3.若気の至り

 ”ドコッ!”

 鈍い音共に拳が鼻っ面に入った。

「グホッ!」

 喰らった男子生徒が吹っ飛ぶ。

「てめぇ!」

 別の男子生徒が殴りかかる。それを寸前でかわすと、空振った男子生徒は前のめりになった。

”ボスッ!”

 そこを狙って腹に膝蹴りを入れる。

「ゲホッ!」

 呻き声を上げた男子生徒はその場に崩れ落ちた。

「この野郎っ!」

 またも別の生徒が、死角を狙って拳を繰り出す。それもあっさりかわすと、顔面に肘鉄を食らわす。

「ガッ!」

 男子生徒は、鼻血をまき散らしながらその場に倒れ込んだ。

「こいつ!」

 最初に拳を喰らった男子生徒が起き上がり、またもや襲いかかろうとする。

 その時……、

「あなた達! 何やってるの!」

 女子生徒が一喝した。

「やべぇー、委員長だ」

 その声に男子生徒達は慌ててその場を逃げ出した。

「待ちなさい!」

 女子生徒は呼び止めるが、その制止を振り切って男子生徒達は逃走した。

「まったく……」

 それを追いかけようとはせずに、女子生徒は困り顔で見送ってから後ろを振り向いた。

「また蓮實君なの?」

 一人残った天道は、ムスッとした表情で女子生徒――あかりを見た。

「一体、なにが原因なの?」

「アイツらが、俺の髪を変だって笑ったんだ」

 背中まで伸ばした栗毛入りの髪を後ろで縛った天道は、毛先を指で弄びながらふてくされたように言った。

「そんなことぐらいで……」

 黒髪を三つ編みにして、黒縁眼鏡を掛けたあかりは呆れたように腰に手を置いた。

「どうして君は、いつも喧嘩ばかりしているの?

