第14話 『迷子のうさぎ』上

 ふと何かの気配を視線を感じ前方へ向けた。もう自宅の近くまで来ていた。思わず携行銃と発信機に手をかける。死獣? いやまさか。こんな時間に。ひやりとした感覚が、酔いと眠気を醒ましていく。

 アパートの影からぬらりと現れたのは。

「お……ま……え、なあ……。なに……のこのこ……」

 怒りとも呆れともつかないような感情に呑み込まれていく。

 白いワンピース姿で、破れかけのボロボロになったスリッパを履いた少女。

 言いたいことが多くて言葉にならない。

 なんで最初待ってろと言ったにもかかわらずいなくなったとかなに基地の外で夜にふらふらしてたんだよとかなにのこのことまた出てきて人の家の前で待っているとか……

 野々原まひる。

 出でかけの太陽を背に、当てどない視線をこちらに向けてくる。

「あのなあ……」

 一琉はイライラした気持ちをぶつけるように足早に近づいた。こいつの首根っこつかんで本部につきだしてやる!

 ……そのまえに。太陽はこいつの味方らしい。さっきから肌がぴりぴりと焼けるように痛くてそろそろタイムリミットだ。

「とりあえず、ウチ入れ……」

 アパートの二階を指差して、ため息混じりに言ってやる。まひるは微かに緊張したように、でもそれ以上にどっと安堵したように、頷いた。


「お……おじゃま、します……」

 おずおずと、まひるは一琉について家に上がった。

 狭い靴脱ぎ場でもたつき、細い手足をばたつかせてよろけていた。一日二日で履きつぶしたであろう真っ黒に汚れたスリッパを隅にちょんとよける。元は白かったんだろう。紙製か布製か判別できないが、室内用と思われるスリッパだ。強度が感じられない。なんでこんなものを。

「とりあえず、入って座れ」

「はい」

 これでも散らかしてはいないつもりだが、女から見るといかがなものか。

 まひるは玄関入ってすぐ左手の小さなキッチンと右手の風呂、トイレを通り、突き当りのリビングまで進んで、左半分をベッドが占めるその部屋の中央にある机の手前でぺたんと座っていた。

 こういうときは、お茶を出すのか?

 一応、配給制(ただし金はとられる)の弁当に付いていて飲まなかった時のお茶が何本かある。用意している間の気まずすぎる沈黙が嫌で、一琉は急いでパックのお茶を二つ机に並べ、官帽を脱ぎ、太陽光線銃の入ったホルスターを帽子掛けにかけると自分も向い合せに座る。まひるは驚いたような顔でしばらく太陽光線銃を眺めていた。これがそんなに珍しいか? まひるはお茶に気付いてこちらを向くと、

「あ……お茶……ありがとう、ございます。私、なんの手土産もなく……」

「そんなものは別にいい」遊びに呼んだわけじゃないんだからな。

「で、ちょっといろいろ説明してもらいたいことだらけなんだが」

「はい……」

 さっそく本題に入ってもらおう。

 しかしなにから聞こうか少し悩んでいると、まひるのほうから告白してきた。

「あの……私」

 視線がぶつかり、静止する。

「追われているんです」

「追われている?」

 おうむ返しについ訊ねてしまった。

 あまりの切り出しに……ついあっけにとられて。

「そう……なんです。でも、何から逃げているのか、記憶があいまいで……。誰が敵なのか、味方なのか、よくわからないんです」

「……」

 とりあえず、ストローを挿してお茶を一口。一琉が黙っていると、彼女はもう待たず、語り始めた。

「知らない場所で目覚めた時、私を見ていたのがあなたで、あなたは私を知らないようだったから、きっと私を追いかけている人たちじゃないと思って、声をかけたんです。でも、外で待っているうちに、見覚えのあるような人たちの集団を見かけたんです。ここを離れなきゃって思って、少し遠くまで走って、なんか、門……みたいなの出て、彷徨っていたらいつの間にか夜になっていて……また偶然一琉さんに助けてもらったけど、ちょっと、あまりにも、人が多すぎて、もしかしたらその中に関係者がいるかもしれないと思って、見つかっちゃうかもしれないと思って、大騒ぎになる前に逃げました。ほかに当てもないし、それで……言われた通りにアパートの前でもう一度待っていることにしたんです」

 ……

 最初待ってろと言ったにもかかわらずいなくなった理由と基地の外で夜にふらふらしていた理由とまたのこのこと出てきて一琉のアパートの前で待っていた理由はよくわかった。が、とあることが引っ掛かりすぎて、うまく処理できない。

「なんで、追われている」一琉はそう質問して答えを待つ。

「ぼんやりとしか、思い出せませんが……私を追っている人たちは私が必要、みたいです」

「じゃあなんでおまえは逃げている」

 今度はそう聞くと、まひるは顔を歪ませて、ひどく狼狽したように呻いた。

「……絶対に戻りたくない、という感覚だけははっきりあるから……です」

「詳しくは思い出せないのか」

「そうです」

「記憶が部分的にないのか?」

「そうだと思います」

 ふう……む。

 この少女は、なぜ追われているのかは自分でもよくわからないが、しかし感覚的に非常に嫌な集団から逃げているらしい。

 そんなことってあるのか?

