Sky Way!

碗古田わん

蒼ざめた馬《ペイルホース》編

プロローグ 最速屋《ケレリタス》

 そこは、聖地と呼ばれていた。

 神奈川県と静岡県の県境にあるやま、箱根。

 かっては東海道の難所として知られ、今は湧き出る温泉や美しい自然を満喫しようと多くの人々が訪れる観光地として知られている。

 しかし、一部の人達にとっては、全く別の場所として有名だった。

 自慢の愛車を駆り、曲がりくねった峠道やまみちを縦横無尽に駆け抜けてその速さを競い合う走り屋ストリートファイター達。

 峠族とも呼ばれる走り屋ストリートファイターにとって箱根そこは腕自慢が集まる関東屈指の激戦区であり、故に己に腕を試すのには絶好の場所でもあった。

 そして、今も、一台の改造車チユーニングカー が夜も更けた箱根の道を小田原方面からかなりの速度で昇っていた。

 マツダRX―7。

 走り屋ストリートファイターの間では、FD――車両形式のFD3Sの略だ――と呼ばれるロータリーエンジンをフロントミッドシップに積んだ国産車きってのピュアスポーツカーだ。

「~♪」

 そのコクピツトで、東山ひがしやま洋志ひろしは上機嫌でステアリングを握っていた。

 今朝まで夜勤だったのでこうしてやまに来るのは四日ぶりだった。その間に新品にしたタイヤとそれに合わせてセッティングを変更した足回りのチェックがメインだったが、ここまででも既にかなりの好感触があった。

 タイヤ代と工賃で当分、エアパスタが続くことになるが、そんな憂鬱など吹っ飛ぶぐらい気持ちは高揚していた。

 そのまま峠道やまみち機敏クイツクなハンドリングで右へ左へ駆け抜けていく。

「いいねぇ」

 週末ともなれば大勢の走り屋ストリートファイター達が集まり賑わうのだが、今日は平日なのですれ違う改造車チユーニングカーもまばらだった。なので、道幅をいっぱいに使った理想的なライン取りでコーナーを攻める事が出来る。その爽快感が洋志の気持ちをますます高ぶらせていった。

 芦ノ湖まで昇ってきたところで洋志は一端、車を減速スローダウンさせた。

「さて……どうするかな」

 このまま、三島方面へと下っていくのがいつものパターンだったが、今日は心の中でちょっとした好奇心が沸いていた。

 チラッと道路案内標識ナビ板を見る。

 そこには、直進すれば熱海、三島方面へと抜ける国道。右に曲がれば、芦ノ湖スカイウェイと書いてあった。

 芦ノ湖スカイウェイ。

 芦ノ湖の西に位置する有料道路で、全長約11㎞の中に80以上のコーナーが散らばっている。雑誌やテレビ番組の試乗でよく使われることで有名で、国道が基本的に上るか下るかのどちらかなのに対して、芦ノ湖沿いを上りと下りが混ざり合うレイアウトになっている。

 しかし、走り屋ストリートファイターにとって、ここを走る事は禁忌タブーとされていた。

 なぜならば、ここは領域エリアだったからだ。

 それは地元の走り屋ストリートファイターである洋志も充分承知していた。けれども、車の調子があまりに良かったので、ちょっとだけ冒険してみたくなった。

「行って、みますか」

 まるで自分に言い聞かせるように呟いてから、洋志はウインカーを右に出した。

 無人の料金所を通り抜け、中へと入る。昼間は有料だが、この時間は無料で開放されているのだ。

 アクセルを踏み込み、短い直線を走り出す。

 走り屋ストリートファイターになって八年になるが、ここを自分の車で本格的に攻めるのは初めてだった。

「いいコースだな!」

 その楽しさに洋志は感動していた。

 低速コーナー主体なのはいつも走っている国道と大差は無い。しかし、時折表れる緩やかな高速コーナーとそれを繋ぐ中速コーナー。なによりまるでジェットコースターのようにアップダウンを繰り返しながらコーナーを駆け抜ける感覚は新鮮だった。

 そのまま湖尻峠の分岐点まで来る。ここを右に行けば芦ノ湖スカイウェイが続き、芦ノ湖の反対側まで行くことが出来る。左に行くと箱根スカイウェイへと入り、県境の永峡峠へと繋がっている。

 だが、芦ノ湖スカイウェイを攻めるなら、ここでUターンするのが普通だった。

 慣例にならい洋志もRX―7を反転させた。

 そして、復路も中盤に差し掛かった頃……、

”ブォォォォォォォォォーーーーーーン!”

「ん?」

 遠くからエキゾーストノートが聞こえてきた。

「奴ら……か?」

 緊張した面持ちでルームミラーとサイドミラーを交互に見る。すると、後方からヘツドライトの灯りが物凄い勢いで迫ってくるのが見えた。

「ちっ!」

 舌打ちをした洋志はアクセルペダルをグイッと踏み込んだ。初めてのコースだったので、80%で流していたが、相手が奴らならそんな悠長なことは言ってられない。反対向きとはいえ、一度走った道なので、コーナーの構成やは頭に入っている。やれるはずだ。

 しかし、コーナーを一つ抜けるたびに灯りはどんどん接近してくる。闇の中に黄色い車体が浮かぶ。車種を確認しようと、洋志はルームミラーに目を凝らした。

 低く特徴的なフロント。流線型のキヤノピーと美しいサイドライン。広いトレツド。ミッドシップに搭載マウントされた4.7リッターV12エンジン。ボンネットを誇らしげに飾る跳ね馬のエンブレム。

 それは、フェラーリ社が創立五十周年を記念して作られたフェラーリ・F50だった。

 俗にスーパーカーと呼ばれる種類カテゴリーに分類される車だ。

「間違いない、奴らだ!」

 杓子峠のヘアピンをクリアし、100Rほどの中速コーナーを抜けて山伏峠の短い昇りの直線(ストレート)に出る。その頃にはF50はRX―7のテールにぴったり張り付いていた。

「くそっ!」

 洋志は毒づいた。アクセルは既にめいっぱい踏んでいる。洋志のRX―7に搭載マウントされたRE13Bはエンジン本体やターボ、エキゾースト系などに改造チューンを施してあり、400馬力ps以上出ているはずだった。しかし、それでも直線ストレートで振り切ることが出来ない。

 当然だった。

 なにしろF50は無改造ノーマルで520馬力psもあるのだ。敵うわけがない。

 F50が追い越し《オーバーテイク》しようと左へと寄る。

「やらせるかよ!」

 それを素早く察知して洋志もRX―7を左に寄せてブロックする。サーキットのような道幅の広いところならともかく、道幅の狭い峠道やまみちでは相手の進路を塞ぐことも容易なので簡単に抜かすことは出来ない。

 じれるように右へ左へ進路を変えるF50を巧みにブロックしながら右曲がりの中速コーナーを抜ける。先は左の低速ヘアピンだった。

「くっ!」

 そこもなんとか押さえきる。

 が、そこまでだった。

「なにっ!?」

 その先のレストハウス横の右曲がりの85R、通称『やぎさんコーナー』でF50はセオリー通りインを押さえるRX―7をアウトから強襲してきたのだ。

 車体の半分をレストハウスの駐車場にはみ出しながら強引に並び掛けるF50に、洋志は目を剥くしかなかった。

 そのまま有り余るパワーで左右に暴れるようにリアをステアリングで強引に押さえつけながらF50がRX―7の前に出た。ここからは下りの直線ストレートになる。馬力パワー差で、RX―7は圧倒的に不利な状況になった。

「まだだっ!」

 それでも吠えながら、洋志はアクセルを全開まで踏み込もうとした。

 その時、

”キィィィィッィィィィィィッ!”

