24.

 「世界の明良ちゃんスペシャル」を食べた翌日はなにも起こらなかった。

 その翌日、千尋はひたすらに今日の通院のときを心配している。明良の通うクリニックは、環境の良さを売りにしていて、建物が山の方に建っているため、人里離れていたからだ。

「どうした、そわそわしているな」

「ええ、今日通院日なんですよ」

「例の良い女のか? それで心配してるのか?」

「い、いけませんか?」

「過保護じゃないか? 外にだってあまり出ないようにしてもらってたんだろう。大船に乗った気持ちで行かせてやれよ」

「そう、ですよね。それが一般論ですよね」

 千尋は、深いため息を吐いた。

 なにかが、引っかかっている。今日は、危険がないように家の前からタクシーに乗ってもらう約束だったが、それが正しかったかまるで自信がない。逆に不安な感情が込み上げているくらいだ。

 そして、昨日今日と捜査が進展していない。後藤田を乗せていった乗務員が判明しないのだ。全タクシー会社に令状付きで協力を要請しても、その時間に後藤田のアパート付近にいた車両は割り出せていない。

「GPSで配車とか、結構スタンダードになってきてるのに、そっから割り出せないんでしょうかね?」

「さあな。ただ、調べに行ってる連中も馬鹿じゃない。そんな簡単には引き下がってはいないだろう」

「ですよね。怪しい車がいたらまず目を付けますよね」

 千尋は、そう思いながらも絞り込む方法を考えていた。

「そうか!」

「おう、いきなりどうした?」

「いえ、絞り込む基準を思いつきました!」

「どうするんだ?」

「それはですね……」

 説明する千尋。自分の中ではこの手順で車両は絞れるという確信があった。

「よし、生瀬。捜査本部に今の方針を伝えてきてくれ」

「はい、わかりました」

 慌ただしく駆け出していく生瀬。

 その提案が現場の刑事たちに伝わり、動きが変わった。三〇分ほどで結果が出る。

 千尋は、愕然とした。その方法でわかったことは、タクシー会社、乗務員の名前、性別、今の勤務状態。今、明良が乗ってるタクシーがまさに真犯人の車なのだ。

 タクシーは、GPSを切っているのか現在地が不明になっている。千尋は、焦った。これは完全に明良を殺すために移動しているようにしか見えない。

 どうしたらいい? と思っているうちに携帯電話が震える。千尋は、驚いて目をわずかに開き、固唾を飲んだ。

 明良からだった。

「もしもし。明良か?」

『うん』

「どうした?」

 明良は、運転手が殺人犯だとは気付いていないはず。

『わたしは用事無いんだけど、運転手さんが千尋のことを知ってるから話したいって。なにかあったの?』

「なにもない」

 こちらの動揺を悟られないようにしなければいけなかったが、明良にそんな千尋の演技は通じるわけがなかった。

『あんたね?』

 明良が怒り出す前に、矢継ぎ早に千尋が口を開いた。

「大きな進展はまだない。おまえは、その運転手さんを信じて病院へ行ってこい。なにも心配することはない」

 千尋の嘘は明良に通用しない。危険であることが伝わってしまったかも知れないが、それでも千尋は明良に安心してもらいたかった。

「運転手さんに代わってくれ」

『もしもし? もしかして私見つかっちゃった?』

 特徴のある中性的な声だった。千尋を三回遅刻から救ってくれた美里区を愛する運転手。

「はい、篠崎叶恵さん」

『どうやって、特定したの?』

「後藤田を殺そうとしたあなたは、後藤田が酒を飲むことを知り、酔い潰れるあの日が来るのを待った。そのために前後の複数日、稼ぎが落ち込んでて、かつ美里区を出ていない車を絞り込みました。全部で三台に絞れたので、残りはそう難しいことではなかったです」