「向こうが絡んでくるだけだ」」

 眉をつり上げてお説教モードに入ったあかりに、天道はやさぐれた。

「お姉さんも心配してるよ?」

 その態度が気に入らなかったあかりは、ますます眉をつり上げた。

「勝手に心配させとけばいいさ」

 空子の話をされて、天道は露骨に嫌そうな顔をしながら吐き捨てた。

「そんな事言って……」

 まったく反省の色が見えない天道に、あかりは辟易となった。

 それはまだ、天道が中学一年生の時の話だ。

 天道はクラスでも問題児で、いつも乱闘騒ぎを起こしていた。そこをクラス委員長であるあかりが止める。そのパターンが日常茶飯事になっていた。

 あかりにとって天道は、常に目を届かせておかないとなにして出すかわからない頭痛の種だった。


「委員長! また蓮實が喧嘩してるよ!」

 女子生徒の知らせで、あかりは現場に急行した。

 体育館裏では、天道が男子生徒二人と対峙しているところだった。

 殴りかかる男子生徒を紙一重でかわしながら、カウンターで反撃する。それが天道の戦闘スタイルだった。

 男子生徒達は既に何発も喰らって、頬が張れ、鼻血も出していた。それに対して天道は傷一つ受けていない。

 一秒の感覚の長い天道にとっては、普通の中学生の拳や蹴りなど、ハエが止まるぐらい遅いのだ。

「なにやっるの!」

 あかりの怒鳴り声に、男子生徒達が拳を止めた。

「また委員長かよ!」

 そして、すぐさまその場を退散する。

「ちっ……」

 それを見た天道は露骨に舌打ちをした。

「止めるなよ」

 それからあかりを詰った。

「せっかく良いところだったのに」

「良いところって……」

 あかりは呆れるしか無かった。

「そんなに喧嘩が好きなの?」

「ストレス解消にはなる」

「ストレス解消って……」

 言い切った天道に、あかりは前々から気になっていた事を聞いてみた。

「蓮實君はどうしていつもイライラしてるの?」

「それは……」

 そこで天道は言い淀んだ。こんな反応リアクションをするのは初めてだ。

「……翼を失ったからだ」

「翼?」

 意味がわからず、あかりは首を傾げた。

「俺の親父とお袋は、曲芸飛行アクロバットのパイロットだったんだよ」

 体育館裏の小さいな出入り口の階段に座り込んだ天道は、語り始めた。

 曲芸飛行アクロバットチームの事。

 自分もパイロットを目指してた事。

 両親の死の事。

 チームが解散した事。

 祖父と二度と飛ばないと約束した事。

「そんな事があったんだ……」

 それを聞いたあかりは神妙な顔になった。

「らしくない話をしちまったな」

 その反応に、天道は打ち消すように首を横に振った。

「今のは忘れてくれ」

 そして、立ち上がるとあかりに背中を向けた。

「蓮實君……」

 あかりは無いも言えずに、ただ天道を見送りしか出来なかった。


 後になれば、それがきっかけだったのだろう。

 その日からあかりは、天道のイライラをなんとかしてあげたいと思うようになった。

「ほら、どうした? 掛かって来いよ」

 天道は相変わらず、売られた喧嘩を買う毎日だった。

「何やってるの! 蓮實君!」

 それを止めるのもいつも通りだったが、あかりの心境には変化があった。

「大丈夫? 怪我してない?」

 以前は、委員長の義務として喧嘩を止めていた。だが、今は天道の事が心配だった。

 天道は拳を喰らわない。でも、いつなにかの拍子で喰らうかわからない。

 大怪我をする天道を想像すると、寒気がした。

 そして、そんな事を考えてしまう自分にあかりは気付いてしまった。

 天道を異性として意識している、と。


「今日こそ、日頃の恨み、晴らさせてもらうぜ!」

「やれるもんなら、やってみろよ」

 吠える男子生徒に天道は、不敵に笑った。

 三学期の終業式の日の事だ。

 場所は校舎裏。

 七人の男子生徒達に囲まれた天道は、ファイティングポーズをとった。

「行くぜ!」

 掛け声とともに男子生徒達が一斉に襲いかかった。

 最初の一発を天道は紙一重でかわした。

 二発、三発と拳が飛んでくる。

 それもあっさりかわす。

 だが、

”ボコッ!”

