深夜のカチコミは着慣れた普段着でⅣ

 朝日が昇って、町の中にも人の数が増えてきた。下川呉服店も店を開けるのかと思っていたけど、今日はお休みみたいだ。


 湊さんは外に出るからかすっかり着替えてしまって、僕なら近くに買い物に行くときくらいにラフなティーシャツとジーパン姿になってしまった。お化粧も薄いから隣を歩く僕の万全のお化粧がやけに目立っているように感じる。


「大丈夫なの?」


「どうせほとんどのお客さんはこっちから訪ねていくから。玲くらいだよ、真面目にお店に来てくれるの」


「それは玲様の頼みごとがいつもお母さんには秘密だからなんじゃ」


 そうとも言うね、と湊さんはさして気にしたようでもなく笑った。それって面倒事を押し付けられているってことだと思うんだけど。笑って許してしまえるのは、湊さんが優しいからなのか玲様の魅力なのか。


 湊さんの案内で近くにあるという神社に向かっていく。さすがに季節外れの浴衣は周りの注目を集めているけど、湊さんは気にせず前へと進んでいく。堂々としていれば何も怖くない。カメラや三脚を持っていることもあって、なにかの撮影だってことはわかってもらえるみたいで、邪魔をしないように話しかけてくる人もいなかった。


「なんか直くんってどんどん恥ずかしがらなくなってない?」


「いや、そんなことないと思うけど」


 いや、決して楽しんでなんかないよ。僕はこうして出かけるのが嫌いだったんだから。そうやって自分に言い聞かせるけど、あまり説得力がない。


 木々が並ぶ坂道の途中に大きな鳥居が見えた。田舎の神社はどこも境内けいだいが広いから、ここからでも拝殿まではそれなりに距離がある。慣れない下駄の僕を気遣って、湊さんは先に上がって許可をもらっておく、と言って社務所しゃむしょの方へ走っていってしまった。


「立派だなぁ」


 うちの近くの神社もかなり広いけど、ここは鎮守の森に囲まれているからさらに雰囲気がいい。こっちは地主の家が氏神様として祀っているから、整備も行き届いているんだろう。


 なんとか拝殿の前まで上ってくると、湊さんが笑顔を浮かべて指で小さく丸を作っていた。


「許可とれたよ」


「そんなにすんなりいくものなの?」


「これでも老舗の呉服屋ですから」


 変なことには使わないっていう信用があるんだろう。実際のところ、男の僕が女の子の浴衣を着ていることを神様はどう思いながら見ているのか気になるところだ。


「そういえばじいちゃんも近くの神主さんと友達だって言ってた」


 もちつきや祭りの行事には道場生がよく借り出されている。僕も剣道をやっていた頃はよく手伝いに行ったけど、今はすっかり疎遠になってしまった。


「せっかくだからお参りしてからにしようか」


「そうだね。神様に怒られないようにしないと」


 お財布を持っていなかった僕は湊さんからお給料の前借りをして、神様にお願いした。


 玲様と遥華姉と湊さんのわがままがちょっと収まりますように。それから玲様の夢が家族と仲直りしてから叶いますように。


 かなり無理なお願いかもしれないと願った僕は思ってしまうけど、愚痴だと思って聞いてください、神様。


 お参りを終えたところで、参道を歩いているつもりで何枚か撮影してみた。特別な日でもないこともあって、残念だけどお参りに来る人はいないみたいだ。寂しい境内にフラッシュの光が焚かれるのを遠目に参事さんが覗いているように見えた。


「本当にお祭りをやってる日に撮りたかったなぁ」


「それじゃ浴衣販売のチラシには間に合わないよ」


「そうだよねー。あー、今日一日だけ出店を並べてくれればいいのに」


 そんなむちゃくちゃなことできないよ。それにせっかくの浴衣がしっかり見えなくなってしまいそうだ。写真コンテストに応募するわけじゃない。あくまで宣伝のためなんだから。


「それで、今はいいのが撮れた?」


 やや頭が熱を持ってきている湊さんの気を逸らすために話しかける。まだここに来て時間もそんなに経っていないのに、かなりの回数シャッターを切った気がする。


「うん。それはばっちりいいのが撮れてるよ。やっぱり臨場感は足りないけど、よくよく考えたら背景は使わないで直くんだけ切り取って使う予定だったんだよね」


「じゃあ神社に来た意味は!?」


「いやいや、ちゃんと許可ももらったし、これは切り取らずにばばん、と載せるよ」


 渾身の出来だという一枚をデジカメの小さな画面から見る。やっぱり自分じゃないようなきれいな浴衣美人がそこにいた。これなら街を歩いていれば周りがそわそわしてしまうのも納得してしまう。それはつまり自分のことなんだけど、なんだか違う世界の人のように思えて、つい他人事のように思ってしまった。


「よし、じゃあ私は宮司さんに挨拶してくるから」


「うん。ここで待ってるよ」


 また拝殿の前に戻ってきて、湊さんが社務所に向かうのを見送った。挨拶しに行ってもいいんだけど、街中を歩くのは良くても話をするのはまだまだハードルが高い。


「あれ?」


 妙な気配を感じて後ろを振り返った。拝殿の前にはお賽銭箱とさっき鳴らした大きな鈴がある。でもそっちじゃなくて、拝殿の奥の方。鎮守の森の中に誰かがいたような気がするんだけど。


「野生のタヌキとかかな? イノシシじゃないといいけど」


 クマが出たって話は数年に一回くらいしか聞いたことはない。でもイノシシくらいならいてもおかしくないくらいにはこの辺りは田舎なのだ。


「なんでだろう? 浴衣着てるからかな?」


 周囲の視線に過敏になっていて、ない視線まで感じるようになっているのかもしれない。楽しいと思っていたけど、やっぱり僕は男の格好をしているのが一番だ。


「おまたせー。それじゃ帰ろうか、ってどうしたの?」


 辺りにまだ人の気配がないかと探していた僕に、湊さんは不思議そうな顔をしている。きっといろんなイベントで何度も来ている場所だから、変なものなんてないとわかっているからだろう。


「ううん、なんでもない」


 きっと気のせいだ。そういうことにして、僕はまた神社の長い坂道をゆっくりと下っていった。

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