Gosick Pirates

幸風咲良

第1話

「お父さん、お母さん……やだ、やだよお……」

 腰ほどまである金髪の少女が、その蒼い瞳から涙を流して必死に声をかける。

 彼女の目の前には、胸元を一突きにされて血を吹き出している男と、胴を左上から右下に一刀の下に切られ、息も絶え絶えの女が床に倒れている。

 男の見開いた目は、もう生気なく瞳孔を開ききって虚空を見上げている。


「…リエ、ル……」

 その女――リエルの母親が、蚊の鳴くような声で娘を呼ぶ。

「逃げ、なさい……あなただけ、でも……」

「やだ、やだぁ……おかあさん……」

 リエルは首を振り、母親に縋り付く。

 ベージュに緑のアクセントが入った、彼女の精一杯着飾ったワンピースが、父親と母親の血に染まっていく。

「リエル……あなた、が、自由、を…掴んで…」

 母親の言葉は、その心臓の停止と共に途切れた。

「…やだ、やだ!おかあさん!おかあさん!」

 リエルが涙混じりの声を上げ、母親の亡骸を揺する。


 それに対する返答は、母親からではなく、背後の扉からやってきた。

「あぁ?なんだ、まだ生き残りがいたのか」

 タンクトップに黒のズボン、海賊帽を被り、血のべったり付いた剣を右手に持った男――この移民船を襲った海賊の一人だった。

 海賊はリエルを一瞥するなり、

「んだよ女のガキかよ、小銭の一つも望めねぇ」

 ぺっ、と鍔を吐いて、悪態をつく。

 しかし、改めてリエルに向き直ると、凍りついて身動きの取れないリエルに剣を向け、

「皆殺しが船長の指示だからな、悪く思うなよ」

「…や、やめ…」

 リエルの微かな命乞いにも構わず、海賊は剣を振り上げた。

 息を大きく飲み、リエルは目を閉じた。


 破壊音と破裂音の後、リエルの身体に生暖かいものが降り注いだ。

「え……」

 リエルが目を開ける。

 その身体に剣はなく、ただ、赤い鮮血が降り注いでいる。

 前に向き直ると、先程の海賊が額から血を吹き出していた。

 どすん、と大きな音を立てて海賊が廊下に背中から倒れ込んだ。

「え……?」

 ぽかん、と状況を理解できず目を見開いているリエルに、背後から声がした。

「大丈夫?」

 リエルが声に振り返る。


 そこに立っていたのは、女性だった。

 その黒髪こそ短く切り揃えられてはいたが、眼帯のされていない左目の長い睫毛、うっすら赤を差した艶のある唇、細くしなやかな手足、わずかに膨らみを主張する胸、そして、黒基調に純白のレースが配置された、豪奢なドレスのような服。足元こそ黒のパンツルックで男っぽくまとめられてはいるが、その雰囲気は明らかに男性のそれではなかった。

 しかし、女性と言うには、明らかに異質なもの――右手に握られた、銃口から煙を上げるフリントロック・ピストル、右目につけられた黒い薔薇の描かれた眼帯、そして――頭の上に置かれた、レースやアクセサリーで彩られた黒帽に描かれた――黒い薔薇を咥えた、海賊の髑髏。

 彼女の纏う雰囲気の矛盾に、リエルは全てを理解できなかった。

「…え、あ」

 言葉が出ず口を魚のように開閉させるリエルから、女性は足元に転がる二つの亡骸に目をやった。

 既に息を引き取っている男と女と、返り血を浴びて呆然と自分を見つめる少女を交互に見やる。

「ご両親ね」

 その言葉に、リエルがハッと我に返る。

「あっ、あ……そう、お父さんとお母さんが、こいつら、に……」

 両親の亡骸に目線を落としたリエルは、また何かに気づいたように顔を上げた。

 目の前にいるのが海賊だと気づいたリエルが、身体と顔を強張らせる。

「あ、あなたも、私を…ころ」


「船長!」

 その言葉に対する返答は、またもや背後の扉から飛んできた。

 リエルが振り返ると、そこにはまたもや海賊帽を被った――女性がいた。

「船底に穴が空いてます!長くは持ちません!」

「わかった。持てるものだけ持って全員帰船して。私も追う」

「了解!」

 船長に指示を受けた船員が、ばたばたと駆けていった。

 呆気にとられていたリエルが再びその女性――『船長』と呼ばれていた彼女に目を向けると、

「貴女」

「ひゃっ!?」

 振り返った目の前に、彼女――『船長』の顔があった。

 その睫毛の長い、切れ長の赤い左目が、リエルの目を捕らえて離さない。

 一瞬、再び訪れた死への恐怖が湧き上がったが、彼女の言葉は意外なものだった。

「このままじゃこの船は沈む。私と一緒に船まで来て」

「…え?」

『海賊』からの意外な言葉に、リエルがまた素っ頓狂な声を上げる。

「ご両親を失って、このままじゃ助かっても貴女はどこにも行けない。なら私のところに来て」

「え、え……?」

 状況が中々飲み込めないリエルに、『船長』は語りかける。

「アメリカへ行っても、イギリスへ行っても、女で身寄りのない貴女の行きつける先は限られているわ。貴女も、それはわかるでしょう?」

「……」

 リエルが視線を落とす。

 逼塞した母国を離れ、厳しい環境でも、新たな可能性のある新天地へ、家族で。

 両親亡き今、戻ることも、進むこともできないことは、リエルにも明白だった。

「ご両親の後を追いたいなら、無理にとは言わないけど」

「後を……」

 押し黙るリエルに、『船長』がもう一つの選択肢を与えた。

 リエルの目が、両親に向けられる。

 最愛の、父親と、母親――だったもの。

 心の中に、母親の最期の言葉がリフレインした。


『あなたが、自由を掴んで』


 リエルが再び顔を上げる。

「…連れて、いってください、海賊さん」

 その言葉に、『船長』がわずかに微笑んだ。

「ああ」

 そう言うが早いか、『船長』は左手でリエルの腕を掴み、窓際へ駆け出す。

 蹴破られた窓まで寄ると、『船長』はリエルを強く抱き寄せた。

「しっかり捕まって」

「は、はい!」

 その言葉に、リエルは『船長』の豪奢な服をできる限りの力で掴んだ。

「行くよ!」

『船長』が窓枠にかけられていたロープを手に取った。

 リエルが目を下に落とすと、白波の立つ海面が十数メートル下に見えた。

 そして、後ろを振り返ると――父親と母親、二人が横たわっている。

 血の海に横臥する二人を、腕の隙間から見つめるリエル。

 これが、この家族の最期の姿だった。

(…さよなら)

 心の中で、両親との別れを告げた時、

 たんっ、と『船長』のブーツが鳴った。

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