第三章【5】 託されたもの
研究棟エリアに並ぶコンクリート壁の建物の一棟。入り口のドアの横には『
室内には天井まで届く本棚が並び、ぎっしりと専門書が詰められている。本棚に収まりきれず、机の上や、床の至る所に平積みされた本が連なる様はまるで山脈のようだ。
「すまないね、急に呼びつけてしまって」
ペットボトルの蓋を空け、コーヒーメーカーにミネラルウォーターを注ぎながら、磯崎教授が言う。
「いえ、大丈夫です。ちょうど講義も終わったところですし……それで、お話というのは……?」
小さなテーブルを囲む長椅子の右端に座った怜奈が答える。その隣には真斗と雅美が肩を並べ、同じ長椅子に座っている。
「うむ……」
窓際の棚に置かれたコーヒーメーカーのスイッチを押すと、磯崎教授は怜奈の向かいの安楽椅子に腰を降ろした。そして一呼吸置き――
「……すまないと思ったのだが、少し君のことを調べさせてもらったよ。神崎くん。君は――小早川明彦教授の娘さんだね?」
小早川……? 真斗はきょとんする。しかし当の怜奈は――
「…………――はい。確かに私の父は小早川明彦です。もうだいぶ前に両親は離婚したので、今は母方の姓の神崎を名乗っていますが……」
思わぬ告白に真斗は目を見開く。続いて、小早川という名にはっとする。四年前、ここ叡都大学で起こった謎の火災事件。その舞台となったのは、今ここからまさに目と鼻の先にある立ち入り禁止の区画――小早川研究棟だ。そして……事件以降、行方がわからないのが小早川明彦――つまり怜奈の父親ということになる。えも言われぬ感覚が真斗を包み込む。
「……やはり、そうか。ならば話しておくべきだろう」
教授は背もたれから離れ、少し前かがみになり続ける。
「実は小早川先生とは昔、仲良くさせてもらっていてね、当時まだ准教授だった私は友人としてだけではなく、色々とお世話になったものだ」
「あの、先生……一体何を?」
怜奈が複雑な表情を浮かべる。表面的には平静を装っているが、突如湧いた行方不明の父の話に動揺しているのが真斗にはわかった。
「……ああ、すまない。少し話が回りくどくなってしまったな。実は君たちに話しておきたい事というのは……これだ」
そう言うと、教授はスーツの内ポケットに手を差しいれ――何かを取り出して怜奈たちに見えるように差し出す。
!? それを目の当たりにし、真斗たちは硬直する。五〇〇円硬貨ほどのサイズの透明な円盤。そして表面にうっすらと刻まれた三角形の紋様。それはまさに――怜奈のストラップについているあの水晶盤そのものだ。
「そ……それって……どうして……磯崎先生もそれを……?」
「うむ。私も君と同じように託されたのだよ。小早川先生に、ね」
託された……? それはどういうことなのか。怜奈は混乱する。
「これは……一体何なんですか?」
怜奈の問いに、教授は静かに答える。
「その様子では詳しい事は知らされていないようだね。これは――『
「記録水晶……?」
「うむ。君も持っているから知っていると思うが、表面にたくさんの三角の紋様のようなものが刻まれているだろう。これが『
言われて怜奈は自分のストラップの水晶盤――記録水晶を取り出して顔に近づけて観察する。紋様が刻まれているのは知っていたが……なるほど、磯崎教授の持つ記録水晶とは紋様が異なるようだ。
「さっき先生は、コンピューターでいうところの、っておっしゃいましたよね。じゃあ……記録水晶は何の記録媒体なんですか?」
記録水晶から目を離し、怜奈が質問する。
「それも君たちはよく知っているだろう。それは……『21』だよ」
「なっ……!?」
真斗は思わず声が出た。雅美は声こそ上げなかったが、驚きを隠せないといった表情だ。
「『21』を知っているんですか!?」
怜奈も半ば叫ぶように言う。
「ああ……知っているとも。君たちが『21』を持つホルダーだということもね。まあ、それについては、こないだ喫茶店の屋上で会った時に気づいたのだが」
ガーデンで話しこんでいた時、やはりナナの姿を見られていたのか……真斗は己の失態に心当たりがある。見られた相手がそもそも『21』を知っていたのは幸いだったと言えるだろう。
「それで……この記録水晶はどう使うものなんですか?」
怜奈は質問を続ける。
「記録を読み取るのは簡単だ。『21』を起動し、かざしてみるといい」
