夏の砂浜は水着で視線を独り占めしてⅨ

 みんなの元に戻っていった遥華姉を送った後は、ビーチボールを飛ばしてみたり、砂浜に埋められてみたり、なぜかおいしく感じる海の家の焼きそばを食べてみたりとしているうちにもう砂浜の観光客の数もめっきり少なくなっていた。


 こっちは近くの旅館に二泊三日。ギリギリまで遊んでいられる。やっぱり日帰りじゃなくて正解だったのかもしれない。それでも名残惜しくても日が暮れてきては旅館に戻らないわけにはいかないんだけど。


「はー、楽しかった。夏最高!」


「湊は底なしの体力ね」


「昨日まで貯めに貯めてたからね。ストレスとかも」


 家の手伝いから解放されただけあって、湊さんは借り物のイルカボートに立ち上がって頭から転落するなんてことまでしていた。こっちとしてはハラハラしっぱなしだったんだけど、楽しかったならまぁいいかな。


「浜辺は花火禁止らしいけど、あそこのアスファルトのとこだったらやっていいんだって」


「じゃあコンビニかどこかに買いに行って夜にやろうか」


「それは明日ね。今夜はやることがあるわ」


「何かあったっけ?」


 この旅行は完全にノープランに近い。正確には遥華姉の合宿とある程度合わせた行動をするということ以外はまったく未定で、こうして空いた時間に何をするかはその場の雰囲気で決めるという、まさに行き当たりばったりな旅行だった。


 その中で、一大イベントと言ってもいい花火の提案を明日に回してまでやるようなことってなんだろう。


「さっき話してたじゃない。肝試しよ」


「僕たちもやるの?」


「そうじゃなくて。遥華を驚かせるのよ」


 玲様が当然、という顔で言い切った。さっきのいいことってそういうことか。


「よく考えたら私って遥華に何度も泣かされてるけど、遥華を泣かせたことないわ」


 それは玲様が無茶をやって遥華姉を怒らせるからだよ。しかも泣いているのは玲様が正座に慣れていないせいで足が痺れるからだ。遥華姉は一つも悪いことはしていない。


「やっぱり悔しいじゃない。それにあの遥華が驚いて叫んでるところを見てみたいわ」


「それはちょっとわかるけど」


「遥華さんの意外な一面。見たい!」


 あーあ、湊さんまで悪ノリしはじめちゃって。でも確かに遥華姉が怯えてる顔なんてなかなか見られない。最近は一緒にホラー映画なんて見ることもなかったし。


「それじゃ決まりね」


「でもどうやっておどかすの?」


「何か使えそうなもの探しに行きましょ。もっと早く思いついておけば準備もできたのに」


 結局コンビニに行くことにはなりそうだ。それにしても玲様、海に来たときよりもテンション上がってるんだけど。本当にそういうことばっかり好きなんだから。とりあえず何の脈絡もなくコスプレさせられないようにだけは気をつけておかないと。


 着替えを済ませて一度旅館に戻ると、もう夕食の準備ができているということで先にいただくことにした。海の幸をふんだんに使った料理は平凡な家庭の僕にはなかなかありつけない。お米とお野菜ならいろんなところからもらってくるからいいものを食べられてるんだけど。


 それにしてもこうやって食べると育ちの良さっていうのを考えさせられるなぁ。玲様も湊さんもお箸の持ち方も器の持ち方から運び方まですごくきれいだ。ご飯を食べている女の子は可愛いっていうのはよくわかるけど、食べている女の子が美しいっていうのは新鮮だ。


 僕なんかは魚の骨もバラバラでお皿の上が汚くなってしまう。あんな風にお皿から少しも動かないまま魚が身だけが取り除かれたように骨が残るには、いったいどれくらいの練習が必要なんだろう。

 昔じいちゃんから教わったような気もするけど、もうすっかり忘れてしまった。


「直くん。何か嫌いなものでもあるの?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 食べる姿がきれいだなんて言ったら、また変だなんて言われかねない。黙っておいた方が良さそうだ。僕はそのまま船の形の器に乗ったお刺身に手を伸ばす。これなら食べ方もなにもないから平気だ。


「直。お刺身のわさびは身に乗せて食べるのよ」


「え?」


 わさび醤油ってダメなんだ。やっぱり上品な食べ方は僕には程遠いらしい。玲様はやっぱりお嬢様で、そういうところもしっかり見ている。


「別にいいじゃん。おいしいんだから」


「そうね。堅苦しいのは家だけで十分だったわ」


 湊さんは僕と同じようにわさびをたっぷり醤油に溶かしている。辛くないのかな。それを見て玲様も行儀なんて急に忘れたみたいに湊さんの小皿に自分のお刺身を入れてみる。


「辛っ! 湊って味音痴なの?」


「玲が子ども舌なだけ。この鼻に抜ける辛味こそお刺身だよ」


「いや、それはわさびの味だと思うよ……」


 さっきまでの僕の尊敬の念はまったく二人には伝わっていなかったみたいだ。ほっとしたようなちょっぴり悲しいような。二人の攻防にもまったく注意なんてするつもりがないお付きのはずの二人は玲様の許可をもらって晩酌までしちゃっている。もしかしてこの後の肝試しは本当に僕が護衛役として二人を守らなくちゃいけないのか。


 でもやっぱり三人、いやこの五人だとなんとなく物足りない。遥華姉も一緒にいないと楽しさはどこか半減してしまう。だから玲様だって湊さんだって肝試しに割り込もうなんて言い出したのだ。

 早く準備を整えて遥華姉を待つ。そして同じ思い出をこの夏に作るのだ。


「ねぇ、大きなシーツとかでお化けの格好作れないかな?」


「そうね。時間もないしいいかもしれないわね」


「火の玉は難しいけど、ペンライトとかあれば使えそうだよね」


 遥華姉の知らないところで計画は進んでいく。いったいどんな顔して迎えてくれるんだろうか。僕は玲様が乗り移ったみたいにお化け計画を練っていった。

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