幸せに見えるのか?
私の日常を描いたエッセイは、沢山の不幸の上で成り立っている。
良い事のみ書くと決めた日から、ぐちぐち言うのは大嫌いで、誰かより誰かの方が、とか、私の方が不幸だから、とか言いたくないし、言われたくもない。来ていらん。
私に友達になりましょうと約束する奴が一番来ていらん。友達なんか死んでもいらない。
徒党を組んではあれやこれや悪だくみ。そんなのもう飽きたし、たるい。生産性が無い。
女の友情程いらない。
これこれこうしているから、無視してくださって結構なのだ。私は自分のことしか所詮できないし、そんな大人物ではない。
今も被災地のことをテレビでやっている。不幸忘れてはいけません。当たり前だ。
髪を洗うのすら困ったことがあるから、彼らの気持ちはよくわかる。好きなものを当たり前に手に入れられない、家族と一緒に居られない不幸。
だからこそ今にしがみついて、「今」を大切に生きているのが、わからないのか?
人を不幸にしていいのか?自分が可哀想だったら?
そんなの間違ってる。ありえない。
もうしゃんとして欲しい。大人なら、普通の道徳観念を通す意味合い位わかるはずだ。
この国の人間でないから、とか誰の子だから、とか、所詮始まりは気に入らないというつまらなすぎる理由で始めたくせに、未だに謝る事すら知らない情けない大人達よ。ああ悲しいことだ。こんな奴らに子供たちは育てられ、また不幸を受け継いでいく。
人の殺し方を教えられて育つ子供達。
この国の子供たちは、可哀想だ。
本当の裕福の意味を知らない。
かと言って本格的に不幸になられても困るのだが。それこそ可哀想だ。
普通に過ごすことができないなら、いっそ人と関わるな。
一人で内相的に過ごせ。
私は本を読んでるだけじゃないか。見た目がちょっとかっこいいからって僻まないでくれ。そりゃちんちくりんのずんぐりむっくりの色黒がちと多いなとは思うが。
人が苦労しているのが読み取れないなら、いっそ去れ。余計な口を叩くな。
私は誰かに損なわれるほど落ちぶれてはいない。甘えるな!
昔の日本人が見たら、切腹ものだろうよ。
では。
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