ウェイトレスはフリルのエプロンで包み込んでⅥ

 明日の五時からという約束をして、僕は玲様とお店を出た。階段を下りるとまだ昼の暑さが残る通りで汗一つ浮かべることなく莫耶さんが待っていた。朱鷺子さんは玲様のこと知ってるんだからずっとお店にいてもよかったと思うんだけど。


「お疲れ様でした。干将が大きな通りで待っていますので申し訳ありませんがそこまでは歩きます」


「わかったわ。早く行きましょ」


 ちょっと不機嫌そうに玲様は莫耶さんに先だって通りを歩いていく。歩くのが嫌なのかな、それとも眞希菜さんにいらいらしてるのかもしれないな。


「玲様、こちらです」


 歩き出した玲様の背中に莫耶さんが声をかける。来た道を戻るんじゃなくて別の方に行くらしい。


「わかってるわよ。ちょっとしたジョークよ」


 顔を赤らめながら戻ってくる玲様はさらにむくれているように見える。今のは自分が悪いんだから当たるところが見当たらなくて難しい顔で戻ってきた。


「そんなに怒らなくてもいいじゃない」


「だって。せっかくの準備が」


「準備ってバイトに向けて何か準備することあったの?」


 僕の準備はまるっきり無駄になっちゃんたんだけど。玲様は莫耶さんがいるとはいえ両手には何も持っていない。厳しいところならやる気を疑われてもおかしくないくらいだ。その玲様にいったいどんな準備が必要だったっていうんだろう。


「直に着せるためにウェイトレスの衣装用意しておいたのに。あのお店じゃ使えないわね」


「どんな店でも着ないよ」


 そんなことしてたら本当に心臓がいくつあっても足りなくなってしまいそうだ。


「あんな女がナンパされるような店じゃ安心できないもの」


「そこなの!?」


 お店の雰囲気に合わないとかじゃないんだ。そもそもどんなに似合っていたとしても僕は着るつもりはないんだけどさ。


「仕方ないからこの後車の中で着せましょう。せっかく持ってきたんだから」


「そうですね。賛成です」


「賛成しないでよ」


 たぶん干将さんもこっち側にはついてくれないだろうし、何故か多数決で僕が少数派になってしまった。そんな特殊な趣味の人がなんで狭い範囲に集まってるんだろうか。なんとなく重くなる足取りを感じながら、僕は莫耶さんの案内で車に戻った。




「もう違和感って言葉を辞書で調べたくなるくらいね」


「ちゃんと調べて感じてよ、その違和感を今すぐにさ」


 断ったところで時間稼ぎにしかならないのはわかっている。僕は迎えの車に乗り込むと座席に取り付けられたカーテンを閉めてウェイトレスのコスプレに着替えさせられた。遥華姉が持ってくる衣装よりはまだ着やすい方で、狭い車内でもなんとか着替えることができた。一応働くときの服だもんなぁ。有名なチェーン店のものに似ているけど、いったいどこで手に入れてきたんだろう?


「素晴らしくお似合いですよ、直様」


「そう言われても全然嬉しくないです」


 とても楽しげに言う莫耶さんは両手を合わせて拝んでいるように見えるんだけど、そんなにするほどのものでもないよ、絶対。


「欲しいものがあるって言ってたけど、それでなんでバイトなの?」


「新しい道具が欲しいのよ」


「いつもたくさん買ってるじゃない」


 もう文具屋に並んでいるものはたいてい揃えてそうなくらい買っていそうだ。僕が一緒に文具屋に行ったときも相当な数を買っていた。あれからさらに通っているならもう部屋に必要なものはないだろうに。


「最近はパソコンで作業するのが主流らしいのよ。もっとリサーチするべきだったわ。でもパソコンなんでお父様が仕事で使っていたものしかなくて」


「確かに仕事のじゃ使えないね。僕も自分のは持ってないなぁ」


 莫耶さんほどじゃないけど、僕も機械はあんまり得意じゃない。周りがスマートフォンに変えていく中、僕はまだいわゆるガラケーを使い続けている。今のでさえ使いこなせている気がしないのに、持て余すに決まっているんだから。


「そう言えば遥華姉も持ってたかな? 部屋でホコリ被ってた気がする」


「湊も持ってるんだけど、さすがに貸せないって」


 個人用のパソコンなんていろいろと人に見せたくないデータだってあるかもしれないしいくら友達でも簡単には貸せないだろう。玲様ならそんなことはしないだろうけど。


「それから」


「まだあるの?」


「パソコンで漫画を描くためのソフトと、それからペンタブレットっていう機械が必要らしいのよ」


「結構高そうだなぁ」


 聞き慣れないものばかりだけど、パソコンなんて一〇万円くらいはするだろうし、それにソフトと専用の機械がつくなら一五万円、いや二〇万円くらいかな。考えただけで頭がクラクラしてきそうなほどの大金だ。


「だからお母様に聞いたらバイトしなさいって」


「そもそも家としては協力しないって言ってたもんね」


 初期投資としては払い過ぎくらい玲様に道具を買ってあげたんだろうし、さらにアルバイトの紹介までしてくれるんだから十分協力的だと思う。そんなこと本人に言ったら意地を張って玲様を追い出しかねないから言わないでおこう。


「お給料ってどのくらいもらえるのかしら? 一ヶ月も働けば足りるわよね」


「うーん、いくらくらいするの?」


「全部で二〇万くらいかしら?」


 僕の予想はストライク。しかも高めいっぱいのいいコースだ。どうあがいても高校生のアルバイトで一ヶ月に稼げる金額じゃない。もし僕の分を全部あげたとしても足りないかもしれないくらいだ。


「そんなに高いものなの?」


「使うならそれなりのものを使いたいでしょ?」


「それって玲様の感覚でそれなりじゃないよね?」


 僕とは金銭感覚や普段近くにあるものの質がまったく違うから、玲様のそれなりって庶民には高級品ってことも十分あり得る。とはいえ玲様が自分で働いて買うと言っているんだから、それを無闇に下方修正するのもかわいそうだ。

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