第17話:神生み事件と――




 夜のとばりが下りた午後七時過ぎ。

 今日も今日とて、二人は学校へ行ってしまった。


 昼間、部屋に誰もいないのは寂しいものだ。

 しかも、今日はえらく帰りが遅い。


「遅い。連絡もなしにどこで道草してるんだろ」


 まさか、事件に巻き込まれてるんじゃないよね。


「ないない。二人とも逃げ足早そうだし、違うかぁ」


 小テストの点が悪くて補習させられてるとか。

 あの二人に限って、ないよなぁ。やっぱりただの道草だろう。


 うーん。ヒマだ。

 ベッドに座って携帯端末を確認しても、変化はない。


 腕立て伏せでもしようかな。

 体重が戻っても筋肉量が落ちたままでは、たるんだ身体になってしまう。

 筋骨隆々とまではいかなくとも、見苦しくない見た目にはしておきたい。見せる予定が一切ないのが虚しいけれども。

 いやいや、時間の有り余っている今こそやるべきだ! と、そっとシャツの襟をつまんで自分のお腹を見てみる。


「うーん。たるんたるん……ほぁっ!?」


 不意に膝に乗せていた携帯端末が振動し、素っ頓狂な声が出た。


「あーもー!」


 無意味に怒りつつ、画面をタップする。

 振動の原因はアナスタシアからのメッセージだった。


『今から聖区を出て帰るから、大人しく待ってて』


 短い一言にはアナスタシアとアンネリース、その他数人の女の子が写った写真が添付されていた。薄暗くて見えにくいが、どこかのお屋敷が背後に浮かび上がっている。

 高い塀と濃紺の屋根。剪定されずに伸び切った広葉樹。

 ひとの手が加えられずに放置された……あれ? ここって、もしかして。


 察した瞬間、心臓が止まりかけた。

 ダメだ。ここはアナスタシアが近づいちゃいけない場所だ。

 あの忌まわしい事件の現場じゃないか。


 何故友人らしき女の子とこんな所に行ってるんだ。

 あまつさえ、笑顔で写真撮影なんて。


 あー、僕吐きそう。

 思い出してしまった。記憶が甦ってしまった。

 封印していた追体験が鮮明に脳裏に上映される。


「う……ぷっ」


 まずい。本格的に吐くぞ、これ。

 僕は慌ててトイレに駆け込んだ。


 あー、くそっ!

 思い出しゲロとか笑えないって。



 *****



 青い顔のままベッドに臥せっていると、アナスタシアとアンネリースが帰ってきた。


「ソール君、顔色が気色悪いことになってるよ」

「またお腹を壊したのかしら?」

「気にしないで……。精神感応系お決まりの精神負荷による心労だから……」


 二人は首を傾げて不思議そうにしている。

 もう吐けるのは胃酸だけで、内容物は残っていない。

 しばらく食事を控えないとぶり返しそうだ。

 吐き気を押さえながら、普段通り僕は二人に夕食を振舞った。



 二人の食事中、僕はベッドにうつ伏せになってやり過ごしていた。

 枕に顔を埋めていると、いくらか楽になる。

 見かねた二人は、数分間隔で「大丈夫?」や「吐き気止め買ってこようか?」などと声をかけてくれた。気にしないでと言ったのが逆効果だったらしい。

 物凄く気遣われている。



 吐き気と戦いながら、僕はずっと逡巡していた。

 聞くべきか、聞かざるべきか。

 悩んで悩んで悩み続けて、ついに禁断の問いを口にする。


「なっちゃんもあっちゃんもさ、どうしてあんなところで写真撮ったの? あそこって――」

「あらソール。あなたもマリア邸の話、知ってるのね」


 マリア邸。

 十四年前に自らを破裂させて逝った、女の豪邸だ。


「知ってるもなにも、僕当時の報道見てたもん。二人はまだ生まれてすぐだっただろうけどさ」

「当時って、どんな感じに取り上げられてたの? やっぱりグルナード事件くらい大々的に、ばーっと?」


 アンネリースの青色が好奇心で輝く。


「始めはね。五日くらいニュースやワイドショーを賑わして、報道規制されたから。そこからはぱったり話題に上らなくなったよ。事件内容が猟奇的すぎるし、一般のニュースでも表現に苦慮したみたいだし」