教授のその言葉に、怜奈は意見を求めるように真斗と雅美に視線を送るが、ここまで知っている教授にS.N.Sを隠す意味もないと判断したのか、スマホを取り出して『21』を起動すると、ストラップから外した記録水晶を画面にかざす。
…………
「……どう? エフ」
「確かに何かのデータようだ……しかし、色々欠損している。これだけでは不十分だ」
しばし記録水晶をじっと眺めていたエフが答える。
「ねーねー! わたしにも見せて見せてー!」
この声は……ナナだ。相変わらず真斗のことなどお構いなしといった様子で突然騒ぎ出す。
「お前……また勝手に……」
真斗とは違い、ナナのほうはガーデンでの失態など意にも介していないようだ。いや、そもそも覚えてすらいないのかもしれない。
「いいわよ。ナナちゃんも見てみて」
怜奈が真斗に記録水晶を渡し、真斗はナナにかざして見せる。雅美もスマホを取り出して横からビリーに見せる。
「うーん……」
ナナはなにやら難しそうな顔でじーっ、と紋様を目で追っている。時折首を傾げたりもしている。しばしそんな様子で記録水晶を眺め――
「……う、うんっ! 確かにエフの言う通りだね!」
そう言い放った。
「お前……ホントにわかってるのかよ……」
真斗が軽くツッコむ。
横から記録水晶を見ていたビリーはいつもの笑顔でびっ、とナナに向けて親指を立てた。
「とりあえず……これが何らかのデータだってことは確かみたいね」
雅美が言う。
「でも、不十分というのは……?」
怜奈が誰に聞くというふうでもなく呟く。
「先ほども言っただろう。小早川先生から託された、と」
その呟きに磯崎教授が口を開いた。
「小早川先生は三枚の記録水晶にデータを分割して保存し、それを各々違う場所に保管していたのだよ。その保管先の一つが私。そしてもう一つが神崎くんというわけだ」
お湯の沸いたコーヒーメーカーから、しゅーしゅーという空気が漏れる音と共に、蒸気が上がる。
「……? 何の為にそんなことを? それにあと一枚は……?」
コーヒーを淹れる為だろう。真斗の疑問に、教授は椅子から立ち上がりながら答える。
「小早川先生はある研究の成果を三枚の記録水晶に残し、三ヵ所に分割することで、それを守ろうとしたのだよ。全ての記録水晶がどこにあるのか、知っていたのは小早川先生唯一人だ。秘密を守るには実にいい方法と言えるな」
教授はコーヒーメーカーからポットを外す。淹れたてのコーヒーのかぐわしい香りが室内に広がる。
「そして残る一枚だが……おそらく小早川先生自身が持っていたはずだ」
こぽこぽと音をたてながら、白いコーヒーカップが黒茶色の液体で満たされていく。怜奈は自然と立ち上がり、注がれたコーヒーを一つ一つテーブルへと運んでいく。
…………
人数分のコーヒーを淹れおわり、教授は香りを楽しむように鼻先でカップを揺らす。
「いただきます」
真斗は淹れたてのコーヒーを口に含む。途端、口中にふくよかでコクのある味わいが広がり、飲みこむと共に芳醇な香りが鼻腔へと抜ける。……美味い。これまでインスタントや缶のコーヒーしか飲んだことのない真斗には衝撃の味だ。
雅美や怜奈もその味に感服した様子で、思い思いにコーヒーを口に運ぶ。
真斗が初めての本物の味に感動を覚えていると、怜奈が再び話題を切り出した。
「それで……父が持っていたという記録水晶は今どこに……?」
「さて……そればかりは私にも。知ってのとおり、四年前の事件でその行方は不明だ。小早川先生と共に、ね」
磯崎教授はゆっくりと頭を振った。コーヒーには鎮静作用があると言われるが、その効果だろうか。実の父親の失踪について触れられた怜奈だが、動揺することなく、落ち着いた様子で耳を傾けている。
「ただ…………」
「ただ?」
何かを言おうとしながらも迷いを感じている様子の教授に、静かに怜奈が聞き返す。
「……あの事件が起こる少し前、小早川先生は何者かに研究を狙われていると言っていた」
!! 小早川教授が……狙われていた!? ということはあの事件はやはり事故ではなく何者かが小早川教授を狙って……いや、今大事なことはそれではない。真斗は怜奈を見る。
「怜奈……」
「……ええ」
雅美も、同じことを思ったのだろう。怜奈に視線を送る。
――そして、怜奈は深く息を吸い、ゆっくり吐くと――教授の顔を見た。
「実は……昨夜、私の記録水晶を狙って襲ってきた人がいるんです。その相手も『21』を持っていて……一人は袴田明という男、そして多分仲間と思われるもう一人はあの宝條茜。二人ともうちの大学院の学生です」
「なんだって!? まさかそんな事が……」
