好きじゃないと言ってくれ
鶇
好きじゃないと言ってくれ
ドン、と鈍い音を立ててジョッキが机に置かれた。
「だからぁ、俺は毎回ちゃんと約束してるのに」
そういって今日休んでいた同僚は、「生もう一杯!」なんて掛け声と共に皿にキレイに並べられたつまみを手元怪しくかじり始める。
彼の呼び出しを喰らって体面に座った僕はといえば、やってきた店員さんに「生一つ追加お願いします」と小声で頼み、一緒につまみを箸でつつくくらいしかやることはなかった。
仕事が終わり、さていつものようにかえってご飯でも作るかといったところでの呼び出しである。理由もなく欠勤していた彼の存在は朝に確認していたので、「すわ、緊急のSOSか」と心配になって来たらこのありさまだ。
漏れ聞く彼の言葉を拾うに、どうやら彼女にフラれたらしい。
しかも、二股されたうえで乗り換えられたとのことである。
今回、累計4回目とのこと。御愁傷様。
「毎回毎回、ちゃんと付き合う前に「好きじゃなくなったら言ってくれって」次に行く前に別れてくれって頼んでるのに……どうしてどいつもこいつも」
「どうして」「何が悪かったんだ」と不明瞭な言葉で呟き続ける同僚。かける言葉が見つからずにひたすらつまみをつつく僕。誰も彼も好きに話している活気ある店内。どうにも状況は、仕事終わりの疲労を抱えた僕の縮小した処理能力を超えていたようであった。
はて、どうするか。名案浮かばぬ。一体何と声をかければいいのかと悩んでいると、注文の品が店員のしなやかな手によって運ばれてくる。
流れるような配膳に、場違いにも感心していたら、彼はまた追加の酒に手を出し始めた。そしてまた前後の判然としない言葉と共に、愚痴とも分からぬ言葉をこぼし始める。
ふと、僕も気づく。
僕、ここにいる必要なくないか?
そう思ったら、心にもなんだかむくむくと雲のように苛立たしさや、腹立たしさといった感情が育ち始める。
僕らは別に、プライベートに誘い合うほど仲がいいわけでもない。仕事場でよく会話をし、趣味の話を多少するくらいには親しい仲だが、こんな風に突然呼びつけられて愚痴を聞かされることを許容する仲では断じてない。
ましてや本日、彼の無断欠勤のとばっちりで僕の負担はぐんと増えていた。
「あのさ。君は、人がどうでもいいと思ってる人との約束を律儀に守ると思う?」
苛立ちが声に出たのか、口をついて出た一言は思うよりも大きかった。
「……どういう意味だよ」
「言葉通りの意味さ」
落ち着くために笑みを浮かべ、ジョッキを一飲み。うん、美味しい。
さてさてそちらがこちらを呼び出して好きに語るというのなら、こちらも好きに語らせていただこう。そのくらいの権利はあるだろう。
「人なんていい加減ないきもんだよ。約束なんて覚えられてなかった。もしくは覚えていても守る義理も必要も感じなかった。あるいは恋人の存在自体、そこまで心の大きな部分を占めていなかった」
「碌に知らない癖に何を知った気になって」
「これは推測さ。別に聞き流してもらって結構だよ」
僕だって君の言葉を聞き流しているように。口の中で台詞を転がして、喉を潤す。
人の話は聞くのも流すのも多大なエネルギーを使う。ましてや、人の心を推し量って話すなんて、酔って鈍感にでもならなきゃやっていられない。
今しばらく倫理観に目を瞑れ。もう一人の僕が囁く。
「碌に知らないのはお互いさまだろ?」
「俺は知ってた!」
「心が離れていたことには気づかなかったのに?」
心のどこかが痛む風に顔を歪める。
きっと僕も同じような顔をしてるだろう。ビールを口に含む。苦味が広がる。
「話を戻すよ。
人が何を大事にするかなんて人それぞれだし、彼女にとって君との約束はそれほど大事じゃなかったとしよう。なら君は、君の大切に思う約束を守ってくれる新しい人を探すべきじゃないの?」
「……そんな正論。聞き飽きてる」
「そうかい。そりゃあ残念」
さて、言いたいことも言い終えた。まあ、届かなかったけれど。特に悔しくはない。
今の一言が痛恨の一撃だったのか、彼は机に伏し始める。酒も大分進んでいたし、既に酔いが回り切っているのだろう。
彼が周りの喧騒に負けないいびきを立てはじめたころ、僕は店員さんに新しい料理を注文する。
それを待つ間、僕はゆっくりとジョッキを傾けた。
「僕としては君が早いとこその子のことを気にしない日が来ることを祈ってるよ。彼女今頃ケーキでも食ってるだろうし、無関係の人のことなんて気にしないことをお勧めするけどね」
適当に嘯いて、底に残ったビールを口に入れる。
さっきより苦かった。
好きじゃないと言ってくれ 鶇 @1tugumi
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