ウェイトレスはフリルのエプロンで包み込んでⅣ

 カラン、と涼やかなベルの音が鳴る。お店はログハウスを切り取ってきたような木の温かみを感じる内装だった。木のテーブルとイスが大小六組。雰囲気づくりの観葉植物の鉢が二つ置かれてもうお店の中はいっぱいになっているほどの小さな店内だ。ダイニングのようにホールから厨房の中が少し見えて、奥からお母さんと同じくらいの女性がにっこりと笑いながら出てきた。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」


「お世話になります。中条玲と申します」


 外面モードの玲様が丁寧に頭を下げたのを見て、僕は慌ててそれに合わせる。そういうことはお店に入る前に一言言っておいてほしい。なんだか僕が無教養に見えてしまうような気がしてならない。


「あら、待っていたわ。それからもう一人知っているっていうのはその子? 可愛らしい女の子が二人もなんて助かるわ」


「いえ、僕は男なんですけど」


 地元のおじさんおばさんたちの間なら道場のおかげで僕はそこそこの有名人だから間違えられることはなかったんだけど、やっぱりまだどっちかわからないと思われてるのかな。今日は女装してないんだけど。


「じゃあもしかして玲ちゃんの彼氏なのかしら。いいわね、青春ね」


「ち、違いますっ!」


「そんなにムキにならなくても」


 玲様は顔を真っ赤にして否定する。あっという間に外面モードも仮面も剥がれてしまう。すぐに取り繕って澄ました顔に戻ったけど、まだ少し顔に赤みが残っている。


「いいのよ、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。私は清代きよと違って庶民だから」


 清代って確か玲様のお母さんの名前だっけ? うちもそうだけど、普段聞き慣れていない名前で呼ばれるとちょっととまどってしまう。どうやら僕の予想は当たっているみたいで、控えめに玲様が息を吐いた。


「私は朱鷺子ときこよ。ここのオーナーをやってるの。清代とは学生時代の同級生でね。よく名前がおばあちゃんみたいだって言われてたの。それで仲良くなったのよ」


 朱鷺子さんは懐かしそうに笑っている。その後も学生時代に清代さんが告白してきた男をこっぴどく振っただとか、朱鷺子さんが冗談で渡したラブレターを本気にして焦っていた話だとかをにこやかに話していく。 玲様は自分の母親のちょっと抜けた話を少し恥ずかしそうにして聞いていた。


 それにしてもアルバイトの面接に来たはずだったんだけど、全然始まる気配がない。玲様のお母さんの友達ってことはもう働くことは決まっているんだとしてもどんな仕事があるのかとか時間はどうするのかとか聞きたいことがいっぱいあるんだけどな。


 どうやって話を戻そうかと朱鷺子さんの終わらない話を聞きながら考えていると、僕の後ろのドアがベルを鳴らして開いた。お客さんが来てくれたなら一度この話も終わってくれるかな。


「まーた喋り倒してる」


「あら、眞希菜まきなちゃん、おはよう」


 振り返って眞希菜、と呼ばれた女の子を見る。かなり明るい茶色に染めたショートカットの髪、右耳にはピアスがついている。高校生くらいに見えるけど、大きめのパーカーに膝にダメージが入ったジーンズという格好だった。たぶん市内の女の子なんだろう。こんな子が家の周りにいたらすぐに話題にあがるだろうから。


 オーナーのはずの朱鷺子さんを睨みつけるように厳しい視線を送っているけど、朱鷺子さんはあんまり気にしていないみたいだ。


「ちゃんと仕込みしねぇとディナータイムに間に合わなくなりますよ、オーナー」


 少し嫌味のこもった声色はちょっぴり怖い。それを気にした様子もなく朱鷺子さんは時計の方を見る。もう四時半だからランチタイムの看板を下げて、今度はディナーメニューになるんだろう。僕たちは学校があるからこのディナーの時間に手伝ってほしいってことなのかな?


「はいはい。眞希菜ちゃんには敵わないわね」


「いや、普通はオーナーが仕事してくれっていうもんだろ」


 呆れたように肩を落としながら僕と玲様を避けるようにして眞希菜さんは厨房に向かっていく。態度はちょっと荒っぽいけど結構真面目な人なのかな。


「そうね。じゃあ二人とも話は仕事をしながらになっちゃうけどいいかしら?」


「はい。よろしくお願いします」


 朱鷺子さんは少しも気にした様子はない。眞希菜さんはいつもこんな調子なんだろう。僕は結構苦手なタイプかもしれないな。厨房に向かう朱鷺子についていこうとすると、眞希菜さんがさっと手を出して僕を制した。


「そっから見てろ。素人は入らなくていいんだよ」


「ごめんね。眞希菜ちゃん気難しいのよ」


 これは気難しいって言葉で片付けていいのかなぁ。僕と玲様はダイニングになっている厨房の前に椅子を並べてもらって、そこから話を聞くことになったのだ。


「最近は二人でやってたんだけど、ちょっと人手が足りない日が出てきたのよ。それでアルバイトを探してて清代に聞いてみたの」


「そうだったんですね。急な話で驚きました」


 玲様がそう答えているけど、僕はその何倍も驚かされたんだけど。しかも結構驚き損だったし。玲様は僕の恨み節なんて少しも届いていないみたいで涼しい顔で朱鷺子さんの話を聞いている。でも玲様もこのお店に初めてくるんだとしたら、今朝あんなに秘密にしていたことはなんだったのか気になってしょうがない。


「先週まではうちの息子に手伝ってもらってたんだけどね」


 朱鷺子さんはそう言いながら厨房の奥へと目をやった。僕の位置からは見えないけど、向こう側では朱鷺子さんと同じように眞希菜さんがディナーメニューの仕込みをしているはずだ。


「うっせーな。大の男かあんな大声あげて泣くか、普通!?」


 いったい何があったんだろう? 聞きたくないような聞いてみたいような不思議な気分だ。僕はじいちゃんのしごきに慣れているから肉体的なダメージで泣かされることはないと思うけど、眞希菜さんは威勢がいいし僕より男らしく感じられるところがすでに泣きどころかもしれない。


「悪い子じゃないのよ。ちょっと口が悪いだけなの」


「まぁ、玲様も口が悪いのは同じだし」


 最近はお人形扱いにも動じなくなってきたところがあるし。剣道をやっていたときよりも鍛えられているかもしれない。


「そんなことないわ! 一緒にしないで」


「勝手なこと言ってんじゃねぇぞ!」


 ほとんど同時に玲様と眞希菜さんから抗議の声が上がる。さっき会ったばっかりなのにもう息はぴったりのようだ。


「なんだか楽しくなりそうね」


 朱鷺子さんだけが一人楽しそうに僕らのやりとりを聞いていた。

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