第33話 『負傷兵』

 少しくすんだ白壁が真っ直ぐ続く廊下に、消毒液の潔癖な臭いが充満している。国立第一総合病院。重傷を負った東京都の夜勤負傷兵はだいたいここに送られてくる。

 脳神経外科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科口腔外科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、精神神経科、整形外科、泌尿器科、産婦人科――長方形の白い箱の中に人体の中身をもれなく順序よく配置したように、治療環境が完備された巨大総合病院。廊下に貼ってある青色や赤色の案内矢印が血管なら、その血流に乗ったように、目的地まで可動式ベッドが流れ着く。

「深達性含めて、第Ⅱ度熱傷三十%を超えています!」

「第Ⅲは! ?」

「顔面部――ゴーグルのかかっていない部位が……!」

「ううむ……川島教授もお連れしろ! 皮膚科から! 急げ!」

 外科の前で急回転し、ストレッチャーは白衣の人たちの手によってその中に吸い込まれていく。扉がばたんと大きな音を立てて閉まり、追いかけてきた一琉たち一班も、そこで足を止める。消えていったストレッチャーを心配そうに覗きこんでいた看護師の一人が、こっちへ来て言った。

「こんな無茶……太陽光線銃の前に飛び出していったんですって? どうして……」

「いや……」

 一琉は言おうとしてやめた。無茶をしたのは隣でうつむいている委員長の方だ。棟方は、どんな過酷な訓練・実戦でも決して音を上げないし、その上で効率良いやり方を選ぶ聡明さを持ち、全てをなげうつ様な――それは機械のような無にも似た――努力に裏打ちされた確かな実力を持つ。それで何度も一班の窮地を救ってくれた。その棟方が、こんなところに運ばれてきている。委員長が馬鹿やって飛び込んだせいだ。そうだ。でも……委員長ばかりも責められない。なぜなら、委員長があそこで身代わりになろうとでもしなかったら、一班がやられていたかもしれないというのも、現実だからだ。加賀谷か、有河か、それとも自分が。死んでもおかしくない。委員長が無鉄砲に飛び出して、それに優秀な棟方が追随した結果、死者を生まずに負傷だけで済んだともいえる。

「でも、幸運でしたね。いつもならこの時間は、負傷兵の対応に追われているわ。今日はたまたま重症度の高い負傷兵が他にいないから、最優先で治療してもらえていますよ」

「そう、なんですか。いつも、そんな風に……」

「ここ最近はね。医療機関だって悲鳴を上げているわ」

 凍りつく。このまま夜勤をやっていたら殺されるのは、間違いない。

 誰に? 死獣に? 親である国に、か?

 一人ずつ、奪われていく。

 絶望的な気分だ。

 本当に、俺たちは、生まれた時点で死んだものとみなされているということなんだろうか。

 委員長も、加賀谷も、有河も、その場にみんな立ち尽くしていた。

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