傑作はいつも頭の中にⅣ

「それじゃ、私は作業に戻るから直の準備をお願いね」


「はい、承りました」


 玲様に呼び出されたのは翌日だった。莫耶さんが喜んでいるあたり不安が増してくる。まぁいまさらなんだけど、やっぱり着替えなくちゃいけないんだろうなぁ。


 玲様の部屋じゃなくて、隣の部屋に通される。やっぱりこっちの部屋は畳敷きできれいな床の間がある。ふすまの上には細やかな木彫り細工の欄間らんまが竜の形をして雲の間を飛んでいる様子が描かれている。


 そして一枚板の大きな座卓にはまったく似つかわしくないピンク基調の生地に白のレースが飾られたロリータ服があった。玲様はこういう服は持っていないからわざわざ用意したんだろう。


「それは遥華様が選んだものです」


「なんでそういうところだけ仕事が早いのかなぁ」


 僕が見たことない服だから今日のためにわざわざ買い付けてきたんだろう。この田舎でわずか一日でこれを用意できるルートを持っている遥華姉が恐ろしい。


「では私がお着せしましょう」


「いえ、このくらいだったら一人で着れますよ」


 結構いい生地の服だけど、本物みたいにコルセットを巻いたりするわけじゃない。お化粧もないなら上からかぶっていろいろつけるだけだ。


 それに僕だって一応男なのだ。さすがに女性の莫耶さんに着せられるのはちょっと恥ずかしい。そもそもロリータ服を着ていることが恥ずかしいと言えばそうなんだけど、こっちはもうすっかり羞恥心が擦り減ってしまったんだからしょうがない。


 まだ少し居座ろうとしている莫耶さんを追い出して襖を閉める。鍵がないからちょっと不安だけど、大丈夫かな? 玲様や遥華姉、湊さんに隠れているけど、莫耶さんも結構危険人物だったりするからなぁ。


 ちょっぴり肩に重さがかかる。何度着てもこの独特な重さになれない。動きやすい服じゃないんだから当たり前だ。剣道をするための胴着や元気が有り余っている中高生を対象にした制服でもない。本当はきれいなお嬢さんが澄ましているときに着るような服なんだから。


 着替えを済ませて玲様の部屋に戻ると、玲様はいいとして遥華姉と湊さんが当然のように正座で待機していた。完全に僕のファッションショーでも始めるつもりだ。このくらいの格好ならもう何度もやってるんだからそれほど珍しくもないと思うのに。


「それで、どんなポーズからやればいいの?」


「なによ、直。ずいぶん落ち着いてるじゃない」


「だって手伝うって言ったし」


 そもそもこの服を着るように言ったのは玲様と遥華姉じゃない。なんでそんな意外そうな顔をしているのか全然わからないよ。


「うーん、やっぱり恥じらいは欲しいよね」


「そうですねー。もう直くんほとんど女の子なんじゃない?」


「そんなわけないよ!」


 まったくみんなして言いたい放題のやりたい放題なんだから。


 ちょっぴり残念そうな三人の指示を受けながら下書きに合わせてポーズをとる。制服や道着のシーンも多いからこの服での作画はあんまりないらしい。


「じゃあ、スカートと髪を押さえながらこんな感じで」


「えっとこう?」


「一回でこのポージング。直くんのモデル力おそるべし」


 なんか変なコメントをしている湊さんと同意するように深く頷いている遥華姉はとりあえず見なかったことにしよう。別に僕がすごいわけじゃなくてちゃんと下書きを見てからやってるだけで、普通のことだと思うんだけどなぁ。


「ナオって本当にこれからどうなっちゃうんだろうって思うときがあるよ」


「元をただせば遥華姉が最初だと思うんだけどなぁ」


 そんな身にならない他愛もない会話の横で、玲様は真剣にペンを走らせている。こうなると本当に周りなんて見えていないくらいの集中力で物事を進めていく。今まで動きが止まっていたのが嘘みたいにペン先が原稿の上を縦横無尽に走る。


「直、次よ。このシーンね」


「はいはい」


 下書きの絵を見ながらまだ完成していない女の子に合わせてポーズをとる。動きのある絵は当然だけど止まったときのバランスが考えられているわけじゃないから結構大変だ。それでも僕だって意地がある。


 遥華姉の地獄の特訓に比べればこれくらい軽いはずだ。苦しい表情をしていたらマンガのキャラまで苦しく見えてしまう。体勢が辛くても顔は自然に保たないと。


 玲様のペンが早いことだけが唯一の救いだったかもしれない。僕の体が限界を迎える前に次のポーズに変わってくれる。昨日までの思い悩んでいた姿はなんだったのかと思うくらいにものすごい勢いで黒い線が引かれてマンガが形作られていく。


 時間がかかるだろうと思っていたのは僕が玲様をまだまだ侮っていただけで、数時間もすると目的だったロリータ服の線画は完成していた。鉛筆書きの中に一人だけペン入れされた女の子は魅力も数倍に大きくなって、今にも紙の中から飛び出してきそうだ。


「お疲れ様。やっぱり直は頼りになるわね」


「もうちょっと男らしい頼られ方がしたいんだけど」


 ペン入れが終わって着替えようとした僕は当たり前のように三人に引き留められて、休憩に入っていた。まぁ、この三人が簡単に着替えることを許してくれるわけもないよね。


「それにしても直くんは日に日にモデルとしての実力をつけていってるよね」


「そんなこと言っても全然褒められてる気がしないんだけど」


「モデルならせっかくだから写真撮ろうよ」


 携帯のカメラを向けながら遥華姉が浮かれたように立ち上がる。前に行った動物園以来何かと写真に残したがるようになった遥華姉は最近カメラの性能がいいスマートフォンに機種変更をした。いつでもナオが撮れるように、というのが遥華姉の言い分だ。高いカメラを買われるよりはいいかな、と思っている。


 要求されるポーズをとりながらまだ明るいのにしっかり焚いたフラッシュを受ける。これも一種の手伝いなのかな。そう思いながらカメラに視線を向ける。


「あれ? もしかして写真撮ってそれを見ながら描けば、僕がずっと同じポーズとらなくてもよかったんじゃないの?」


「なんのことかしら?」


「いいじゃない。ナオなんだから」


 僕は玲様のお人形なんだから当然、ってことなんだろう。でも一つ苦しいところを越えて笑顔が見える玲様を見ていると、そのくらい簡単に許してしまえる。遥華姉も湊さんも楽しそうだ。


「それにしてもモデル力抜群だし、そろそろ本当にプロ目指しちゃえば?」


「やめてよ。それに湊さんの言い方だと女の子の、でしょ」


 女装だって好きでやってるわけじゃないのだ。確かに最近は嫌いでもなくなってはきているんだけど。


「なるほど。その手もあったわね」


「え、何?」


 ぽん、と手を合わせた玲様に僕は直感的に不安を覚えながらも、いそいそと作業に戻った背中に真意を聞けなかった。

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