傑作はいつも頭の中にⅪ

 通い慣れた普通の部屋に普通じゃない格好の三人。それなのにまるで気にすることもなくマンガを描いていたりお菓子を食べていたりするだけの光景。いきなり見ると情報量が多すぎる。


 部屋に入ってきた遥華姉は僕たちの顔をそれぞれ三度見してから手近にいた僕の横にしゃがみ込むと、不安そうな声で耳打ちした。


「これ、ツッコんだら負けっていうゲーム?」


「違うよ。今度のイベントの準備だよ」


 そんな妖怪でも見たような不安そうな顔しなくても。猛獣相手でも勝てるような遥華姉だけど、幽霊とか妖怪とかは苦手だったりする。そしてこれからもっと遥華姉が苦手なことに挑戦してもらうことになるのだ。


「イベントって直がその恰好で出るの?」


「そうだよ。みんなもね」


「全部湊ちゃんが作ったの?」


 遥華姉は僕の着ているベールをつまんでいる。お料理は最近練習しているけど、お裁縫はやってないはずだ。それもそのうち手をつけるんだろうか。


 好きな男の子ができたら女は料理を練習し始める、そう言ったのは母さんだけど、結局宮古先輩の件は誤解だった。遥華姉の料理修業はいったい誰のためなんだろう?


「もちろん遥華さんも分もありますよ」


 バッグに残っていた最後の一つを取り出す。


「えぇ~、私には似合わないよ~」


「そんなことないですって。せっかく作ったんですから着てみてください」


「そうよ。私も着たんだから遥華だけ着ないのはズルいわ」


 玲様の声にはまだちょっぴり恨みがこもっている。そんなに怒らなくてもとっても似合ってるのに。


「ほらほら、隣の部屋が空いてますから」


「む、無理だよ~。私、巨神兵だもーん!」


 あ、久々に出ちゃった。大きな体を小さくしながら遥華姉が大粒の涙を流し始める。遥華姉にとって可愛い服を着るのは、野生のトラとクマとライオンとゾウとカバを同時に相手にするより難しいことなのだ。


「無理無理無理ー! もしかしてこのために呼んだの?」


「遥華さんのサイズわからなかったんで。仮縫いしかしてないんですけど」


「やだ、無理! 帰る!」


 いつもは冷静でみんなのまとめ役のはずの遥華姉が駄々をこねている。僕には見慣れた光景だけど、二人はちょっとまだ慣れないみたいだ。


 かといってこの状況は結構マズい。幸い玲様の家はめちゃくちゃ広いから、遥華姉が泣き叫んだところで外に声が漏れるようなことはないけど、この町内、もしかすると日本でも指折りの強さを持つ夕陽ヶ丘の巨神兵にコスプレをさせるのは簡単じゃない。


 玲様みたいに簡単に捕まってくれるならいいけど、遥華姉なら今この敷地内にいる身辺護衛の黒服さんを全員集めたところで全部返り討ちにしちゃうのはまず間違いない。


「どうするのよ、これ」


 玲様の声がさらに不機嫌になる。そりゃそうか。集中したいときにすぐそばでこんな大声で泣かれちゃどうしようもない。でも無理やり外に出しちゃせっかくここまで連れてきた意味がなくなっちゃうし、そもそも力づくなんて無理だし。


「直くん、よろしく」


「まぁ、そうなるよね」


 こうなった遥華姉をなだめられるのはたぶん未だに僕だけ。とはいっても今回はただ機嫌をとるだけじゃなくて、嫌がる遥華姉にコスプレのチャイナドレスを着せなきゃいけない。これは無理難題だよ。


 とりあえずいつもみたいに頭を撫でてなだめてみる。後ろから玲様の視線が刺さっているような気がする。


「ほら、何事も挑戦だっていうし、遥華姉も着てみたら楽しいかもしれないよ?」


「無理だよー。私はナオじゃないんだからー」


 ひきこもるように体を丸めて顔を伏せてしまった。うーん、強情だなぁ。いつもならこれを着て一緒に出かけてあげるから、とか言っておくとすぐに機嫌を直してくれるのに。さすがにコスプレで普通の町中を歩き回るほどの強心臓は持ってないんだけどさ。