『そう。優秀なのね、あなた。さすが、早朝出勤するだけのことはあるのね』

「それだって、明良の動向を探るために、うちを監視してたんでしょう?」

『そうよ。素晴らしい観察力』

 そのとき、権像が電話機を奪い取った。

「よお、篠崎さん。権像と言います」

『なに、急に? 今は、さっきのお兄さんとの会話を楽しむターンだったんだけど?』

「あいつは、ユーモアに欠ける。事実を突きつけてばかりじゃ疲れるだろうと思ってな」

『要らない心配だわ』

「そう言うなって、心の中ではわくわくしてきてるんだろ?」

『わくわく?』

「そう。おまえさんは、人間を愛するばかりに人間の死に触れないとおかしくなっちまう。違うか?」

『…………わかったような口を利くのね。さっきのお兄さんに戻して』

「不愉快だったか。すまんすまん。俺もそうなんだ。俺は人間という種を愛している。だから、人間の本性は隅々まで知りたいんだよ。束縛したい系なんだろうな」

 電話の向こうからはなにも伝わってこない。

「死ぬ間際に見せる人間の本性をおまえさんは見たいんだろ? だから、縛って殴って恐怖を引き出す。そうしたら、普通は人間はいろんなモノをまき散らす。それが美しい。それが愛おしい。そうだろ?」

 千尋は、この権像の言葉に嘘を見いだせなくてひたすらに怖くなった。この人は、人を殺すと言うことを認めている。相手も同じく人を愛しているからという理由で。これは、人として完全にぶっ壊れているレベルだ。

『…………そうよ。お名前聞いておこうかしら?』

「権像、権像六郎」

 そこで、ぶつっと通話が切られた。

「逆探出来たか?」

「はい。美里区から城山渓にかけてのエリアから発信されています」

「城山渓? よし、急行だ」

 千尋は、権像が恐ろしくなっていた。周りは演技だと思っているのかも知れないが、この人はさっきの台詞を本気で思っている。快楽殺人鬼と同じ動機で動いているのだ。

「いくぞ、神崎」

 槐が肩に手を置いたことで状況を思い出す。

「いいか、神崎。ろくさんや篠崎を恐れるな」

 そのとき、その台詞で東風の「権像先生を恐れるな」という言葉が甦った。

「なるほど」

 千尋は、恐怖で乾いた唇を舐めて湿らせる。

「わかりました、槐さん」

「よし、おまえの彼女助けるぞ」

「はい」

 千尋は、ふっと権像があんなに孤独なのかわかった。そして、篠崎に優しい声で話しかけるのかも。



 美里署の刑事課と近くにいた捜査本部の連中がこぞって、城山渓の山間を流れる河原に集まっていた。

 河原にはセダン型のタクシーが止められていて、そのリアシートには明良がいる。篠崎は、車のトランクの上に腰掛けてた。

「ハロー、みなさんよく集まってくれたわね」

 明るくうきうきとした声で、捜査員たちを出迎える篠崎。

 もう捕まるという心配をしていたり、追い詰められた犯人のようにはとても思えない。

「権像さんてどちらさま?」

「俺だよ」

 権像が一歩前に出る。

「あら、電話越しのイメージより渋くていい感じじゃない?」

「そうか。ありがとよ。なあ、提案だ。その娘と俺を交換しないか?」

 篠崎は、権像を観察して、明良をちらっと見た。

「いいわよ。紳士にお願いね」

「出来る限り、そうしよう」

 ゆっくり歩み寄る権像。

 篠崎は、手にしていた小型のグリップのようなものを捜査員に曝した。

「これ、車の自爆装置だから。下手な真似はやめてね」

 それを聞いても権像は歩みを鈍らせなかった。

 明良を後部座席から出す篠崎。

 解放された明良は小走りで千尋の元へと戻ってくる。

「明良!」

 千尋は、明良を抱きしめたかったがそういうことが出来る場面ではない。女性捜査員に保護をしてもらった。

 あとは、権像を救い出し、篠崎を出来る限り無傷で捕らえたい。

「さっきの子は怖がらないように見えたから、あなたに来てもらったのだけど、あなたもまた死に際してなんにもぶちまけないような気がする」

「そうだろうな。俺は、ぶちまけないんじゃなくてぶちまけるモノがないんだ。空虚な男さ」

「ふーん、そういうこという人たまにいるけど、あなたはちょっと違う気がする」

「そうかい?」

「うん。あなたは、人間のことを見過ぎて自分が摩耗していったように見える」

「そうだな。思い当たる節があり過ぎて困る」

「そこが私と違うところ。私は、観察するだけして捨てるから」

「俺は?」

「あなたは、見た人間の本質が善悪でいう悪と判断できても自分が介入していくように見える。それがその人間の本性だからといって受け入れそう」

「俺ぁそんなに偽善者に見えるか?」

「偽善ではないと思う。だって、あなたは悪という面を本当の意味で『悪い』と思ってないもの。そういうモノだって分類してるだけ。そうじゃなきゃ、こんなところで私とのんきに話しなんかできる訳ないと思う」