「えっ……」

 真後ろからタイヤのスキル音がした。慌ててルームミラーで確認しようとする。しかし、その前にスキル音は左へと移動する。

 白い車体が並んだかと思うとあっと思う間もなく洋志を抜き去っていく。

「なんだ、アレ……?」

 前に出た車を見て、洋志は眉を顰めた。

 大きさはRX―7よりもやや小さく、全体的に丸みをおびたデザインで、オーバーハングの短いボンネットは、真ん中が低くタイヤの部分だけが盛り上がっている。ゆるやかな曲線を描くキヤノピーとリアフェンダー横にはエアインテークが、後部には大型のウイングが取り付けられていた。そして、円状のテールランプの間には『LOTUS』。その少し下――練馬と表示されたナンバープレートの真上――には『exicg』とロゴされていた。

「ロータス……エキ……なんだ?」

 それはイギリスのスポーツ―カーメーカー、ロータス社が開発した軽量ライトウェイトミッドシップ車、ロータス・エキシージだった。同じくロータス社の軽量ライトウェイトミッドシップ車、エリーゼの競技レース仕様をベースにした初代モデルで、その中でももっともパワーがあるホットモデルのCUP260だ。


走り屋ストリートファイターが迷い込んでたのかよ……」

 そのエキシージのコクピツトで、蓮實はすみ天道たかみちはげんなり気味に呟いた。

 前に遅い車がいるのはわかっていた。その為、F50がペースを上げられないのも。夜景か星を見に来た観光客よそ者でもいるんだろうと思っていたが、まさか走り屋ストリートファイターだとは思わなかった。

 だが、おかげで予定よりも早くF50をぶち抜けそうだった。

 やぎさんコーナーを立ち上がったエキシージは、直線ストレートを飛ぶように下ってF50を追いかけた。

 本来、連続可変バルブタイミングVVTLバルブドリフト機構―iを備えたトヨタ製、直列4気筒DOHC、2ZZ―GEにスーパーチャージャーを追加しているとは言え、排気量はわずか1.8リッターで最大馬力も260馬力psしかないエキシージが直線ストレートでF50に食らいつくなど不可能のはずだった。

 しかし、前のコーナでコーナリング中に強引RX―7を抜いたF50は立ち上がりでロスをしていた。対して天道は、ほぼロスなくコーナーをクリアして、立ち上がりでRX―7を追い抜いている。その差が直線ストレートでの速度差となって現れていた。

 直線ストレートを速く走りたければ、いかに速くコーナーを立ち上がるかが重要なのだ。

 それでもやはりパワー差は大きく、じわじわとエキシージとF50は開いていく。

「んーっと……」

 天道はじっくりとその差を見定めた。この先は40Rの左コーナだ。

「……よっしゃ!」

 天道は、と踏んだ。

 迫るコーナー。

 インを押さえるように徐々に左へとラインを変えていたF50のテールランプが明るくなった。

 一気に二台の差が縮まる。

「早すぎだぜっ!」

 すかさず天道はエキシージを右へと出した。右足はまだアクセルを踏んでいる。

 エキシージがF50と並び、追い抜く。コーナーはもう目の前だ。

 そのタイミングで、天道はブレーキを思いっきり蹴り踏んだ。

”キィィィィッィィィィッ!”

 スキル音と共にエキシージの速度が一気に落ちる。減速Gで車体がわずかに前のめりになり、フロントが沈みリアが浮く。

 タイヤから微かに白煙が上がりロックしそうになる。それを感じて天道は右足の力をほんの少しだけ抜く。それから、踵だけアクセルペダルに戻してクラッチを素早く切った。アクセルを軽く煽りながら左手でトランスミッションのレバーを目にも止まらぬ速さで操作して5速から4速へとシフトダウンする。

「よっ、と!」

 それから、再びクラッチを繋ぐ。さらにもう一度、同じ動作で3速へとシフトダウンしてから、天道はステアリングを勢いよく左へと送った。

 フロントノーズが左に向かってターンインしようとするが、フロントタイヤは明らかなオーバースピードに耐えられず、切った角度よりもアウトへと流れていき、ノーズもゆっくりとしかインへ向こうとしない。