「あぁ、もう面倒ね。遥華もそろそろ着替えなさいよ。一緒にイベント行くんでしょ!」


「一緒に?」


「着ないなら連れていってあげないわ。それでもいいならうじうじしてないで帰りなさい!」


 そんなこと言ったら逆効果だよ。玲様は強くて頼りになる遥華姉ばっかり見ているから、そう思っちゃうんだ。


 でも遥華姉の反応は僕が想像したものとはまったく逆だった。


「……行きたい」


 遥華姉の反応にちょっとびっくりした。そんなこと言うとは思ってなかった。最近は一緒にいることが多くなったって言っても、自分が一番苦手なかわいい服を着るってことを我慢してまで僕たちに付き合ってくれるとは思ってなかった。


 遥華姉はまだちょっぴり玲様に遠慮しているところがある気がする。最初の頃と比べれば全然違うんだけど、僕のことをお人形扱いすることに怒っているというよりは特別なものを感じているみたいな。


 現実の僕は玲様にとって都合のいいモデル兼ストレス解消グッズみたいなものなんだけど。


「遥華さんが一緒にイベントに行ってくれるなら心強いですよ」


「目立つし、みんなを守ってくれるし完璧な人材ね」


「それ、全然褒めてない」


 あーあー、また泣きだしそうになってる。でも遥華姉は我慢して立ち上がる。ちょっとだけ決心を固めるために深呼吸してから、莫耶さんに続いて部屋を出ていった。


「まさか玲様が遥華姉を叱る日が来るなんて」


「私、この中だと年長者なんだけど忘れてない?」


 玲様は普段の行いをもうちょっと反省した方がいいと思うよ。いつもトラブルメーカーのポジションを独占してるんだから。


 逆に僕たちを叱って抑える側の遥華姉は、最近は僕以外の前でもああやって泣くことができるようになった。周囲のイメージを守るために我慢していたのを玲様や湊さんの前でも吐き出せるようになったのはいいことだ。


「着て、みたけど」


 おずおずと襖の影に隠れた遥華姉が半分だけ体を見せる。ブルーのチャイナドレスはちゃんとサテン生地の本格的なもの。鍛え上げられたけど決して太くない太ももがストッキングに包まれている。


 髪は莫耶さんにまとめてもらったみたいで、長い黒髪が二つにわけられてシニョンキャップに収まっている。


「わぁ、きれい」


 最初に声を出したのは湊さんだった。玲様はコスプレしてもかわいい、って感じだったけど、遥華姉の場合はすらりとしたスタイルで美しいって言葉がよく似合う。


「うん。とっても似合ってると思うよ」


「そうかな? 私はこういうの似合わないと思うんだけど」


 まだ試作段階だからちょっぴり緩めのシルエットだし、小道具なんかは揃ってない。でもやっぱり遥華姉は格闘美女っていう設定のキャラがよく合ってると思う。


「それに、これスリットが深くて。お嬢様や湊ちゃんはそういうのじゃないのに」


「遥華さんは大胆な衣装が似合うんですよ。背も」


 高いから、という言葉を湊さんが飲み込んだ。ちょっと遥華姉の顔がくもったけどギリギリセーフだったみたい。まだ涙の跡が残っている瞳の奥が潤んでいるようにも見える。


「わかってるよ。私はナオみたいに小さくなれないんだもんね」


「小さいって言われるとちょっと傷つくんだけど」


「いいじゃない。それだけ直が可愛いってことよ。私の直なんだから当然だけどね」


 玲様のフォローもなんだか的外れだ。でも今はそんなことを抗議したってこの三人相手じゃうまくなだめすかされるだけに決まっている。


「さて、玲と遥華さんのサイズもわかったし、本番までには完璧にしておくから楽しみにしててね」


「私はちゃんと仕上げるわ」


「うーん、本番までにちょっとくらいダイエットを。でも筋肉って落ちないよねぇ」


 みんな好き放題に言っていて、僕の気持ちなんて気付いてくれないんだから。


 それでもやっぱりみんなでっていうのは楽しみだ。玲様がペンを持ち直したのを見てから、僕は着替えるためにそっと隠れるように部屋を出た。

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