第2話
二人の身体は海の上を飛行していた。
『船長』が片腕でロープを掴み、もう片方の腕でリエルを抱きかかえる。
リエルは、沈みゆく移民船から、正面――飛んでいく、その先に視線を遣った。
そこにいたのは、漆黒に塗られた一隻の船だった。
自分たちが乗っていた移民船より一回り小さい、「ガレオン」と呼ばれる形をしている。
船体には赤や白のアクセントが彩られ、海賊船というよりは少し豪華な旅客船に見えた。
マストには黒い帆が風をはらみ、、その先端には黒い薔薇を咥えた髑髏――『船長』の帽子に描かれているものと、同じ海賊旗が風を受けてはためいている。
再び、『船長』のブーツから、たんっ、と音が鳴る。
数秒間の飛行後、『船長』とリエルは船上に降り立った。
床板まで黒に塗られた船の上では、たくさんの船員たち――全て黒基調のドレスのような服を着た女性――が、せわしなく動き回っていた。
「もう大丈夫だよ」
『船長』がリエルを離した。リエルも『船長』から手を離す。
「なんだぁロカ、あんたの戦利品はその女の子かい?」
二人に、軽い声が飛んできた。
船の舵を握っている、赤い髪をポニーテールでまとめた、肩出しでスカート丈も短い、でも装飾は豪奢なドレスを着た女性が、「ロカ」という名前で茶化す。
「ロカ…?」
誰のことか掴めないリエルの横で、
「生存者。押し入ったところで殺されそうになってたから助けたの」
『船長』が返答した。
「…ロカ、さん?」
「あぁ…そういえば、名前も何も言ってなかったか」
リエルの疑問に、『船長』がリエルに向き直り、疑問を解決した。
「私は、ロカ・ローズ・グッドホープ。この海賊船『ブラック・ローゼス』の船長だ」
改めての自己紹介の後、リエルが、自分もロカへ疑問を残したままだと気づいた。
「あっ、あの、リエル・カークトン、です」
「ん、カークトンと言うんだな」
軽く頷いたロカの後ろから、先程ロカを茶化した赤髪の女性がにゅっと顔を出し、
「あたしはポーラ・ミルヴァッシュ!ローゼスの操舵士やってるよー、こいつのダチさー」
「こらポーラ、新入りの前くらいちゃんと船長に対しての接し方を…」
「えー、いつもこうなんだしいずれバレるなら最初からこうしとく方が楽っしょー」
後ろからロカに抱きついたポーラが、ロカの頬を突っつきながらじゃれつく。
「ごめんね、リエル…こいつほどとは言わないけど、遠慮はしないで」
「は、はい…あの」
「うん?」
「男の人は、いないんですか?海賊船なのに…」
リエルが周りを見渡す。その視界に入る限り、この船には――
「あぁ。ブラック・ローゼスは女だけの海賊団さ」
「え…」
その、予想はしていたが正解だとも思っていなかった回答に、リエルは目を丸くした。
「私達は、女性の自由を追い求める、女性だけの海賊団よ」
「そう!あたし達は男だけだった海賊を女だけでやって、女は強いぞ!ってことを知らしめてやってんだ!」
ロカとポーラの意気揚々とした声が、リエルの心に打ち付けられる。
「自由…」
「そう。私達は、女性は男性と同格である、ということを示して、女性の権利を勝ち取ることを目指しているの」
「男どもをぶっ倒して、金を稼いで、おエライさんにわからせてやるってことさ!」
「ポーラがざっくばらんに言ったけど…そうして、男と女が同列に扱われる、そうなる世の中を作る。それが私達の目的よ」
ロカの淡々と、しかし力強いその言葉に、リエルの心は突き動かされる。
(女性の…自由…)
リエルが、スカートの裾をぎゅっと掴む。
「うわっ!」
そこから、染み込んだ血液が滲み出し、リエルの手と指を伝い、看板に滴った。
「あぁそうだ、着替えるのが先だったな」
「ご、ごめんなさい!床が…」
「気にしなくていいよ、黒の床なら目立たないだろうし、血なんていつも飛んでるからな」
「それ、血だったんだ…そういう過激なデザインの服なのかなーって」
「そんなわけないでしょ、ほら、もうどいてポーラ。…うん、下の部屋に服が置いてあるから、それを着ようか。船員になるのなら私達と同じ服を着ないとね」
「は、はい」
「じゃあ、ついてきて」
「いってらっしゃーい」
ポーラに見送られながら、二人は一段下の甲板に降りる。
下の甲板でも、黒を基調にレースやアクセサリーで着飾った、おおよそ海賊のイメージとはかけ離れた女性――というよりもほぼ全員が年端もいかない『少女』達が、三々五々自分たちの仕事やお喋り、釣りや昼寝に興じていた。
ロカとリエルはそのかしましい甲板の脇を進み、上段の下にある船室内に入っていった。
「なんだか、この船…」
「うん?」
「海賊船らしく、ないような…」
