4.絵奈と、|精密機械《アォトマト》と

 蓮實家のリビングは宴もたけなわだった。

 主役はこの二人。空子と紗理奈で缶ビールを飲みながら、業界の愚痴で盛り上がっていた。

「だから、あのプロデューサー、メアド教えろってしつこくってさぁ」

 空子は、いつもの素肌に薄手のセーターで、紗理奈はやはり素肌に男物のワイシャツという格好だった。

「ああっ、あの男は片っ端からそうらしいぞ」

 ワイシャツは、天道の物ではない。男性としては小柄な天道と女性としては大柄な紗理奈とではサイズが合わないのだ。これは紗理奈がお泊まり用に用意されている物だ。

 紗理奈も寝る時はブラを付けない派なので、胸の先は尖り、ワイシャツの裾からは豹柄のショーツが見え隠れしている。

「…………」

 それは本来扇情的な光景ハズだったが、キッチンで酒の肴にを作っていた天道には特にものではなかった。

 紗理奈と初めて会った十四歳の時から四年。既にこういう光景には慣れっこになってしまったのだ。

「ほれ、これで最後ラストだ」

 パリパリ明太のりをテーブルに置きながら、天道は言った。

「終わったぁ?」

 既に呂律の回らない口調で空子が応える。

「だったら、一緒に飲もうよぉ」

「俺、まだ未成年だから」

 このやりとりはいつものことなので、天道は一蹴した。

「そんな堅いこと言わないでさぁ」

 それでもなお空子は缶ビールを差し出してくる。普段の空子なら考えられないことだった。この辺の常識だけはしっかりしているからだ。

 飲むといつも以上にが出る。こんな調子で普段は大丈夫なんだろうかと思うが、紗理奈に聞くと業界の飲み会などでは外面モードを堅持キープして、酒の量も控えているらしい。

「お姉ちゃんの酒が飲めないの!」

「空子、飲み過ぎだぞ」

 据わった目で天道を見る空子を紗理奈がたしなめる。それ幸いとばかりにリビングを脱出した天道は、キッチンへと戻ると軽く後片付けをしてからかけていたエプロンを脱いだ。

「タカ君ん、一緒に飲もうよぉ」

「駄目駄目。ほらあたしが一緒に飲むから」

 リビングではまだ空子が騒いでいたが、それを無視して天道は時計を見た。

 午後九時半。ちょうど良い時間だ。

 空子に目を付けられないようにさりげなくリビングを出る。それから廊下を渡り玄関へと来た。扉を開けて外へと出る。

 と、そこでポケットが鳴った。中から二つ折りの携帯電話ガラケーを取り出して開くと霞からメールが届いていた。

 そこには、今日は行けない、と短く書かれていた。

 一瞬、考えてから、天道も、了解、と短く返信する。

 それからガレージへと向かい、いつもの始業点検を終えて、エキシージに乗り込んだ。 いつも通り、御厨バイパスを抜けて早乙女峠へと入りながら、車全体を暖める。

 それからこれまたいつ通り箱根スカイウェイを90%のペースで走る。

 だが……、

 いきなりブレーキを失敗ミスって、小さく白煙を上げてしまう。

「ちっ!」

 舌打ちしながら、慌ててヒール&トゥで回転数を低めに合わせて速度を調整する。そのままドリフトへと持っていくが、ラインがいつもよりずれてしまった。

「乗れてねぇぜ……」

 天道は片眉を跳ね上げた。

「それもこれも姉キが悪い!」

 あの時、空子が帰ってこなければ、と考えるといろいろモヤモヤしてイライラする。

 次のコーナーでもまたブレーキングポイントを失敗ミスって、ラインを大きく外してしまう。

 感情が走りにのは、自分の悪い癖だという自覚はある。だが、こればかりは性分なのでどうしようもない。

 霞が今日、来れなかったこともイライラに拍車をかけた。

「カスミが据え膳までしてくれたのによ!」

 もしかしたら、今夜、その続きがあるのではと微かな期待を持っていたが、見事に裏切られた。

「姉キの奴!!」

 イライラは失敗ミスを重ねることに増し、今や最高潮に達しようとしていた。

 そのまま箱根スカイウェイを抜け、芦ノ湖スカイウェイまで来る。

「ん……」

 そこで天道は、闇夜を泳ぐ赤い光を発見した。

「ポルシェ……?」

 光が近づくにつれて、赤い車の後ろ姿がうっすらと浮かび上がる。丸みを帯びたテールラインを見て、天道はそう予想した。

「GT3……?」

 だが、それにしてはリアウイングが小さすぎる。

「ターボ……か?」

 最速屋ケレリタスにしては珍しい車種だ。ポルシェ・911GT3なら何度か対戦バトルしたことがあるが、911ターボを相手にするのは初めてだった。

「上等!」

