一章

ゴシックロリータはフリルで可愛く彩ってⅠ

 遥華姉に連れられて僕はゴスロリ服のまま夕陽ヶ丘のアーケードに連れられてくる。ここが僕にとって限界の遠出だと思っている。


 日曜日とはいえシャッターの閉まったところも多いアーケード商店街は、ネオンが切れて数年経った看板が物語っているようにすっかりさびれてしまっていた。僕や遥華姉みたいな高校生は電車や自転車を使って、学校のある凪葉なぎばやもっと市街の方に出ていって遊ぶから、ここなら誰かに見つかる心配も少ない。


 それでも何度か顔を見たことがあるような買い物客はいくらでもいるし、何か面倒なお遣いを頼まれて、僕を知っている誰かがここにやってくるかもしれないのだ。重い足取りの僕をすれ違う人が見ていく。きっと体調が悪そうだとかそう思ってくれているんだ、そう自分に言い聞かせるけど、男だと気付かれているようで落ち着かない。


「今日は人が多い気がする」


「いつもと同じだよ。気にし過ぎだって」


「気にし過ぎるような服を着せてるからだよ」


 僕は一向に慣れる気がしないというのに、遥華姉の感覚はすっかり麻痺している。最初は遥華姉の部屋でこっそり着せていたのも、今は遠い昔の話になってしまった。部屋から家の中、近所の公園と続いて今はこうしてそれなりに人の集まる場所でも平気で僕を連れだしていく。


「あ、クレープ食べる?」


「……食べる」


 僕の不満げな視線は遥華姉にどれだけ届いているだろう。お店の前まで手を引いて連れて行く辺り、まったく伝わってはいなさそうだけど。


 口の周りにクリームをつけながらクレープを頬張る遥華姉はほんの数分前にあれほど泣きわめいていたのは演技だったのかと思えるほど頬を緩ませて、あまりにも見所のないアーケードを夢の国にいるみたいにはしゃいでいる。


 ちょっと不気味に思えるけど、僕を連れて歩いていると自分まで可愛くなったように思えるから嬉しいのだそうだ。それなら自分がおしゃれすればいいのに、と思う。


「あ、あれは!」


 遥華姉の足が一件のお店の前で止まる。あぁ、加藤さんのお店だ。


 加藤洋品店はこの夕陽ヶ丘にありながら、なんでそんな服を仕入れたのかと聞いてみたくなるほど変わった商品を置いていることで有名だ。土地を持っていて店はほとんど趣味だと言っていたけど、それにしても趣味に走り過ぎだと思う。


 ガラスのショーケースには舞踏会で着ていそうな真っ赤なドレス。かと思えば隣は大正ロマン溢れる着物だったりする。よく見ると隣にはメイド服を着たマネキンが立っていた。今日の服の仕入れ先はきっとここだな。


「ちょっと見てくるね」


 遥華姉は食べかけのクレープを空いていた僕の右手に押し付ける。もう片方の手には僕の食べかけのクレープがある。これじゃなんだか食いしん坊みたいだ。


「あ、僕も」


「ダメだよ。食べ物持ち込んだら」


 いや、そうじゃなくてこの格好で一人にされたら心細すぎるんだけど。そう言う間もなく遥華姉はお店の中に入ってしまう。これはいったいどのくらい待たされるんだろうか。恐怖に怯えながらもどうすることもできないまま、僕はせめて目立たないところに行こうとアーケードから伸びる小路こみちにこそこそと逃げ込んだ。あまり変わらないかもしれないけど、人目につきそうにない方がちょっとくらい落ち着けるというものだ。


「そんなに服が好きなら自分にお金かければいいのに」


 この服だって決して安くはないだろう。縫製ほうせいもしっかりしているし、どこかにほつれがあるわけでもない。どこかの激安量販店に並ぶコスプレ衣装ではないはずだ。


 それに今まで着せた服の数もかなりあるし、家族にも秘密のはずだから自分でクリーニングに出しているんだろう。それだけあれば、たとえ平均よりずいぶん背の高い遥華姉にだってサイズの合う可愛い服が見つかるはずなのに。


 間違えないように左手に持ったクレープを食べながら、一向に出てくる気配のない加藤洋品店の入り口を見つめる。もしかしてこのまま僕はここで待ってないとダメなの?


「ねぇ、あなた」


「え?」


 声の方へと振り向く。誰もいないと思っていた小路に小さな女の子が立っている。


 中学生くらいかな、と思った考えをすぐに改める。彼女が着ている真っ黒なセーラー服に白いスカーフはこの辺りでは有名なお嬢様高校の誠心女子の制服だ。暖かい春先なのに濃い黒のストッキングに黒のローファー。そしてその上から全身を覆うようにつやのある長い黒髪がまっすぐに伸びている。


 全身が真っ黒だからこそきれいな白い肌が映える。切り揃えられた髪の隙間から漏れるように光る瞳が、僕の方を間違えようもなく見つめていた。


 夏の夜に出会っていたら僕はきっと幽霊か何かと見間違えていただろう。人から少しはみだしたような神秘性のある視線に僕は全身が痺れたように動けなくなった。


 小路の入り口に立っている僕に向かって彼女はまっすぐに歩いてくると、そのまま壁に押し付けるように僕に迫る。僕より背が低いせいであまり格好が決まらないと安堵あんどしていると、彼女は僕の耳元に真っ赤な唇を近づけて、こうささやいた。


「私の、お人形にならない?」


「えぇ?」


 押し付けられた拍子に両手に持っていたクレープが地面に落ちてぺしゃりと悲しい音を立てる。でもそんな小さな音なんて気にしていられなかった。


 吐息が頬を撫でて、気持ち悪いような心地良いような不思議な温かさを感じる。


「あなたみたいな可愛い女の子なら、きっと私に似合うわ」


 女の子だと思われている。男だと気付かれなくて嬉しい反面、とっても複雑な気分だ。でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。声から男だと悟られないように、僕はゆっくりと首を横に振る。


「そう、残念ね。でもあなたに拒否権はないの」


 美しく微笑んだその顔の横に彼女は平手を挙げる。一瞬頬をはたかれるのかと思ったけど、結果はもっと残酷だった。


「手荒な真似はしたくないんだけど、あなたがいけないのよ」


 小路に控えていたらしい真っ黒なスーツに身を包んだ二人が僕を両脇から抱え上げる。小さな僕は簡単に持ち上げられて、そのままやっぱり真っ黒な車の中へと押し込められた。


「あれ、ナオ? どこ行ったんだろう、逃げられちゃったかな?」


 遥華姉が戻ってきて、僕を探している声が聞こえた。逃げられそうって自覚があるのなら、こんな服を着せて連れ歩くのをやめてくれればいいのに。それさえなければ僕は今こんな状況にないっていうのに。


 遠くに聞こえる遥華姉の声に僕は答えられない。この女の子一人ならなんとかなるかもしれないけど、三人相手じゃ遥華姉に危険が降りかかるかもしれない。


「あら、お友達と一緒だったのね。直、素敵な名前じゃない」


 対面の座席になっている車内でつややかに微笑んだ彼女を、僕は黙って見つめていた。

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