船室内も、装飾の施されたランプや、桃色の可愛らしい陶磁器、更にはぬいぐるみやフラワーアレンジメントなど、おおよそ戦う海賊船らしくないものばかりだった。
「私達は女性のために戦っているからね、海賊だからと女性らしさを失ってしまっては意味が無いから、こうやって女性らしさを保っているのさ。この服もその一環」
「ほあぁ…」
母国イギリスの実家にも、移民船でも見たことのない、「女の子の夢」を詰め込んだような部屋に、リエルの心は踊った。
「こっちだよ」
「あっ、ごめんなさい」
船内に見惚れていたリエルを、ロカが呼び寄せる。
船室の一番奥に、扉があった。黒でまとめられた船の中で、この扉だけ白色をしていた。
「入るよ」
軽いノックの後、ロカが扉を開け、リエルが続く。
中は、小さな礼拝室だった。
二列程度のベンチに、奥には小さな祭壇があり、キリストの像が置かれている。
その祭壇の前、最前列のベンチに、少女が腰掛けていた。
今まで見た船員達と違い、小柄で幼い――また年齢も二桁に達していないような雰囲気と、黒ではない、白基調に白レースで飾られた、純白の出で立ちをしている。
肩からベンチを経て、床にまで着く長い金髪が、呼吸でわずかに揺れている。
「アリシア?」
ロカが彼女の名前を呼んだ。だが、彼女――アリシアから返事はない。
こつこつと心地よい靴音を立てながら、ロカがアリシアに歩み寄ると、優しく肩を揺らした。
「アリシア」
「……ん…あぁ、ろか…」
宝石のような蒼い瞳をこすりながら、アリシアが目覚めた。
「また寝てたの?」
「うん……なんか、あったかかったから……」
気の抜けた声で、気の抜けた返事が返ってくる。
ロカはくすりと笑った後、
「新しい船員が来たから、服出すよ」
そう言って、入り口で立ったままのリエルに目線を向けた。
「こっちで待ってて、今出すから」
「は、はいっ」
「かぎー」
「ん、ありがと」
ロカがアリシアから鍵を受け取り、床のドアを開けて床下へ入っていった。
「……」
「ねぇ」
「わっ!?」
ぼうっと立っているリエルに、アリシアが声をかけた。
「わたし、アリシア。あなたは?」
「あ…私は、リエル」
「リエル……」
「うん、……?」
じっとリエルを見つめるアリシアに、リエルは首をかしげた。
しばらく見つめ合った後、
「わたしとおなじ、めと、かみのいろ」
アリシアが嬉しそうに笑った。
「初めて」
「そ、そうなの?」
「うん、きんいろも、あおいろも、あんまりいないから」
「そっか」
「いっしょ、うれしい?」
「うん、嬉しいよ」
「わたしも」
二人がゆったり笑いあっているところに、床からがちゃんと音がして、ロカが戻ってきた。
「ごめん、なかなか見つからなくて」
ロカの左手には、黒と白レースに彩られた服…ではなく、目盛りの書かれた紐が握られていた。
「じゃあ採寸するから、脱いで」
「……へっ!?」
あまりに唐突な宣告に、リエルが素っ頓狂な声を上げる。
だが、ロカは全くそれが当然のように、
「採寸しなきゃ合った服を出せないだろう?血のついた服を着続けるのも辛いだろう」
「そ、そう、ですけど…」
「自分で脱ぐのが嫌なら、私が」
逡巡するリエルの服に、突然ロカの指がかかった。
あまりのことにリエルが飛びのく。
「い、いいいいです!自分で脱ぎます!」
ロカとアリシアに背を向け、渋々服を脱ぎだすリエルだった。
「……うん、これでいい」
ようやく採寸が終わった。
「うぅ…」
「その恥じらいは女性らしいけど、少しは慣れてほしいな。ほら、タオル」
耳まで真っ赤になってうずくまるリエルに、ロカがバスタオルを手渡し、
「じゃあ、取ってくるから」
また床の下に潜り込んでいった。
タオルにくるまったリエルがベンチに座ると、アリシアが隣に寄ってきた。
「はずかしい?」
「うん…」
「なんで?おなじおんなのこなのに」
「同性でも、他人に裸を見られるのは、ちょっと…うん」
その回答に、アリシアがまた首をかしげた。
「たにん?このふねのうえでは、みんなかぞくだよ」
「…家族?」
「ろかが、そういってた。このふねのみんなは、かぞくなんだって、うんめーきょうどうたい?って」
「家族…」
リエルの頭に、つい先程目の前に広がっていた光景が蘇る。
「……」
「りえる?」
「あ、ごめんね…」
「りえる」
気落ちしたリエルの心を感じ取るかのように、太ももの上に置かれたリエルの手に自分の手を重ねた。
「りえるもかぞく。ありしあも、ろかも、みんなも、りえるのかぞく」
「アリシアちゃん…」
自分より幾つも下であろうその少女の言葉に、リエルはこの船に来て一番の笑顔を見せた。