 ここで対戦バトルすれば、これまでのイライラも吹っ飛ぶ。そう思った。

 だが……、

 エキシージのパッシングに911ターボは、ハザードを出すとあっさり道を譲った。

 対戦バトルを降りたのだ。

「チキン野郎が!」

 天道は911ターボをかわしながら、吠えた。出鼻をくじかれてさらにイライラが増す。

 それがさらなる運転ミスを呼んだ。いつもなら、快走できる芦ノ湖スカイウェイでさえ、うまくエキシージをラインに乗せることができない。

 一方、911ターボはエキシージから一定の距離を置き、追随してきていた。様子を見ている。そんな感じだった。

「チッ! なんだ、コイツ」

 それをサイドミラーで感じた天道は、舌打ちをした。一瞬、全力でぶっちぎってやろうかという思いが頭に浮かぶ。

 しかし、相手は既に対戦バトルを降りている。それも大人げないと思った。なにより、今の状態コンディションでは、それもままならない。

 結局、いつもの半分も実力が出せないまま、天道は箱根の料金所まで来た。

「フーーーッ……」

 エキシージを路肩に止めると、天道は大きく息を吐いた。

「らしくない走りをしちまったぜ」

 そう自嘲する。

 すると、911ターボがやってきてエキシージの後ろへと付けた。

 のドアが開き、ドライバーが出てくる。

 それをサイドミラーで確認した天道もエキシージから降りた。

 911ターボのドライバーは若い女性だった。年の頃なら二十歳ぐらい。背中まで伸ばしたストレートの長い黒髪にほっそりとした顔と切れ長な目を下和風美人で、夜中だというのになぜかサングラスをしている。

 白い半袖のワイシャツに紺のパンツを履いて、身長は女性としては高く、全体的にスリムな印象を受ける。

「この車は君のか?」

 彼女は名乗らず、いきなりそんなことを聞いてきた。

「そうだけど?」

 本当は姉の車だが、今は説明するのが面倒だったので適当に答えておく。

持ち主オーナーが変わったというのは本当だったのか……」

 それを聞いた彼女は、感嘆したように一人呟いた。

「それより、さっきは調子が悪かったのかい?」

 イライラしていた天道は、ぶっきらぼうな口調で挑発的な事を言った。

「いや……車の性能が違いすぎるから降りた」

 それに気を悪くする素振りも見せずに、彼女は涼しげに応える。

「エキシージでは、911ターボの相手にならない」

「そんなの腕次第でなんとでもなるぜ?」

 ムッとなった天道は、それを隠そうともせずに反論した。

「じゃあ、余計無理だ」

 だが、彼女はすかさずやり返す。

「君の走りは見せてもらった。あれぐらいの腕では到底、私には勝てない」

「それは……!」

 今日は調子が悪かった、と喉元までで掛かったが、寸前で止めた。それは最速屋ケレリタスにとっては、一番みっともない言い訳だったからだ。

「私と勝負したかったら、もっと速い車に乗ることだ」

 そう言って機微を返すと、彼女は911ターボへと戻っていった。

 その態度に天道のイライラは最高潮に達する。

「こんちくしょうめっ!」

 走り去る911ターボに、天道はありったけの声で吠えた。


 翌朝。霞はいつも通りの時間に登校した。

 しかし、普段は先に来ている天道はまだ来ていなかった。

 席に着くと、早速、という風に由布子が寄ってきた。

「どうだった?」

 ニコニコと笑みを浮かべて聞く由布子に、霞は昨日のこと、天道と良い雰囲気になったが、空子が帰ってきてになったことなどを話した。

 それを聞いた由布子は、あちゃ~という顔になった。

「空子先輩、弟大好きブラコンだからなぁ」

 そして、頭を抱える。

「タカ君のお姉さん、知ってる……の?」

「知ってるよ。御厨高校ここの卒業生だからね」

 霞の問いに、由布子は困ったような笑みを浮かべて答えた。

「在学中から、空子先輩の弟大好きブラコンぶりは有名だったからね」

 そして、肩をすくめる。

「もっとも、本人は全力で否定してたけど」

 と、そこへ天道が登校してくる。

「おはよ……う」

 目が合ったので、霞は遠慮がちに朝の挨拶をする。昨日のこともあって、ちょっと気まずいのだ。

「おうっ」

 いかにも不機嫌そうな天道は、ぶっきらぼうに返事をすると自分の席にドサッと座った。

 二人の間になんとも言えない空気が流れる。

「また、例の追っかけグルーピーに絡まれたの?」

 それをいち早く察知した由布子がフォローに回る。

「いや、今朝はいなかった」

 だが、天道は首を横に振った。

(昨日のこと、怒ってるのか……な?)

