸を挟む。もしかして撮り直しじゃなくて別の人に変えちゃうとかそういう感じかな?


「ロングCMも作ろうかと思うんだ?」


「ロング?」


「依頼は十五秒と三〇秒の二本の予定だったんだけど、君のダンスは、ちょっと切り取るのはもったいない気がしてね。六〇秒のものを準備した方が宣伝効果も高いんじゃないかってね」


「えっと、それはつまり?」


「君のダンスが予想をはるかに超えてよかったってことだよ」


 大人の言い回しに混乱していた僕に三木村さんがわかりやすく一言にまとめてくれた。


「えっと、それじゃ」


「撮影は大成功だよ。お疲れ様」


「ふぅ。よかった」


 ようやく安心できてどっと疲れが襲ってくる。今までの重圧から解放されて、ようやく日常が帰ってきてくれるはずだ。今度はCMが放送されてまた話題になるまではなんとかゆっくり休めるかな?


「でも一つ増やすってそんなに簡単にCMって作れるんですか?」


「簡単ではないけど、このダンスから十五秒切り出す方が今回は大変かもしれないね」


 はは、と笑う原田さんの顔はどこか楽しそうだった。やりがいのある仕事が手に入ったからかもしれない。カワハからの回答は僕が休憩していた数十分で帰ってきた。社長さんも大喜びで、六〇秒と言わず、ノーカット版も作って動画サイトにアップすると言っているらしい。


 喜んでもらえてよかった。お仕事って誰かに納得してもらえるまでがすごく遠く感じることを思い知らされた。


 友達の頼みごとを聞くのとは全然違う。責任感に何度も押し潰されそうだった。


「玲様のお願いが恋しくなってくるよ」


 わがままだと思っていた玲様も優しいものだと思ってしまう。同人イベントまであと少し。何冊くらい売れてくれるんだろう。

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