「ありがとう、私も、この船の家族、だね」
「うん、だから、はだかもだいじょうぶ」
「それは…もうちょっと、待ってほしいかな…」
またリエルが困り顔に戻ったところに、
「すまないね、やっと用意できたよ」
ロカが戻ってきた。その腕には黒い服と、長い箱が抱えられていた。
「どうだい?」
「はい、ぴったりです」
「うん」
ロカが満足そうに頷いた。
白いフリルのついたベスト調のワンピースに、中には黒の長袖Yシャツ。さらに上から肘まで隠れるような長いフリル付ケープを羽織り、足はうっすらと薔薇の刺繍が施された膝より少し上のハイソックスで覆われ、黒い革靴に添えられた小さな赤リボンが映えている。金髪に纏われた頭には黒のミニハットがちょこんと乗っかり、そこに海賊団のシンボルたる「黒薔薇髑髏」が白い糸で印されている。
「にあってる」
「えへへ、ありがと」
アリシアの素直な感想に、リエルの素直な反応。
「えへへ…」
くるり、と一回転し、スカートがふわりと広がる。
リエルの顔には、「女の子」の素直な喜びが全面に現れていた。
「喜んでくれてなによりだ、じゃあ、もうひとつ」
ロカが持ってきた長い箱を開ける。
そこにあったのは、鞘や持ち手部分に真鍮で装飾が施された剣。
それを両手で持ち上げると、横倒しにし、リエルに差し出した。
先程まで優しい微笑みを見せていたロカの顔が、きりっと引き締まる。
「海賊である以上、戦うことはある。覚悟を決めて、これを受け取って」
「……」
浮かれていたリエルの顔も、緊張が張り詰める。
ゆっくりと伸ばされたリエルの手が、ロカから剣を受け取った。
ロカの手も借り、左の腰に剣を備えたリエル。
「じゃあ、剣を抜いて」
「は、はいっ」
柄を握り、剣を引き抜く。
少し引っかかりはしたが、白銀に光り輝く刀身が全て現れた。
「よし、では」
しゃきん、と心地よい音を立て、ロカがその腰に携えた剣を抜いた。
幾分細身で長いその剣身には、美しい薔薇の刻印が施され、一種の芸術品のようだった。
「えっ、その」
まさかここで、と慌てるリエルに対し、
「落ち着いて、ちょっとした儀式だから」
ロカがなだめた。
「こうやって、剣を捧げ持って」
「こ、こうです?」
「うん、そう」
言われるがまま、剣を持つ右手を胸元に持っていくリエル。
顔の正面に剣身があり、リエルの剣は彼女の頭頂部よりわずか上にまで、ロカの剣は頭頂部から彼女の頭半分ほどの長さまで突き出ている。
「じゃあ、始めるよ」
そのまま、二人は向かい合う。
「私、ロカ・ローズ・グッドホープは、リエル・カークトンを、このブラック・ローゼスの一員と認めることを、ここに誓う」
凛と張った空気と、ロカの鋭く、突き通るような声。
「私、アリシア・オブライエンは、ロカ・ローズ・グッドホープが、リエル・カークトンをブラックローゼスの一員として認めたことを、ここに証明する」
リエルが驚いて声のした方を向く。
そこには、先程までの幼いアリシアではなく、一人の「司祭」としての、アリシア・オブライエンが、先程とは全く異なるしっかりとした声と口調で、証人としての口上を述べた。
そして、その蒼い眼差しが、リエルを見つめる。
「…え、えっと」
リエルは、再度ロカの方を向いて助けを求めた。
「なんでもいいよ、正式な儀式ではないから」
「は、はい……」
なんでもいい、と言われたリエルは、頭の中でぐるぐると考え、必死に言葉を探し出す。
そして、
「わ、私、リエル・カークトンは…ブラック・ローゼスの一員として、この生命の尽きるまで…ろ、ロカ・ローズ・グッドホープに尽くし…すことを、ここに誓います」
言い切ると、リエルは大きく息を吐いた。
途切れ途切れで、おどおどした声ではあったが、
「うん、いいと思う」
ロカの頷きと、
「かっこいいー」
アリシアの拍手。
二人からも、お墨付きが出た。
「い、いいです、か?」
「あぁ、私に尽くすと言ったのは初めてだったけどな。普段はブラック・ローゼスに尽くすと言うんだが」
「うう、緊張しちゃって」
「でも、私に、と言うのも悪くはないな」
そう感想を述べると、ロカは剣を鞘に仕舞った。
それを見て、リエルも慌てて剣を仕舞う。
「ではこれより、君もこの船の一員だ」
「は、はい!」
「そう緊張しなくてもいいさ、仕事はゆっくり教えていくよ」
緊張の面持ちをしたリエルを見ながら、ロカが思考を巡らせる。
「じゃあ、最初はどうしようか――」
カーン、カーン、カーン。
ロカの思考は、突如として鳴り響いた高い鐘の音に遮られた。
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