第27話 再会
血が流れていく。
血――――――――――――
「――――――――っ」
雷禅は、雷鳴に撃たれたかのような衝撃を覚えた。
やっと理解した。いや、思い出したというべきか。行く手を遮っていた霧が晴れていくように、何を自分は知っていたのか。何を琥琅に言わなければならなかったのかが、唐突に明瞭になる。
どうして自分はこんな簡単なことを忘れていたのだろう。とても大切なことだったのに。
戦場にいることを雷禅が忘れそうになった間にも、全員で背を庇いあいながらの包囲網の突破は少しずつ進み、半ば成功しつつあった。一方の人垣が切れ、
元々この過激派組織は百集まっているかどうかといったところで、だからこそ幽鬼や妖魔、古の守護獣の力でもって圧倒的な不利を補おうとしていただけだったのだ。この乱闘では幽鬼の身体能力は活かせないし、妖魔はことごとく玉霄関を襲撃させている。妖魔の首領が手を貸さず、純粋な人間同士の戦いであるのなら、歴戦の武人二十名でも充分渡りあえる数だった。
それに。
〈雷禅! 生きておるか!?〉
ばさりと力強い羽ばたきがすると共に、空から声が降ってきた。影はたちまち降下して、雷禅の目線の高さまで下りてくる。
たった数日前にその声を聞いたというのに、懐かしくて嬉しくて、雷禅は涙腺が緩みそうになった。
「
〈
それは、雷禅が聞きたかった言葉だった。この数日間、恐怖で折れそうな心を強く保つため、何度も何度も夢想し、己を奮い立たせていた言葉。
琥琅は生きている。生きて今、雷禅を助けに来てくれている。――――雷禅が願い続けていたように。
「――――――っ」
感情が喉をせり上がってきて、雷禅は唇をゆがめた。喜びとも安堵ともつかない感情が胸で暴れて、痛いくらいだ。
「雷禅さん、もしかして、
「ええ。天華が導いてくれました」
弾む
雷禅より年下だというのに伯珪に負けない働きをしている黎綜の顔が、たちまち輝いた。その喜びを表現するべく、幽鬼を斬り捨て、伯珪のほうを向く。
「
「……! 皆、玉霄関へ行くのは中止だ! 秀瑛様が来てくださる! 踏ん張るぞ!」
目を見開いた伯珪がそう檄を飛ばせば、おう、と兵たちは応じて残る力を振り絞る。誰もの顔に先ほどまで以上の戦意がみなぎり、戦い抜くのだという強い意思で目がぎらついた。彼らもまた、洞窟の崩落を知って意気消沈していたのだ。雷禅は、秀瑛と兵たちの絆の強さを改めて思い知った。
そして、彼らが待ちわびていた時はほどなくして訪れた。
「おい野郎ども! 死んでねえだろうなっ!?」
吐蘇族の男を斬り倒し、新たな西域府君が姿を現した。伯珪や黎綜をはじめとする部下たちの顔に驚きが刷かれ、すぐ喜びがとって代わる。まるで戦いに勝利したかのようだ。
〈さっさと琥琅と合流するのじゃ! 雷禅、導いてやりゃ!〉
「ええ。――――皆さん、琥琅と白虎はこっちです!」
雷禅は声を張り上げ、天華が示すほうへ秀瑛たちを誘導する。それを受け、秀瑛は部下たちを励まし指示を下す。
互いを守りながら、雷禅たちは少しずつ前進していく。秀瑛を得て活力をも得た兵たちの働きはめざましく、過激派の者たちを寄せつけない。妖魔が玉霄関への攻撃にかかりきりで、こちらへ攻撃してこないこともさいわいした。雷禅たちの歩みは止まることなく、もう一つの再会のために進んでいく。
希望を胸に歩んでいたそのとき。ぞわり、と雷禅の全身の肌が粟立った。辺りに漂っていた負の気配が突如濃度を増し、雷禅は一瞬立ちくらみを覚える。
空から何かが来る。そう直感して雷禅が空を見上げると、妖魔を従えた真っ黒なもやが蒼天から雷禅たちのもとへ飛来していた。もやはまるで雷雲のように紫の筋を光らせ、邪悪の気配を撒き散らしている。
黒き神だ、と
〈餌がなかなか来ぬと思うたら、存外に暴れておるようだな……活きがいいことだ〉
ならば、と妖魔の首領は嗤った。
〈今少し、暴れさせてやろう。我を楽しませてみろ〉
妖魔の首領が言うや否や、付き従っていた何体もの漆黒の妖魔が雷禅たちに襲いかかってきた。
〈させぬ!〉
雷禅の援護をしていた天華は妖魔たちの前に躍り出ると、裂帛の気合を放った。不可視の衝撃波が生まれ、妖魔たちを消滅すらさせて残滓も残さない。ほんの数拍、邪気を斬り裂いて爽やかな風が周囲を吹き渡る。
不可視の壁でそれをしのいだ妖魔の首領は、ほう、とわずかに感心した声を上げた。
〈ただの化生ごときにしては、力があるな〉
〈これでも幾百の歳月、天地の霊気を吸ったのでな。はるかな時を生きたものであろうと、妾を甘く見るでないわ〉
低い声でそう啖呵を切った天華の身が、青白い炎に包まれた。燃え盛る尋常ならざる炎は見る間に四方へ広がり、形を成す。翼に首に、足に嘴。
青白い炎が質感を得たとき、その姿は、片翼だけで雷禅を包みこめそうな大きさの鳥に変じていた。華奢で優雅な痩身からは、先ほど放たれた風のように清冽で強い力の気配が放たれており、濃厚な邪気を寄せつけない。
これが天華の本性なのだ、と雷禅は理解した。彼女との付き合いはもう十年近くにもなるが、雷禅が彼女のこの姿を見るのは初めてだ。普段見る雌鷲の姿は、神獣をして強いと言わしめるこの本性を隠すためなのだろう。
天華の変化は、雷禅たちにとっての福音だ。だというのに、妖魔の首領もまた嬉しそうに口の端を吊り上げた。邪悪としか言いようのない笑みに、雷禅は立ち竦んで動けなくなる。
〈ああ、そこの人間だけでなく、ここにも良い餌がおったか。こたびの世はまこと、餌に困らぬな〉
邪悪な笑みが深まり、妖魔の首領の周囲に漂う力も濃密さを増していく。可視化されたそれはどす黒く、妖魔の首領の姿を半分以上覆った。周囲にも広まり、ぽかりと開いた空間を侵食する。
「に、逃げろ!」
間近にいた異民族の男が力のもやに飲まれ、声もなく倒れたのを見た途端。過激派たちはそれまでの憎悪の狂気から一気に覚め、一斉に逃げだした。もはや雷禅たちに目もくれない。ただでさえないに等しかった隊列は完全に崩れ、誰もが我先にと本能のまま、死から逃れようとあがく。
己を崇める人間たちの恐怖など目もくれず、妖魔の首領は力を放ってきた。刃の形をしたそれは、力のもや同様、天華の気配が退ける。
人外同士の戦いが繰り広げられ、常人の出る幕はなくなったと判断した秀瑛は部下たちに撤退を命じた。逃げる先は玉霄関だ。伯珪たちは声を揃え、今度こそ玉霄関を目指す。
けれど雷禅は、彼らと共に逃げることができなかった。
「っおい、雷禅殿!」
秀瑛の制止に構わず、雷禅は踵を返して走りだした。力のもやも、背後で幾度となく二つの力が衝突を繰り返しているのも気にならない。ただただ、望む人を探す。
行かなければならなかった。
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