 同時に飛んできた四発目と五発目は、かわせなかった。天道の頬に拳が、ヒットする。

 それでもひるまず、六発目と七発目をかわしながら、カウンターで拳を男子生徒へ喰らわす。

「ゴアッ!」

 パンチを顔面に喰らった男子生徒は、校舎の壁に吹っ飛んだ。

 さらに追撃しようとする天道の背中に回った男子生徒が、後ろから羽交い締めにする。

「てめぇ!」

 天道はそれを振り払おうとするが、その前に他の男子生徒が頬を殴る。

 二発。

 三発。

 動けないの良い事に、男子生徒は次々に天道に拳を放つ。

 口の中が切れて、血の味が広がった。

 だが、天道もやられっぱなしでは無かった。

 両足でと、掛かってきた男子生徒の腹に蹴りを食らわす。

「けふっ!」

 同時にバランスを崩した後ろの男子生徒から身体を振りほどいた天道は、そのまま回し蹴りを入れた。

「アガッ!」

 男子生徒が勢いよく草むらへと失せる。

「やってくれるじゃねぇーか」

 血の塊を地面に吐き捨てた天道は、再びファイティングポーズをとった。

 と、そこへ、

「何やってるの!」

 あかりが駆けつけた。天道の頬が腫れてるのを見て、血の気が引く。

「やめなさい!」

 しかし、いつもと違ってお構いなしで男子生徒達は天道に襲いかかる。

 多勢に無勢で、天道も拳を喰らいながらも反撃する。

「やめてっ!」

 あかりは悲鳴を上げたが、乱闘は一向に収まる気配を見せない。

 それで諦めたあかりは、機微を返した。

「先生!」

 職員室へと駆け込み、教師に状況を早口で説明した。

「おまえら! 何やってるんだ!」

 直ぐに生活指導の教師が現場に駆けつける。

「やべぇ!」

 男子生徒達は逃げようとしたが、応援に来た他の教師に捕まって全員確保されてしまった。

 その中には天道も含まれていた。


 職員室でたっぷりお説教を受けて天道が廊下に出た時には、既に下校時間間近だった。

「蓮實君……」

 帰ろうとした天道を、あかりが声で止めた。

「委員長」

「怪我、大丈夫?」

 ふてくされた様子の天道の頬にあかりは手を伸ばした。

「委員長?」

 その行動に天道はドキッとした。

「手当てするから、保健室行こう?」

 だが、あかりは気にする事無く優しく言うと天道の手を取った。

「ああっ……」

 その大胆さに押されて、天道は素直に従った。

 保健室には誰もいなかった。鍵は掛かってなかったのであかりは天道を引っ張ると中へと入った。

「座って」

 天道を椅子に座らせると、自分は棚を漁って湿布を探し出す。

「痛っ……」

 腫れた頬に湿布を貼ってあげると天道は顔を顰めた。

「もう……だから言ったのに……」

 治療を続けながら、あかりはいつの間にか目に涙を浮かべていた。

「心配したんだからね……」

 溜まった涙が頬に流れる。

「委員長……?」

 その反応リアクションに、天道は戸惑った。

「なんで、泣いてるんだよ……?」

「好きな人が危ない目に遭ったら、心配するのは当然でしょ?」

 天道の問いにあかりは涙声で答えた。

「えっ?」

 天道は驚いたように、目を見開いた。

 するとあかりは、セーラー服のリボンを解いた。それから横腹のチャックを上げるとセーラーブラウスを脱ぎ捨てる。

「ちょ……」

 天道は慌てたが、お構いなしで今度はプリッツスカートのフックを外すとチャックを下げてスカートを脱いだ。

「な、なにを……」

 ブラトップとショーツ姿になったあかりは、ブラトップの裾に手を伸ばすと一気にたくし上げた。

 まだ成長してない薄っぺらな胸が露わになる。

「やめ……ろ……」

 弱く抵抗する天道を無視して、ショーツの脇に指を掛ける。そのまま一気に下ろすと足首から抜いた。

「蓮實君……」

 恥ずかしさで頬を朱らめたあかりは潤んだ目で、天道を見詰めた。

「これからは蓮實君のイライラは全部、あたしが受け止めてあげる」

 そして、天道の後頭部に手を回すと、ソッと胸に抱いた。

「だからもう、喧嘩はしないで」

 その意味がわからないほど、天道は子供では無かった。つまり、そういう事なのだろう。

 天道は少しだけ悩んだ。だが、あの真面目ながここまでするという事はそれでけ本気なんだろうと思った。

「わかった」

 それに天道だって、健全な男子中学生だ。と言えば嘘になる。

「もう喧嘩はしないよ」

 立ち上がった天道は、あかりにキスをした。


「おまえら、つき合ってるのか?」

 朝の教室で談笑していた天道とあかりに、澄生が聞いた。

「まぁ……」

「な」

 すると天道とあかりは照れたように答えた。

「最近、大人しいのはそういう事だったのか」

 感心したように澄生は言った。

 中学二年生になり、天道は約束通り喧嘩をしなくなった。今まで挑発してきた男子生徒は無視して、溜まったイライラはあかりでするようになっていた。

 それは身体だけの関係セフレに近かったが、それでもあかりは幸せだった。

 天道もイライラを忘れられるので、夜、電話したり、一緒に登下校したり、休みの日はデートしたりと恋人らしい事もしていた。

 その関係に変化が訪れたのは付き合い始めて四ヶ月経った中二の夏の事だった。

 天道の祖父が亡くなったのだ。

 それをきっかけに空子は前々から誘われていたグラビアアイドルの仕事を受ける決意をする。

 そして、天道は紗理奈と知り合ったのだった。


「なにか、良い事でもあったの?」

 あかりは、朝から上機嫌そうな天道に聞いた。

 駅前のファーストフード店での事だ。

 夏休みも中盤を過ぎて、二人はデートをしていた。

「Sarinaって、知ってるか?」

「名前だけは」

 Sarinaと言えば、有名なグラビアアイドルだ。最近はテレビのバラエティ番組にも出演したりして、国民的人気者になっている。

「姉キが同じ事務所で、昨日、初めて会ったんだけどさ」

 天道は逸る心を抑えきれずに早口で言った。

「その人が車好きでな」

 こんな饒舌な天道をあかりは初めて見た。

「隣に乗せてもらって、芦ノ湖スカイウェイを走ったんだ」

 興奮冷めやらずと言った感じで天道は続けた。

「それが凄かったんだ」

 身振り手振りを交えながら、天道は必死になってその興奮を伝えようとした。

「信じられるか? 車がビューンと横に走ってくんだぜ」

 それは紗理奈のランボルギーニ・ディアブロGTに空子の勧めで初めて乗ったときのことだ。

 芦ノ湖スカイウェイのコーナーというコーナーを、紗理奈はドリフトで駆け抜けていった。その感覚は、パイロットとして空を飛んでいた時と同じ感覚だった。

「そうなんだ……」

 だが、あかりは何故、そこまで天道が興奮しているのか理解できなかった。ただただ、迫るようにしゃべる天道に圧倒されていた。


「今日も……する?」

 夏休みも終わり、天道とあかりは一緒に下校していた。

「いや……今日は紗理奈姉ぇが来るんだ」

(また、その名前……)

 以来、天道はことあるごとに、紗理奈の隣に乗せてもらって芦ノ湖スカイウェイや首都高速を走るようになっていた。

「今日も走りに行くんだ」

 それに合わせて、あかりの身体を求める事も減っていった。

「悪ぃ、今日も紗理奈姉ぇに乗せてもらうんだ」

 あかりはその事に敗北感を覚えた。

「今日も……」

 天道の中のイライラが完全に消えた事を敏感に感じ取っていたからだ。

「蓮實君は翼を取り戻したんだね……」

 だから、あかりは決意した。

「もう、あたしは必要ないね…………」

 天道と別れる事を。

「ああっ……」

 それは中二の冬、雪が降った日の事だった。

 そして、二人は他人に戻った。

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