傑作はいつも頭の中にⅦ
玲様の手伝いと並行して、僕は湊さんの手伝いもやることになった。とはいってもバイトもあるし遥華姉との練習もサボるとコスプレ衣装を作っているのがバレそうで断れない。結局いつの間にか僕が一番忙しくなっていた。
とはいっても玲様のところに行ってもできることはせいぜいベタという黒塗りをする仕事で、それも玲様のチェックしたところを塗るだけ。それにここからはパソコンでの作業になるからいくら失敗してもいい気楽なものだった。
湊さんの方も縫製が手伝えるわけじゃないから道具を渡したり僕の分や身長の近い玲様の分の衣装を着てシルエットを確認したりするくらいで大変なことはない。
それにしても玲様が僕にイベントでコスプレさせようなんて言い出したなんて。前もいろいろな服は着せられたし、メイド服とか学校の制服とか広くコスプレをさせられていた。でも今回はちゃんとキャラクターを決めて湊さんに作ってもらう本格的なもの。しかも貸し切りのスタジオじゃなくてたくさんの人が集まるイベント会場で着るのだ。
最近は原稿に集中してるからそうでもないけど、そういえばパソコンを買ってから妙にアニメとかゲームとかそういう方面に詳しくなった気がする。暇なときはよくネットを見ているらしいし、手遅れになる前に早くなんとかしないとなぁ。
二人ともたった一人でマンガや衣装を作り上げている。僕にはそれがまぶしくてしかたがない。遥華姉は料理をはじめたし、僕もなにかやらないといけないんじゃないかって焦りが背中を焦がす。
とはいっても急に思いつきで何かを始めたところで身になるわけでもないだろうし、焦ってもいいことなんて一つもないこともわかっているのだ。
「どうしたの、直。浮かない顔ね」
そういう玲様は絶好調だ。一番難しい作画を終えてからは日に日に速度が上がっている。もうすぐペン入れも終わるから僕の仕事もお役御免になるだろう。一応黒く塗るだけだから渡された分はちゃんと終わっている。パソコンならきれいに塗るための補助ツールもたくさんあるしね。
「玲様はマンガが描けるなんてすごいなぁ、と思って」
「別にすごいことはないわ。直だって剣道が強いじゃない」
「そういうことじゃないんだけどさ」
剣道は誰かが作り上げた体系を学んで真似しているだけに過ぎない。それと比べたら真っ白な紙に生き生きとした人物と風景、そして物語を作り出すのとはちょっと違う気がする。それに読んだ誰かの心を動かすことができるとしたらそれはとってもすごいことだと思うのだ。
「私がマンガを描いている間、直は竹刀を振っていた。ただそれだけの違いよ。私は直が剣道をやっているところ好きだもの。誇っていいのよ」
それが当然、というように言われると悩んでいる僕がバカみたいに思えてくる。やっぱり玲様は僕より頼りになる存在なんだと気付かされる。普段はちょっとわがままで子どもっぽいところがあるのに、こういうところはかっこいいんだから。
「じゃあ次はこれを取り込んでベタよろしくね」
「はーい。玲様はちょっと休憩した方がいいんじゃない」
「そうね。まだ先は長いんだから倒れたら遥華に怒られるわ」
怒られるのはきっと看病してイベントを無事に終えた後だろうけど。そう言っている玲様だって顔は笑っている。遥華姉に怒られるのは僕だっていまだに怖いけど、遥華姉が怒るときは決まって僕のことを思ってくれている時なのだ。
「直だって倒れないでよ。バイトもあるし、当日にも大切な仕事があるんだから」
そう言って玲様は何か含みを持った笑いをこぼす。もちろんその理由はわかっている。当日に僕にコスプレをさせて売り子をやらせる。湊さんには秘密にしておくように言っていたみたいだ。
実はその標的が自分に変わっていることを玲様はまだ知らない。でもここで下手なことを言うと感づかれそうだから、僕はまったく気付かないふりをしておく。僕はどうにもうまく嘘がつけない人間なのだ。
玲様はパソコンに取り込み終わった自分の原稿を見ながら、遥華姉の差し入れのクッキーを口に入れている。やっぱりマンガを描くっていうのは頭を使うんだろう。休憩中はいつも遥華姉が持ってきた甘いお菓子を食べている。
「遥華もだんだん腕を上げてるわね。負けてられないわ」
さっき僕にいいこと言ったのはなんだったんだろう、と考えたくなる。ときどきいいことを言っていてもやっぱり玲様は玲様なのだ。
クッキーの減り方が結構すごいことになっているんだけど、そのエネルギーは全部脳にいってるんだろうか。それとも、やっぱりあの大きな胸に貯まっていってるのかな?
「どうしたのよ。何か困ったことでもあった?」
つい湊さんとコスプレを選んでいたときのことを思い出してしまう。やっぱり危険だ。露出の多い格好の玲様をたくさんの人の前に出すなんて絶対にできない。そもそも勢いで四人でやろうって言っちゃったけど、周りから見れば僕が三人もかわいい女の子に囲まれてる状態なわけで。男の僕がしっかり守ってあげないといけないのだ。
そう考えるとちょっぴり不安だ。干将さんと莫耶さんもいるし、遥華姉は大丈夫だと思うけどせめて気持ちだけはちゃんと持っておかなきゃね。
「大丈夫。ちゃんと終わらせるから安心して休んでてよ」
イベントまではまだ一か月半ある。それまでに付け焼き刃といいながらも剣道の練習はしっかりやっておこうと思う。何もないのが一番だけど、やっぱり誰かを守るっていうのは僕の理想の男性像として強く心に居座っている。
「心配しなくても後はなんとかなるわ。パソコンって本当に便利なのね」
それは僕も使っていて思い知らされた。マンガを描く手伝いなんて絶対にできないと思っていたけど、やってみるといろいろできてしまう。スキャナーで取り込んだ原稿から下書きの消し残りをきれいにして、玲様に言われたところを黒く塗る。
紙でやるなら大変なことなんだろうけど、マウスだけでできてしまうしはみ出してしまったらボタン一つで元に戻ってくれる。インクがかすれることもないし、紙が破れることもないから安心だ。
この作業をあの原稿用紙に直接やってと言われたら手が震えて進まなかったと思う。戻るボタンを押した回数はもう数えきれない。
それにまだいいところがある。これからやるトーンの作業だ。黒のドットみたいなものを影に張るんだけど、これもパソコンなら簡単にできる。昔は一枚一枚原稿に合わせてカッターで切って張っていたらしい。考えただけで気が遠くなりそうだ。
それに背景トーンっていうのもあって、難しい背景はそれを使ってしのぐことにしたらしい。人物画の練習ばっかりで背景の練習までは手が回っていなかったみたいだ。
「ま、こっちはもうめどがついたから、直は本番に向けてしっかり準備しててよね」
大きなヤマを越えて玲様は楽しそうに微笑んでいる。この後待ち受けている最大の試練に気がつかないまま。僕はそれを見ながら今度は湊さんの手伝いを頑張る気持ちが膨らんでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます