第四章【7】 二人の決意

 真斗と怜奈はカウンターで受け付けを済ませ、浴衣とロッカーの鍵を受け取る。

 スパイラルスパークは全四階建ての総合温泉施設だ。一階にはテレビが設置され、ソファが並び自由にくつろげる休憩エリア、雑貨を扱う売店、居酒屋風の食事処がある。二階はロッカールームに大浴場。そして三階が男性用、四階が女性用のカプセルベッドが並ぶ宿泊所となっている。

「じゃ、お風呂から出たら一階の休憩エリアに集合ね。大体三十分後くらいかしら」

 二階のエレベータ前でそう言うと、怜奈は左右に分かれた廊下を左へと進み、その先にある赤い暖簾をくぐっていった。それを見届けると真斗は、右へと歩みを進め、間もなく現れる『男湯』と書かれた大きな暖簾を右手でかき分け、中へと入る。

 …………

 ――二十数分後。

 一階の休憩エリアのソファに浴衣姿の真斗の姿がある。その視線は手にした紙切れに注がれていた。

 ところでこのかなり独特な響きを持つスパイラルスパークの名前だが、温泉の効能や、癒しとくつろぎの空間、おいしい食事が、スパイラル――‘連動’して、スパーク――‘活気’が生まれる、という意味が込められているらしい。さらにスパークの『パーク』を公園の意味とかけているとのことだった。考案したのは創業者で現社長の――

「おまたせ。真斗くん」

 真斗がペラペラの店舗のパンフレットからかなりどうでもいい情報を入手していると、背中から怜奈の声が聞こえてきた。真斗はパンフレットを元の棚に丁重に返却しつつ、振り向く。

 次の瞬間、真斗はどきっ、とする。目に飛び込んできたのは、長い髪をまとめてうなじを覗かせた、湯上りの浴衣姿の怜奈。

「どう? 似合ってる?」

 少し恥ずかしそうに言いながら、怜奈は浴衣をよく見せるようにその場でくるりと回ってみせる。白い生地の浴衣には、桃や朱の色で手毬や六角形が並んだ麻の葉の模様が描かれていた。

「あ……うん。すごくお似合いですよ。先輩」

 真斗は浴衣の柄よりもその怜奈の色っぽい姿のほうに意識を奪われながらも、そう答えた。

「ふふ、そう。よかった。ありがと」

 真斗の言葉に、笑顔を見せて答える怜奈。

「おなかすいちゃった。さ、ご飯食べにいきましょ」

 言いながら真斗の隣に来る。シャンプーのいい香りと、湯上りの肌の熱気を間近で感じる。真斗は幸せを噛みしめた。

 …………

 二人は一階にある食事処『すぱいらぁく』に入る。

 内装は和風テイストで、木材の柱に白塗りの壁と落ち着いた雰囲気だ。真斗たちはお座敷の個室が並ぶ通路を挟んで向かいにあるボックス席へと通される。平日ということもあってか利用客は少ないようで、個室は一部屋だけ埋まっていた。木製の扉越しに数人の男女の談笑する声が聞こえてくる。

 真斗と怜奈はテーブルを挟んで向かい合って席に着く。もともと六人席ということもあって、木材の曲線をそのまま残して造られた分厚いテーブルはかなり大きい。

 テーブルに置かれた専用のタブレット端末で二人は注文し……しばらくすると順次料理が運ばれてくる。

 温泉卵の乗ったシーザーサラダに始まり、サクサクの若鳥の唐揚げ、玉ねぎと牛肉が交互に刺さったステーキ串と続く。そして中にとろとろのチーズの入ったオムレツ。締めには熱々の鉄板焼うどん。

 …………

「ちょっと頼みすぎちゃったかと思ったけど……結構食べれちゃったわね」

 デザートの柚子シャーベットを食べながら、怜奈が言う。

「ええ。こういったら失礼ですけど、思った以上に美味しくてびっくりしました」

「あはは。同感」

 真斗の正直な感想に、怜奈は声を出して笑った。

 昼間の出来事が嘘のような、穏やかなひととき。これであんなトラブルが起こってなければどんなに楽しい時間だろう、と真斗は思う。

 …………

 食後に出てきたお茶をすすりながら、しばし食休みを取る。

「ごめんね。真斗くん。トラブルに巻き込んだ上にこんな所まで付き合わせちゃって……」

 大振りの湯呑みを包みこむように両手を添えた怜奈がぽつり、と言う。その視線は湯呑みから湧き上がる湯気にうつむき加減に向けられていた。

 その言葉に、真斗はしばし沈黙していたが――

「……オレ、子供のころ家族でドライブの時に交通事故に巻き込まれて、それで両親を亡くしたんです。もう十一年も前の事です」

「……そう、だったわね」

 真斗の突然の話題に、うつむいたままの怜奈の顔がわずかに反応する。

「……今まで黙ってたんですが、実はオレには一つ下の妹が居て――澪って言います。あの日、当然澪も一緒に車に乗っていました。……事故の瞬間、後部座席に座ってたオレはとっさに隣りにいた澪を抱きかかえるようにかばいました。でも……車がひっくり返った瞬間、オレはその手を離してしまったんです」

 怜奈は黙って聞いている。

「幸いオレは打撲と、額に傷を負う程度ですみました。でも……澪は頭を強く打ち、そのまま意識不明になってしまったんです。それからオレは毎日病院で、澪の傍らで目を覚ます日を信じて待ちました。そして……一年ほど過ぎたある日、ついに澪が意識を取り戻したんです! オレは喜びました。でも……」

 真斗は湯呑のお茶に反射する自分の顔の一点――額の傷を見つめる。

「でも、澪はもう澪ではありませんでした。自分の名前以外、何もかも忘れていて覚えていなかった。……両親の事も、オレの事も。いろんな医者が手を尽くしましたが、無駄でした。むしろ意識を取り戻したこと自体が奇跡だという意見が多いくらいで」

 ここで少し呼吸を置き、真斗は続ける。

「事故の後、施設にいたオレは親戚に引き取られることになりました。ちょうどその頃です。試験的に行われる治療の為に、澪がアメリカに行くという話を聞いたのは。オレは澪が戻ってくる日を待ちましたが……それっきりでした。何の連絡もこないまま」

 真斗は顔を上げ、天井を見上げた。

「いつしかオレは澪のことはもう忘れようと思うようになりました。そのほうがきっとラクになる……それに澪も新しい人生を歩んでいるのなら、そのほうがいいんだ、と。でも……ナナを最初に見たとき、驚きました。きっと今はもうすっかり大人になっているんでしょうけど……あの頃の澪にそっくりだったから。結局……オレは澪を忘れられていなかった」

 怜奈の唇が、何かを飲み込むようにわずかに震えた。

「だから磯崎先生から小早川教授が記憶を失った少女を救ったという話を聞いたときは、居ても立っても居られませんでした。もしかしたら……それは澪かもしれない、と。そして、もしそうじゃなかったとしても、小早川教授は澪と同じように苦しんでいる人を助けようとしていた……」

 真斗は怜奈をまっすぐと見つめる。

「オレはそんな怜奈先輩のお父さんを、そして怜奈先輩をも襲ったスコーピオンを許せないんです……! 巻き込まれたなんて思ってません。だから……!!」

 真斗の告白に怜奈はしばらく黙っていたが、ふっ、と少し息を吐くと話し始めた。

「私も……同じ。父の事。忘れようとしてたけど……やっぱり忘れられないものね。だって……エフは若い頃のお父さんにそっくり。子供の時、よく遊んでくれたあの頃の」

 そう言うと、怜奈はテーブルに置かれた自分のスマートフォンに視線を送る。

「両親は離婚しちゃったけど、私はお父さん大好きだった。お母さんも悪くない。きっとお互い忙しすぎただけなんだと思う。……その後もお父さんは時々会いに来てくれたわ。そして最後に会った日、私に記録水晶をくれたの。何も言わずに。思えばあの時、父は身の危険を感じていたのね……今、ようやくわかった」

 怜奈のスマートフォンのストラップの先には記録水晶が収まっていたリング部分だけが残り、照明の光を鈍く反射している。

「私は父を追いつめた犯人が誰なのか……そして父はどうなったのか……本当のことを知りたい」

 怜奈は顔を上げると、正面の真斗を見つめ返した。

「オレも力になります……やりましょう。二人で」

「ありがとう……真斗くん」

 込み上げる熱いものを堪えて振り切るように、怜奈は笑顔で答えた。

「はい。必ず」

 真斗は短く、しかし力強く答えた。

「……決まりだな」

「わたしも……ナナもがんばるからね!」

 いつの間にか話を聞いていたらしくエフとナナが声を上げる。

「……ええ! よろしくね。真斗くん、ナナちゃん、エフ!」

 全員は互いの顔を見る。

 そこにいる全員の顔に、もう迷いの色はなかった。

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