 思い出したくない。


「ふぅん。私とあっちゃんが知ったのは……ええと、中学時代だったわよね」

「うんうん。同級生の男子から聞いて盛り上がった!」


 中学生が好きそうな話題ではあるが、あんまりだ。

神生みイースター事件。マリアと名乗る四十代の女が、双子の姉弟を誘拐、監禁し、凄惨な虐待を加えた事件。で、合っているかしら」

「合ってるよ」


 僕は枕に顔をめり込ませながら、アナスタシアを一瞥する。

 涼やかな表情を浮かべる彼女に罪悪感がよぎった。


「双子の姉弟は四歳から十四歳前後に渡って、マリアに洗脳されて育つのよね。あなたたちは神を生むために選ばれた神子だ、と」

「マリアは毎日毎日、ホームレスをそそのかして邸宅に誘い込んで、惨殺する。で、殺したホームレスを……」


 姉弟に食べさせた。


「神を生むためには人間の魂を食さなければならない、って理由で……。おぞましいわ」


 マリアが姉弟に課したのは食人行為だけではない。


「しかも、洗脳された双子は……ね」

「ええ。口にするのもはばかられるわ。汚らわしい」


 神を産むことを強いられた。

 十歳に満たない児童に、生殖行為を繰り返させたのだ。


 血の繋がった双子に対する、常軌を逸した誘拐事件。

 だから報道規制がかけられた。


 当然、あまりに血が濃すぎるため、子を成すのは困難だった。

 もし、成せたとしても生まれた赤ん坊は重大な染色体異常などを有しており、すぐに亡くなった。

 マリア邸には、そんな嬰児の遺体がごろごろ転がっていた。

 腐乱し、人の形を失い、ウジの塊となった亡骸が。


 しかし、複数回の失敗を経ても気のふれたマリアはあきらめない。

 マリアは身重の姉の代わりに、弟に命ずる。

 街に出て、人を狩ってこい、と。

 自らの手で狩った魂を姉と喰らえば、今度こそ神が生まれる、と。


 先代の神王の崇拝者は、再び神をこの地に顕現させるため、狂気を働かせ続けた。



 唯一の誤算は、外界へ放った弟が、キース・ラングリッジとリンラン・ローゼンクランツに邂逅してしまったこと。

 姉さんとキース先輩の告発により、事件は白日の下に晒されるのだ。


「たしか、精神感応系の少年が偶然姉弟の心の声を聞いて発覚したんだよね。未成年だから名前は出なかったけど」

「驚いたでしょうね」


 双子の弟は姉さんたちと知り合い、歪な友情を結び、数日後、姿を消した。

 安否を気遣った姉さんは、僕に彼の心の扉を探し出してくれないか、と依頼する。

 こうして僕は頼まれた扉探しを行い、弟を見つけ出すに至った。

 この際うっかり扉を開いてしまい、彼の記憶を追体験させられてしまったのだ。だから、思い出したくない。


 人肉の味なんて、一生知りたくなかったから。


「最後はマリアが法力自殺して、姉弟も衰弱死っていう悲惨な報道だったんだけど――」

「実は姉弟のどちらか、あるいは生まれ落ちた子供が生きている、なんて説もまことしやかに囁かれている。でしょう? ソール。一種の都市伝説に近いとは思うけれど」

「……うん。聞いたことある」


 保護された赤ん坊は姉さんが名付け親になり、児童養護施設に預けられた。


「私たちが知っているのは、うわさ好きの同級生が話していたこれくらい。尾ひれがついていないかしら」

「ついてないよ。一部を除いてはね」


 子供たちの幸せのために書き換えられた終わりは、十四年間手を加えられていない。


「被害者のいずれかが生きてるって説の信憑性についてはどう? ソールは何か耳にしなかった?」

「ないない。生存説こそ都市伝説や尾ひれの類だよ。当時、犯人も被害者もみんな死亡した、って話だったし」


 アナスタシアは知るべきではない。

 姉さんは赤ん坊の幸せを願った。平凡に生きて欲しいと祈った。

 その祈りを僕が壊してはならない。

 うそを吐き通すことこそが僕の使命であり、姉さんへの誠意だ。


 これは恐怖で足が竦み、マリア邸に乗り込まなかった僕の贖罪でもある。


 精神感応系の僕が行っていれば、マリアを生け捕りにできたかもしれない。

 犯人を法で裁けたかもしれない。

 姉弟の情報をもっと引き出せたかもしれない。

 ……もう手遅れなんだけどさ。


「なぁんだ。つまんないの」

「こんな話をしながらマリア邸に行ってたのよ、私たち。遊んでいたところから近かったから」

「気持ち悪い話題で盛り上がらなくてもさぁ……」


 僕は身体を起こし、ベッドの上で胡坐をかく。


「やけにテンションが高くて不気味なことばかり話すようになった友達が空気を読まなかったの! 私だって好き好んで足を運んだりしないわ」

「祟られそうだしね」


 潰えた時代に例えれば、悪魔崇拝に該当する狂者の蛮行。

 二代目の神王様に不満を持っていたにしろ、限度がある。