 霞は不安になった。自分があんな事したせいで天道を怒らせてしまったとしたら、大変なことだ。

「じゃあ、なんでイライラしてるのよ?」

 そんな霞の気持ちを知ってか知らずか、由布子はすかさず核心を突いた。

「夕べ、気に入らない最速屋ケレリタスに会ったんだよ」

 それを聞いた霞はホッとした。どうやら天道の機嫌が悪かったのは、昨日のこととは関係なかったらしい。

「ソイツは、911ターボに乗ってたんだけどよ……」

「って事は、精密機械アォトマトか?」

 そこへ今登校したばかりの澄生が、口を挟む。

「知ってるのか?」

 そう聞く天道に、澄生は昨日仕入れたばかりの情報を提供する。

「例の追っかけグルーピーがおまえに絡むのは、精密機械アォトマトが関係しているらしいぜ」

「どういうことだよ?」

 いつもの鋭い目つきで天道は聞いた。

「例の追っかけグルーピー精密機械アォトマトは姉妹らしい」

 澄生の答えに天道は驚いた。

「あの二人が姉妹?」

 絵馬と昨日の彼女――精密機械アォトマトの容姿が繋がりにくかったからだ。

「ああっ」

 澄生は頷いて話を続けた。

「でっ、例の追っかけグルーピーは首都高周辺の最速屋ケレリタスに恋人になる振りをして近づき、姉に対して対戦バトルをふっかけさせているらしい」

 対戦バトルに買ったら、姉が最速屋ケレリタスをやめるという条件を付けて。

「つまり、俺は出しに使われそうになったって事か!?」

 話を聞いた天道は激怒した。

「まぁ、そうなるかな」

 それをなだめながら、澄生は苦笑いを浮かべた。

「あのアマ

 天道は右の拳を左の手のひらに打ち付けて怒りを露わにした。

(そうだったん……だ)

 しかし、霞は心の中で呟きながら、ホッと胸をなで下ろしていた。


 その日の放課後。

 天道は霞と澄生、それに由布子を従えて校門へと向かっていた。

 理由はもちろん、絵奈に文句を言うためだ。

 澄生は天道が暴走した時用の止め役ストッパーで、由布子は霞の付き添いだ。

「ヤッホー、天道君!」

 なにも知らない絵奈は、いつものように脳天気に挨拶する。

「……って、これはなにかな?」

 しかし、天道が霞達を引き連れてことに気づき、冷や汗笑いした。

「全部聞いたぜ」

 怒り心頭の天道は、いきなり本題から入った。

「なんのこと?」

 だが、絵奈は素で首を傾げた。本当になにを言ってるかわからない、そんな感じだった。

「オマエの姉キ、最速屋ケレリタスなんだってな?」

「そうだけど?」

「聞いたんだよ。オマエが今まで他の奴らにもこんなことやってるって」

 そう言われて絵奈はようやく事態を理解した。

「バレちゃったんだ」

 それでも悪びれる様子もなく笑みを浮かべながら舌を出した。

「でも、それなら話が早いや」

 それから拝むようなポーズをして、天道にお願いした。

「姉さん、最速屋ケレリタスをやめさせるの協力してくれないかな?」

 その言葉に、天道はもとより、その場にいた絵奈を除く全員が絶句した。

「ふざけんじゃないぞ!」

 天道は激怒した。

「そんなこと、協力できるわけ無いだろう!?」

「なんでさ!」

 全力で拒否した天道に絵奈は逆ギレ気味に言った。

「協力してくれたって、いいじゃない!」

「お断りだっ!」

「協力してくれたら、あたしのこと、好きにして良いからさ!」

 絵奈の申し出に霞はビクッと反応したが、それには気付かず天道は言い放った。

「間に合ってるんだよ!」

 さらに、霞がビクッとなる。

「ああそうっ!」

 なにを言っても折れない天道に、絵奈も激情した。

「だったら、他の人に頼むわよっ!!」

 そして、捨て台詞を吐くとペスパに跨がった。

「ああっ! そうしろっ!!」

 走り去る絵奈に、天道は吠えた。


 その日の夕方。

 絵奈は箱根で寝泊まりしている別荘へと帰ってきた。

「あれ?」

 車庫ガレージにペスパを止めようと入ると、中にポルシェ・911ターボが止まってる事に気がついた。

「姉さん……?」

 自然と頬が緩む。ペスパを急いで止めてから、はやる気持ちを押さえて別荘の中に入る。

 リビングまで来ると、ソファーに座った姉、馬淵まぶち清海きよみタブレットi padを弄ってないやらやっていた。

「遅かったな」

 絵奈が帰ってきたの気付いて、清海は視線はタブレットi padに落としたまま言った。

「まだ、夕方だよ」

 清海の前のソファにドサッと座った絵奈は、憎まれ口を叩く。

「父さんから聞いたぞ」

 やはり絵奈の方へと視線を移さず、清海は静かに叱責した。

「学校にも行かないで箱根の別荘こんなところで何やってるんだ?」

「姉さんには関係ないでしょ」

 それを聞いた絵奈は顔をツーンと横に向けてさらに憎まれ口を叩く。

「荷物をまとめろ」

 そこで初めて清海は絵奈を見た。

「今すぐ東京に帰るぞ」

 タブレットi padをスリープさせると、ソファーを立ち上がる。

「姉さんが送ってくれるの?」

 絵奈の問いに清海は頷いた。

「でも、スクーターがあるし……」

「あとで、誰かに取りに行かせる」

 ごねる絵奈に、清海はピシャッと言った。

「だから、今すぐ荷物をまとめろ」

「はい、はい、わかりました」

 肩をすくめた絵奈は露骨に嫌そうな顔をしながらソファーを立った。

 リビングを出て階段を上って自分の部屋へと向かう。

「うふふ……姉さんが迎えに来てくれた」

 その途中で絵奈は、密かにほくそ笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る