「ほほう、やれやれ同類にはお見通しか」

「だって、私五人殺してるのよ? なのに、別におまえが悪いわけじゃないって顔してる。私を責める気が微塵も感じられない。ここに来たのだって、刑法に触れているから捕まえるか、ぐらいにしか思ってないでしょう?」

「ご明察。文句のつけようのないくらいに完璧な読みだ。俺もとうとう女に鼻毛の数を読まれるときが来たか」

 そういって、短髪の頭をがりがりとかいた。

「あなたはなぜ、刑事なんて続けてるの? いえ、続けていられるの?」

「そうさなぁ。いろんな人間が見られるからかな。良くも悪くも人間を観察できるし、特に悪い面を通すと、すっと本質が見えるときがある。それが快感でクセになっている」

「最後に、あなたにとって『悪い』ってどういうことか教えてもらえる?」

「自分の本質に素直になれないことかな」

「じゃあ、私は悪い人じゃないのね」

「そうだな。でも、方法が不味かった」

「私、五回しか見られなかったけど、後悔はしてない。心おきなく死ねる」

「そうか。提案なんだが、一緒に警察へ行くっていうのはどうだろう?」

「拒否するわ。私は満足してるし、私をよくわからない連中に決めつけられることに耐えられそうもないから」

 そこで、二人の会話が途切れた。

「手を出して」

「こうか?」

 差し出された権像の腕に篠崎は触れた。

「さあ、私の眼を見て。私、ちょっと人より催眠術がかけやすい体質なの」

 権像は反応していない。呆然としている。

「あなたは、ここから警察車両に向かって走る。それで、目が覚める」

 権像が突然走りだして千尋たちの方へ向かってきた。

「私たちのようなタイプは死んだ方が楽なのよ。その刑事さんには生きる辛さをプレゼント!」

 篠崎が爆弾のスイッチを握ろうとしたその瞬間だった。権像の陰から千尋が飛び出す。

 不意に知った顔が出てきたからか、篠崎はスイッチを押し損ねた。その腕を千尋が抑え込んだ。爆弾のスイッチは指を動かせば押せる。だが、篠崎はそうしようとしない。

「どうしてですか?」

 千尋は、そのことを問う。

「あなたこそなんで? 死ぬのが怖くないの?」

「怖いです。ですが、あなたを殺させては、権像巡査長が傷つく。それにあなたには罰を受けていただきたい」

「あなたのガールフレンドを狙ったから?」

「いえ、それがあなたが生きている世界のルールだからです」

「そう? あなた、権像さんのお弟子さん?」

「ええ、そうです」

「なるほど。素質があるわ」

 本元にも言われた謎の認定。

「悪を悪いと思わないという素質ですか?」

「そう」

 満面の笑顔になる篠崎。

「そうですか。確かに本質に善悪はないと思っているかも知れません。だけど、許せないものは許せません」

「まあ、あなたはこれからよね。ずっと、仕事をして摩耗していけば自然と権像さんと同じになれると思うよ」

「光栄です。可能な限り、見届けてもらいたいものです」

「うーん、それは無理かも。この世は二元論だからね。それに、あなたとの会話はここで終わり。さあ、私の眼を見て」

 思わず、ぐっと見入ってしまう千尋。

 だけど、次の瞬間。千尋の抑えている方の腕に感電したような強い痺れが走った。腕がお互いに反発し合い、篠崎はその衝撃で爆破スイッチを落とす。

 その瞬間に槐と生瀬が飛びかかってきた。それで篠崎は大人しく捕縛される。連行される篠崎には気のせいか意識がはっきりとしていないように見えた。

 それを我に返った権像が見つめる。やはり、彼の顔には憂いや後悔はなく、ただ素直にその生き方を受け入れていたようだ。



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