 同時に、天道は右足の先をアクセルペダルに戻すとじんわりと踏んだ。途端、荷重が抜けたままのリアタイヤが横滑りをはじめ、ターンインの速度が一気に速まる。

 ノーズが急激にインへと向き、テールがアウトへと流れる。その間も、フロントタイヤとリアタイヤは共にどんどんアウトへと滑っていく。

 結果、エキシージは、車体を横向きにして四輪を弧を描くよう滑らせながら、うねるように下るコーナーへと進入した。

 ドリフト走行、だ。

 一端、ニユートラルに戻したステアリングと僅かに踏み込んだアクセルをこまめに修正しながら、車体をもっとも深いインへとつける。

 インの路肩に生えた草むらの僅か数ミリをノーズで掠めたエキシージは、進入した勢いを保ったままコーナーの出口へと躍り出た。

 そこからは、リアタイヤが横に滑らないように――トラクションがちゃんと路面に伝わるようにアクセルワークを切り替える。

 徐々に横滑りの速度が落ちていく。それに合わせて天道もアクセルを少しずつ開けていく。強烈な横方向のGが消えていき、かわりに縦方向のGが増していく。

 そして、エキシージは、アウトの路肩ギリギリまで車体を寄せながらコーナーを立ち上がった。

「ついてこれるか?」

 天道は、左のサイドミラーを見た。

 と、一拍おいてF50がリアからコーナーを立ち上がってきた。エキシージと同じくドリフトでコーナーを抜けたのだ。

 しかし、その速度はエキシージよりも明らかに遅く、さらにドリフトアングルも大きい。そのままインに刺さりそうな勢いだ。立て直そうと大きくカウンターステアをあてている。そんな状態ではアクセルを踏み込むこともままならい。

「ヘタクソめっ!」

 天道が口元に笑みを浮かべて歓声を上げた時には、既にエキシージは次のコーナーへのドリフトを開始していた。

「このまま、ぶっちぎってやるよっ!」

 その言葉通り、そこから先は天道のターンだった。

 コーナーを抜けるたびにF50と差は開いていき、箱根の料金所に着く頃には見えなくなっていた。


「…………ふーーっ」

 箱根側の料金所まで戻ってきた洋志は、RX―7を脇に停めると深く溜息をつく。

 結局、洋志が直線先のコーナーを抜けた時には、二台のエキゾーストノートは遙か彼方に遠ざかっていた。

 さっきまでの高揚感は完全に失せて、意気消沈していた。

 シートに体重を掛けて疲れたように目を閉じる。目蓋の裏にさっき見た奴らの走りが蘇る。

「卑怯すぎる……」

 それが率直な感想だった。

 なにしろ相手はスーパーカーなのだ。値段だって性能だって大きく違う。そんな車と対戦バトルしたって敵いっこない。

「けど……」

 F50に追い抜きオーバーテイクされた時の事を思い出す。あれは見事にやられた。

 それに、エキシージのドリフト走行。

 あれも凄いの一言だった。あのコーナー進入速度は、洋志が長年走り屋をやって身に着けた領域を遙かに超えていた。

 あんな芸当は、愛車を手足のように操れなければ出来ない芸当だった。

 車の性能が上がれば、それだけ操作もより難しくなる。そのシビアさは、RX―7を改造チユーンする過程で嫌と言うほど味わっている。

「俺は、奴らと同じ車に乗って、あれと同じ事が出来るのか……?」

 そう思いついた時、洋志は素直に負けを認めるしかなかった。

 新素材を贅沢に使った軽く剛性の高いボディに高出力ハイパワーのエンジンを積み、競技用車両レーシングカーなみの性能を与えられたスーパーカー。

 それを手足のように操り、峠や高速道路を疾走する者達がいた。

 究極の市販車ロードカーで、誰も到達したことのない究極の速さを求める者達。

 人々は彼らを『最速屋ケレリタス』と呼んだ。

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