「死獣の前に飛び出ていたな」

「あれは……わからない。勝手にそうしていました。なんか、あの子に話しかけられたような気がして」

「刀を振っていた女に?」

「違います。その人じゃなくて、死獣? に」

「……」

「死獣にあいさつでも返したってわけかよ」

「たぶん、そんな感じです」

 ……おいふざけてるのか。

 だが、まひるは大切なことであるかのように至って真面目に頷くから、仕方なく。

(追われていることと……なにか秘密でもあるのか……?)

 一琉は結び付けて頭を巡らせる。

「本部を頼るのも、だめなのか?」

 まひるは苦しそうな顔で首を振った。

 しかし本部まで関わって追っているとしたら、それはもう犯罪者ぐらいのものだが。

 こんなあどけない顔して、実は凶悪犯罪者とか。悪の組織の一味? その脱走者とか?

 ははっ。関わらない方がいいかもな。

 時計を見ればもう朝の六時半だ。弁当食って、銃の手入れして、風呂入って、明日の準備して、ってテキパキ終わらせていかないと寝るのが遅くなる。佐伯と飲んでいたし、今日はもう時間もそうたくさんない。

 それに、こいつを追い出すことは、簡単にできる。

「俺に何を求める」

 すると、間髪入れずに返ってきた。

「か、かくまってください!」

 一琉はどぎまぎして身をそらせた。

 顔、近いぞ……。

  “かくまう ”ねえ……。まるで映画の中の世界だな。

 年下の、何の力もなさそうな女。用心しなければならないことを忘れそうになるが、見知らぬ人には違いない。泊めてやったら次の日貴重品とともに消えていることだって普通にあり得る。豊かなはずの昼生まれが、貧しい夜生まれからわざわざ物を盗ることもないかもしれないが。一応気を付けなくては……と、それより。

「俺は男だぞ?」

「え、えと……」

「異性の家だぞ、ここは。かくまうって、一日や二日の話なのか?」

 まひるはそのことにたった今気が付いたような顔で、慌てて視線を彷徨わせている。

 考えなしで来られても俺が困るんだが。

 だって、かくまうってことは一緒に住むってことだろう。普通異性が一つ屋根の下に過ごすってのは、それなりの関係じゃないとありえない話だ。自分はいかにも男らしいという顔体つきではないが、かといって女にまでは見えないはずだが。それともまさかこいつが男なのか。だとしたら自分の常識を疑う必要がある。

「ほかに、当てもないですし……」

 まひるは、途方に暮れ、いっそ開き直るように言い切った。

「あの研究室よりは……いいです」

「なんだそれ」

「元いたところ……思い出したくない。たぶん……だから、思い出せないんだと思う。そんな、ところです」

 怯え、諦めたような表情を浮かべる年端もいかぬ少女。彼女のうつろな視線の先――壁の向こうには、まだ薄暗い早朝の、冬を前にした寒い風吹く外が。

 追い出すことは簡単にできる。……できる、はずだ。

 「男の家に入るなんて、それなりの覚悟があるんだろうなあ?」なんて、甘っちょろい昼生まれにそんなものはないのを前提にたたみかけて脅してやろうと思ったのに。

 これはもしかしたら……居直り強盗より追い出すのがやっかいかもな。やれやれだ。

 まあ、こいつはたしかに自分を顧みず死獣の前に飛び出ていた。俺らは命を守られたということになる。そんなこいつを犯罪者と疑うのは無意味かもしれない。身を挺してわざわざ守ったって意識は、こいつの中にはないみたいだが。

「……わかったよ」

 まったく、へんな昼生まれは来んなよ。

「仕方ないな……こういうときは、あいつだ」

 頼りたくはないが、女性なら適任者が一人思い浮かぶ。少しだけ世話を焼いてやろう。

 一琉は立ち上がると、ついてくるように手招きしてドアへと進んだ。

「え、えと……」

「泊めてくれそうなやつのところに連れていってやる。女だし、俺より優しいだろうよ」

 それを聞いて、思わぬことに驚き、心底ほっとしたような顔をするまひる。

 まったく、最初から俺なんか頼るんじゃねえっつの。

「ちょっと走るぞ。いいな」

「は、はい!」

 ドアを開け放つ。差し込む白い光。

 くそっ、もう日が……。毒々しい太陽だな。昼間よりマシだろうが。目の前で顔を覆うように片手をかざして、玄関先に掛けてある黒の外套を引っ掴む。日除けの黒衣だ。頭から足まですっぽり覆い隠してくれる。そして黒の中折れ帽を頭に被せてからサングラスをかけホルスターを腰に巻く。外出時の一連の流れだ。振り返ると、もの珍しいものを見るように、まひるはまじまじと上から下まで見ている。

「俺は日に当たるとまずいんだよ」

「そ、そうなんですね……」

 ドラキュラにでも会ったような顔しやがって。

「さっさと来い」

「は、はい!」

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