IN THE MOUSSE
森さわ
第1話
仕事が忙しい時期でよかった……
何も考えないですむから
生クリームとカスタードクリームのシュークリーム
モカエクレア
モンブランプリン
季節限定・抹茶プリン
ストロベリーアンドチーズクリームムース
ダブルチョコレートムース
「プチ・ボヌール」……小さな幸せ、という名前のシリーズの、このコンビニのデザートが、冷蔵ケースに並んでいる。
彼女はカシスアンドラズベリームースが好き……
だからわたしもカシスアンドラズベリームース。
少し細長い円筒形の透明のプラスチックのカップの中で、たっぷりの生クリームの下、色味の違うピンク色のムースが二層になった……それ、に手をのばすと、横から現れた白い手とぶつかった。
「あ、すみません」
その手の主が言い、思わずきつくその主の顔を見た。
気持ちの澱みが吹き飛ぶ……
少し切れ長の、澄み切った美しい目がわたしを見ていた。
ショートヘアのよく似合った、爽やかな雰囲気の女性だった。
「あっどうぞ!」
残り二つのカシスアンドラズベリームースを両手でしっかりと押さえている自分が恥ずかしく、あわてて手を引っこめた。
「あ、いえ、どうぞどうぞ」
その女性は口角を綺麗に上げ、おどけたように微笑んだあと、チョコレートムースのカップを手に取ると、左腕に下げているコンビニの買い物カゴに入れ、レジのほうへゆったり歩いていった。
わたしもカシスアンドラズベリームースを二つ、自分の買い物カゴに急いで入れ、彼女について並んだ。
金曜の深夜十一時のコンビニ。
缶ビールや缶チューハイ、スナック菓子などでオレンジ色の買い物カゴをいっぱいにした、会社員らしき人々で、レジ前には列ができるほど混み合っている。
わたしも何とか一週間を乗りきった残業帰りのその内の一人……。
バレエダンサーみたい……と、前に並ぶ女性のうしろ姿を見て思った。
鋭角的な肩に優雅な細い首、タイトスカートからすらりとのびる細く長い脚、尖った黒いパンプスの爪先は互いにしっかり外を向いている。
買い物カゴの中にはカップ麺一つと先ほどのチョコレートムースだけ、茶革のバッグの他に大きな紙袋を提げていて、中身は元気を失った花束だった。
やわらかそうな黒髪がうしろでいたずらっぽく、ひとすじはねていた……
「ひどい寝グセだよ!……」
玄関にかがんで靴ひもを結ぶ彼女のくしゃくしゃにはね上がった栗色の髪の中に、笑いながら指をつっこむ。
「星の王子様みたーい」
彼女は頭を振ってわたしの手を払い、いってきます!、と、玄関をとび出て行った。
指に、彼女の頭皮の熱と、きしんだ髪の感触が残った……
コンビニを出て、青白い光の街灯のつづく、シャッターが下りた商店街を、夜光に光ったような彼女の薄い色のジャケットの、格好のよい背中を見つめながら歩く。
商店街を曲がり、桜並木のつづく川沿いの道に出た。
残り花の花びらが、風もないのに二人の間で舞っている……
「桜が好き!散り際が好き……」
彼女が桜を見上げたまま、酔ったように熱っぽくつぶやいた。
正面から見たときとは印象が違う、大人っぽい横顔をわたしに向け、地面からすうっとのび上がるように立ち、満開を過ぎた桜を見上げている。
いつまでも見つめているので、
「……わたし、もっと色の濃い八重桜のほうが好き」
と言いながら、彼女の細い腕に腕をからめると、
「えー……あんな重ったるいの、桜じゃないよ」
と笑いながら、腕をほどいた。
口角を綺麗に上げて笑った彼女の口が、街灯の下、黒い逆三角形になった……
彼女はサバンナを悠々と歩くキリン、わたしはひたすらそのあとをつける肉食獣ライオン……
コンビニの袋が立てる微かな乾いた音と二人のヒールの音が夜道に響き、ふと、これじゃストーカーかチカンみたい……と思ったところで、彼女が振り向いてわたしを見た。
そして、あぁ、と微笑んで、前髪を手でさらりとかき上げた。
「先ほどは……」
わたしは浅く頭を下げた。
「こちら方向なんですか?」
えぇ、はい……と、わたしはうなずき、その綺麗な笑顔に引き寄せられるように彼女に追いついた。
残業ですか?と聞くと、飲み会の帰りだとのことだった。
「さっきから、うしろ姿に見とれてたんです。姿勢がいいんですね、ダンサーみたい……」
そう言うと、やはり、高校三年までバレエを習っていた、と話し、
「外股がぜんぜん治らなくて」
と笑った。
同じ道を曲がるたび驚いていると、果たして同じアパートだったので、アパート前の駐車場で深夜にもかかわらず、二人で大笑いした。
遠慮ない足音をアパート中に響かせ錆びた鉄階段を上りながら、四階建てのくせにエレベーターがないことについて二人でぶうぶう文句を言い、わたしの部屋は二階なので、二階の踊り場で立ち止まると、
「二階ならいいじゃないですかぁ」
と、彼女の指がわたしの肩を押した。
白く細く長い、よくしなう指だった。
彼女の部屋は四階だった。
彼女がわたしのコンビニの袋を見て、ふいに、偉ーい!と、声を上げた。
「お料理されるんですね。わたし、ついついこんな感じで……」
コンビニの袋をちょっと持ち上げ、笑ったかたちの唇の間からちらっと舌先をのぞかせた。
「料理ってほどじゃ……。野菜切って煮込むくらいで。平日にはほとんどできないんで、休日にまとめて栄養補給する感じです」
わたしは、コンビニの袋を開き、ぼんやりと暗いジャガイモとニンジンを見下ろした。
あまり元気のない品物ばかりだったけれど、土日に家を空けたくなかったので、コンビニの「生鮮やさいコーナー」で済ませたのだった。
ムースのカップがその上で二つひっくり返っていた。
「あ、もしかして、休日によく、アパート中にシチューのいい匂いさせてるのって……」
「きっとわたしです」
彼女がクリームシチューが好きなので……
わたしは彼女の顔を真正面から見つめた。
「ぜひ、今度うちに食べに来てください」
「えーっ、そんなこと言うとほんとに行っちゃいますよ!」
「えぇほんとに!明日にでも!」
力んだわたしを見て、彼女はとてもおかしそうに笑った。
そして、おやすみなさい、と、爽やかな声を残し、紙袋のごわついた音を立てながらも、軽快に階段を上がって行った。
足音まで似ている……
わたしは最上階のドアが閉まる音が耳に届くまで部屋に入らず、聞き耳を立て、彼女の部屋の位置を確認した。
ドアを閉め、明かりをつけ、靴を、服を脱ぎ散らかす……
素敵!
あの人素敵!
すべて素敵!……
……気がつくと、シンクの中に空になったムースのプラスチックのカップが転がっていて、わたしは下着姿で、キッチンに立ったまま、二つめのカシスアンドラズベリームースを貪っていた。
甘ったるい生クリームと華やかな香りの泡といっしょに、ひとりになると、しつこくのどを押して、こみあげてくるものを、飲みこむ……
あとからあとから、こみあげてくるものを飲みこむ……
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