この小さな街の何処に、こんな数の屍が潜んでいたのだろうか。

 どんなに倒しても小路という小路から次々湧いてくる屍の群れに悪戦苦闘しながらも一体一体確実に仕留めていく。


 斬られて悲鳴を上げるどころか全くの無表情なのに、どこか悲愴な表情に見えてきて刃から伝わってくる感触が嫌に重い。



「璃子ちゃんは無事かしらねぇ。ちゃんと間に合っていれば良いのだけれど」



 途中、騒ぎを聞きつけてやって来た灯野当主がそんな事を呟いた。

 相手の屍とは術の相性が悪く、護符も手持ちが残り僅かの状態で完全に足手まといのそいつは灯野当主が駆けつけた後、後は頼んだと言い残して一人だけ屍を蹴散らしながら少女の後を追って行った。


 本来なら、屍憑きのあいつではなく自分の役目のはずなのに。桐生家は鈴切家が後見しているのだから、跡取りである自分が率先して行くべきだったのに。



――どうして屍人憑きバケモノなんかが。



 ぎり、と握った拳が鳴った。

 

 耳元まで裂けた口をがぱりと開けて襲いかかる一体の屍を薙ぎ払っては少しずつ前に進んで行く。捌き切れず屍の密度が濃くなってくると灯野の術で創り上げられた火柱がその中心に上がって周囲を焼き尽くした。


 それを目の当たりにしてもそれらは怯える様子も恐怖も感じられない。見た目は人間なのに動きはまるでからくり仕掛けの人形のようでそれが一層り難くしていた。



「なんだか……本意ではない人間をいたぶっているようで、いい気分ではないわねぇ」



 胸の内を代弁する様に、灯野当主は憂いを帯びた溜息を吐いた。

 千李が振り返ると道には黒い煤がまばらに地面を汚している。肉の焼けた独特な臭いが鼻腔を刺激してすぐに顔を背けた。


 

「当主、この屍の群れは何なんです。どうしてこんなものが街中を平然と彷徨っているんですか!!」



 緊張、疲労と相まってか自然と語尾が強まった。当主はそれを気にすることなくこの場には似つかわしくない、おっとりした声で質問に答える。



「さて、私も良くは分からないのだけれど。桐生家で人間の亡骸を多数、発見したという報告は聞いているわね」

 

「桐生家で……? そんな、馬鹿な」


 


 ――お父さんなんです、きっと。




 少女が走り去る前の言葉が頭を過る。


 

「まさか、桐生当主が……?」



 現桐生当主は妖術師ではない。桐生家に婿入りして来た一般人だと聞いていた。

 どういう経緯で当主となったのかは不明だが、当人は見る限りでは至って温厚。むしろ虫一匹殺せないような雰囲気すらある。

 ましてや屍をどうこうするような人などと到底考えられなかった。


 釈然としない胸の内を抱え、向かって来た三体を一気に斬り伏せ進み、ようやく見えて来た桐生邸。

 

 最後の悪あがきだろうか。

 行かせはしないとでも言うように、落ちていた腕が、脚が虫のように地面を這い、次々と目の前に飛び掛かってくる。

 

 あと数歩の距離なのに。

 

 突然、周囲に響く程の爆音が――炎が屍の周囲に吹き上がった。



「残り僅かの妖気を浪費したくないのだけれど、そうも言ってられないのよねえ」



 目鼻の先から迫る熱気を慌てて避ける。悩みが尽きない様子でゆったりと語る老女には流石に憤りを禁じ得ない。



「当主、能力の制御があまりにも適当では?」

 

「あら、それくらい避ける事ができなくて、どうして妖と張り合えるのかしらねぇ」



 朗らかに微笑みながら皮肉を言う当主に顔が引き攣る。何百年と伊達に生きている訳ではなく、きっと何を言っても全てうまく言い包められる気がして苛々と溜息を吐いた。



 そして桐生邸宅前。

 周囲の騒動の割には何事も無かったかのように門前は沈黙していた。


 意を決して開いた扉の先には……



「っ……、何だ、これ」



 肉と血が床を汚している凄惨なその現場に思わず後退りした。

 外の屍の群れとは比べ物にならないくらい強烈な腐敗臭が鼻腔を刺激し、喉元から酸味が込み上げる感覚が襲う。



 

(桐生家の当主は一体、何をしていたんだ――)

 


 地獄のような光景を前に呆然と立ち尽くしていると、すぐ横を灯野当主が通り過ぎる。その先には不自然に凹んだ壁に凭れ掛かっている屍と桐生家の少女。



「璃子ちゃん……酷い怪我はないようね。集くんは、あらら、その腕。もうダメね」


「なんで俺だけそんな軽いんだよ」



 気怠そうに言葉を返した屍を他所に、少女は一言も発さない。駆け寄るとぐったりと目を閉じて屍に凭れ掛かっていた。

 まさか、手遅れだったのだろうか。さっと血の気が引く。



「璃子ちゃん? 璃子ちゃん!?」



 無理に揺すらないの、と灯野当主にしては珍しく強めの声が降ってくる。



「気絶してるだけだろ。無理もねえよ、あり得ねえ事が一遍に起こったんだからな」



 疲れたように息を吐いて、前を見据える屍。

 視線の先には頭部のない身体が血の海に沈んでいた。


 どこか見覚えのあるその体格からして、桐生当主だろうか。



「言っとくけど、俺がやったんじゃねえぞ」



 振り返ると疲労の色が濃い眼と目が合う。



「大方、素質がないクセに無理に術式を組み立てた結果、妖を制御できなくて暴走したんだろ」



 心底迷惑な話だ、と溜息混じりに呟いて屍憑きは目を閉じる。


 桐生当主が事の原因である事は灯野当主の発言によって察しはついた。

 しかし動機は? 妖を縛り操る術式は確かにあるが、それでどうして妖気を持たない普通の人間が術式を動かせたのか。そもそも、どうしてここまでの大事をしなければならなかったのか。

 自分の娘まで巻き込んで。



「とりあえず家で休ませましょう。ここだとあんまりだもの。私はここを片しておくから、集くんと璃子ちゃんを頼んでいいかしら?」


「え、はあ」



 家、とは灯野邸の事だろう。

 確かにこんな所、大した怪我もしていない自分でも、一刻も早く出ていきたい。精神的にも重症であろう彼女にとっても、良くない事は言われなくても分かっている。


 ……だが、どうして僕が屍憑きまで面倒を見なければならないのか。


 その雰囲気を察してか、鬱陶しそうに残った手を振って、



「俺はいいからコイツ頼む。抱えようにも手ェ足んねーし」



 平然として失くした腕を揺する屍憑きにほんの僅かな同情心と、どこかおぞましいような、複雑な感情が湧くが頭を振って誤魔化した。

 

 人喰いの、妖のクセに。

 

 惑わされるのはどいつもこいつも、人型をしているせいだ。




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