深夜のカチコミは着慣れた普段着でⅢ

「なんか女の子ってズルい」


 一番最初に素直に漏れてきた感想がこれだった。僕の顔がこんなに変わるなんて思ってもみなかった。まるで別人のようで、これならうちの前に出来上がったチラシを張っても誰も僕だってわからないかもしれない。


 前に来たときはここまで本格的じゃなかったけど、この姿を見るとどれだけ湊さんが本気なのかわかってしまう。それが感心すると同時に怖くもあった。


「あれ、何か言いました?」


「ううん、なんでもないよ」


 そんなことを言ったらなんて言われるかわからない。それにお化粧だってこれだけ手間と時間がかかっているんだから、簡単にズルいなんて言っちゃいけないのだ。


 準備を整えて撮影が始まる。隣の部屋に移動すると、どこから仕入れてきたのか高級そうなカメラに、白い傘のようになったレフ板が二つもセットされている。畳の部屋なのに白い布を敷いて、壁には白い板のようなものが立てかけられていた。


 和室の一角に作られた急造のスタジオは玲様と行った貸しスタジオほどじゃないといっても、簡単に写真を撮って終わりというわけにもいかなさそうだ。


 ただ僕が男だってことを秘密にしているからか、撮影は湊さん一人でやってくれるみたいだ。


「大変そうだけど、大丈夫?」


「たぶん大丈夫です。このために勉強もしてきたので」


 そんなに気合い入れてやることなのかな。撮られる側は素人の僕なのに。湊さんが玲様と同じでとりあえずカタチから入るタイプっていう可能性も大いにありえるところだけど。


「こんな感じでいいの?」


 言われるがままにポーズをとってみる。見た目をどんなに飾っても僕は男として生きてきているからどうすれば可愛いとかきれいだとかいうのはさっぱりわからない。


「もう少し背筋伸ばして」


 でも湊さんにはそのちょっとした差異がしっかりわかっているみたいで、いろんな指示が飛んできて言われた通り直してはフラッシュが何度も焚かれた。


「んふー。いいよ、いいよー。これは最高の仕上がりに期待しちゃうよ」


「なんか普段の口調ですらなくなって、おかしくなってるよ」


 妙なテンションになってきている湊さんに不安を覚える。言っているのは着物を着た日本人形みたいな人だから余計に違和感があるし。いまさらになってやめるとも言えなくて、撮影は続いていく。


 どんどんとテンションの上がって止まらなくなった湊さんはもう自分が今、お店にいることすら忘れていそうだ。


 幾度かの着替えを挟んで一時間半もすると、撮った枚数は膨大な数になってきて、デジカメのメモリーを確認している湊さんも忙しそうに目を移ろわせていた。


「ちょっと休憩にしようよ」


「うーん、でもなにか足りない気がするんだよね」


「足りないって、何が?」


 これだけの設備があって足りないんじゃ、それこそプロを呼んでくるしかなくなっちゃうんじゃないかな。


「ほら、浴衣ってこんなところで着るものじゃないでしょ? 今だと普通はお祭りに来ていくものじゃない」


「あー、そう、だね」


 歯切れの悪い答えを返す。嫌な予感がひしひしと伝わってきて、僕は今すぐここから逃げ出したいと思ってしまう。そろそろこの展開にも飽きてきたと言いたいところだけど、毎回相手が違うっていうのは奇跡なのかな。


「ちょっと私と休憩がてらデートに行こう」


「そう言うと思ってたよ」


 今なら誰かにバレる心配もない。だってお化粧した僕はもう僕であって僕じゃなくなっている。それに制服の下をスカートにしてウィッグをつけただけで気付いてもらえないんだから、普段の心配なんて杞憂きゆうだとわかってしまった。


 どうせ僕だとわからないのならどこへ行こうと同じだ。だって最後には僕の方が折れて付き合うことになるんだから。


「それでどこに行くの?」


「うーん、どこがいいかな? 浴衣の似合いそうなところ。温泉街とか?」


「今から行けないよ」


 ど田舎の夕陽ヶ丘から一番近い温泉街ってどこだろう? でもバスと電車を乗り継いでいって着く頃にはもう陽が落ちているくらいだろう。そんなところまで行ってはいられない。


「もうちょっと近場にしてよ」


「じゃあ、直くんだったらどこにするって言うの?」


 そりゃ確かに浴衣っていうのは元々お風呂で着るものなんだから、温泉街が似合うっていうのはわかるんだけど。さっき湊さんが自分で言っていたじゃない。浴衣はお祭りに来ていくものだって。


「この近くにも神社あるんじゃないの? お祭りはやってないけどさ」


「おお、ナイスアイデア! 直くんよくわかってるじゃん」


 褒められてもあんまり嬉しくないなぁ。でも自分から出かける場所を思いつくなんて。なんだか僕の中で何かが壊れてしまったような気がして怖くなった。本当なら嫌がって玲様みたいに駄々をこねたっておかしくない状況なのに、こうやって別の自分のままで外に出ることを楽しんでいるのかもしれない。


「よーし、じゃあカメラと三脚と、このレフ板だけ持っていこう」


「あ、何か持とうか?」


「いいよ。今の直くんはモデルさんで私がカメラマンだから」


 そうやって扱われると、本当に女の子になったみたいでくすぐったく思える。僕はもう戻れない道に足を踏み入れてしまったんじゃないだろうか。揚々と準備を整える湊さんを待ちながら、熱くなった頭を冷やすために大きく深呼吸した。

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