 イースター事件の弟は、姉さん曰く、人の心が欠落した少年だったそうだ。

 社会で暮らしていれば、当たり前に身につく常識は彼にとっての非常識だった。

 考えもつかない事柄だった。

 精神が四歳から育たずに歪められた、無垢なひと。


 純粋で一途で誰かを崇め讃えて縋りつかないと生きていけない、虚無の器。

 姉さんは彼のまっさらな思考が気にかかり、失踪後、捜索を開始したのだ。

 僕は情報を知っているだけの部外者でしかない。


 部外者だからこそ、毎年チャイカ園にケーキを届けても怪しまれなかった。


「なっちゃん、嫌なのにきっぱり断らなかったんだ」

「根はまっすぐで良い子なんだもの。私とあっちゃん以外はノリノリだったし、断れないわよ」

「ソール君は友達少ないからわからないんだよ。経験の差、だね」

「ごもっとも」


 友達が多いのも面倒くさそうだ。


「ふふ。今日の料理はさっぱりして美味しかったからこれ以上責めないであげるわ。嬉しいでしょう? おもちゃ」


 すでに皿の上は七割なくなっていた。


「ありがとうございますー。また油っこいって言われたらどうしようかなって思ってたんだよねー」

「ゆっくり休んで体調の回復に努めなさい? 青い顔で笑われるとこっちまでせり上がってきそうだわ」

「明日は食堂が特別メニューだから、お弁当もいらないからね。朝までしっかり寝るんだよ、ソール君」


 出会った頃よりずっと人間として扱われているのではなかろうか。

 アナスタシアもアンネリースも本質はとても優しくて思いやりのある子なんだろう。僕はあくまでおもちゃだから物扱いでも構わない。

 だけど、ふとした瞬間の優しさが身に染みる。


「うん。早めに寝て治すよ。一晩経あれば復活するからさ。……あ、そうだなっちゃんなっちゃん」

「なに?」


 夕方仕入れた情報をお礼に伝えなければ。


「いつも二人が見てるワイドショー、リンラン様が映るかも」

「え!? 本当!?」


 アナスタシアは、紫色をぎらつかせて身を乗り出す。


「多分ね。プリエの件や家族についてインタビューを受けたってコマーシャルしてたよ」

「リンラン様ぁ……ふふふっ。昼間にテレビを見られる無職のおもちゃは役に立つわね」

「それどこをとっても誉め言葉じゃないよねぇ?」


 素直に喜べない。

 否定すらままならないのが悔しい。


「ソール君、今日は私たちがお皿洗いするから休んでて? 今にもひっくり返って泡吹きそうな顔してるよ」

「表情が? まさかぁ」

「いやいや。覇気がなさすぎ」

「初めて会った日と一緒で、死にそうな顔してるのよ、あなた」


 誤魔化すのもうそをつくのも得意なんだけれど、今回ばかりは無理だったか。

 僕も脆弱野郎なこった。まだ指先が冷たく痺れている。

 一晩寝たら楽になっていてほしい。


「うわぁ。じゃあお言葉に甘えてもよろしいでしょうか……」

「甘えて甘えて。今だけ限定で砂糖山もり。夕飯の残りは冷蔵庫に入れておくから、気が向いたら食べるんだよ?」

「はーい」


 僕は再びベッドに横になる。

 一人暮らしなのに、一人暮らしじゃないみたいだ。


 これまでなら、一人で苦しまないといけなかったのに。

 全部全部、自分で世話をしなければならなかったのに。

 まさかお嬢様方にいたわってもらえるとは。


 口が裂けても、恋人がほしいとは言えない。

 誰かを幸せにする自信もない。

 責任感もまだ僕には足りていない。

 人生の中で、救えなかった人が多すぎたのだ。


 でももし、誰かと暮らせるようになったら。

 おもちゃをクビになって取り残された時、僕はきっと人肌を求めるのだと思う。

 孤独ほど、孤立ほど、人を痛めつけるものはない。人の心を抉り取るものはない。

 そして、僕は痛みに滅法弱い意気地なしだ。

 傷口に包帯を巻いてくれる誰かに焦がれ続けて生きる、軟弱者だ。


 半年前、強がっていても壊れるだけだと思い知らされた。

 もう二度と繰り返してはならない。

 また壊れたら、今度こそ間違いなく完全にスクラップになる。


 僕は弱い。

 僕は傷物だ。

 僕は愛されたい。かたちはどうであれ、愛されていたい。つながりを欲している。


 方法も手段も知らない白紙の状態から、未来を築き上げる。

 生半可な道のりではないだろうけれど、僕は陽だまりにいたいのだ。

 充電が終わったら、明日を始めよう。

 アナスタシアとアンネリースが幸せになった世界で、僕は年老いて死にたい。



 ああ、でも、まだまだ先になりそうだなぁ。忘れないようにしなきゃ……。

 皿洗いの音を聞きながら、僕はまどろみへ落ちていった。


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