怜奈の告白に、さすがの教授も驚きの声を上げた。
「そしてどうやらその袴田という男は、U-TOPIAという組織のスコーピオンと呼ばれる人物の指示で怜奈を――記録水晶を狙っているらしいのよね」
雅美の話に、わずかに磯崎教授の顔が曇る。その変化を真斗は見逃さなかった。
「先生。何か知っているんですか?」
教授はしばし何かを考えている様子だったが――
「……うむ。そのU-TOPIAという組織だが……『21』を創り出した団体だと小早川先生から聞いたことがある。そして……先生の研究にも関与していたようだ」
『21』を創った!? それに小早川教授はそのU-TOPIAと関係がある研究をしていただって!? 磯崎教授と話をして色々と衝撃的な事実を聞いてきた真斗だが、これはそれを更に上回る驚きの情報だった。
「それって、一体どういう……父のしていた研究って一体何なんですか!?」
怜奈が興奮した様子で教授に迫る。
「『
教授に全く非はないのだが、申し訳なさそうに言った。
「そうですか……。エフ、何か心当たりはない?」
怜奈はスマホの画面に向かって話しかける。
「ふむ……『21』のシステム上ではエーテルの吸収現象を『インポート』と呼称しているんだ。そこから推測すると、吸収増幅機構というのは、エーテルの吸収現象を高める何らかの装置、もしくはその効果をもたらす『21』の拡張機能とみていいだろう」
「エーテルの吸収を高めると……具体的にはどうなるんだ?」
エフの見解に、真斗が質問する。
「あくまで推測の域を出ないが……それを実現すれば魂装具によるエーテル回収効率を上昇させることは勿論、『21』を通じ、マスターの魂のエーテル吸収力を向上させることも可能だろう。そうなるとマスターの魂のエーテルを消費することのデメリットも軽減できる。要は使い方次第だが……応用は様々考えられる」
「回収効率が上がるとなれば、『21』を創ったU-TOPIAが、吸収増幅機構を欲しがるのは道理ね」
雅美の言う通りだ。怜奈も頷く。
「でも……父はなぜそんなものを創ったのでしょう……?」
「ああ……なんでも昔、小早川先生が独自に考案した前例のない方法で記憶喪失の少女を治療したらしいのだが……吸収増幅機構はその治療方法を広く実用できるものとして確立する為に創り出したものらしい。治療はアメリカで行われたが非公式なもののようで、調べても記録などは出てこなかったがね」
記憶喪失の少女……
まさか……いや、そんなはずはない。だが……
「どうしたの? 真斗くん?」
怜奈が真斗の顔を覗き込むが、真斗にその声は届いていない。
奈落に落ちた自分の前に垂らされた蜘蛛の糸のようなわずかな希望。それは掴むだけでぷつりと切れてしまいそうな、頼りないものだが……しかし、それでも、真斗はすがらずにはいられなかった。
「その……治療を受けた少女の名前ってわかりませんか?」
「いや……記録が無い以上、私には……」
「……そう、ですか」
正直、過度な期待はしていなかったはずだが……それでも真斗は自分の落胆の色を完全に抑えることはできなかった。
…………
「……さて、私から話せる事はこれくらいだ。時間を取らせて悪かったね」
そう言うと教授は椅子に深くもたれかかり、コーヒーを飲みほした。
「いえ、貴重なお話ありがとうございました。昨夜の出来事で混乱していたので……とても助かりました」
怜奈は椅子に座ったまま深くお辞儀をする。
「あ……そういえば……」
頭を上げた怜奈がはっ、と何かに気づいた様子で言う。
「磯崎先生は『21』をお持ちなんですか……?」
怜奈の質問に磯崎教授は一瞬表情を強張らせると、照れくさそうに苦笑する。
「……はは、これが実は私は不適合と判断されてね、残念ながらホルダーにはなれなかったのだよ。随分と知ったような顔で話をしていたのに、これはみっともないオチがついてしまったな」
そう言って教授は笑った。
「でも……そうなると小早川教授はどうやって『21』に関わる研究をしていたのかしらね? もしや小早川教授自身がホルダー……だったのかしら?」
雅美が右手の人差し指と中指で唇をさすりながら、わずかに首を傾げた。
「ふむ……小早川先生がどうだったのかはわからないが、確か協力者のホルダーがいると言っていたな。名前は聞かされてないが、当時大学一年の学生だったはずだ」
「ん……? それって……もしも今この学校に居たら大学院の一年ってことになりませんか?」
言いながら、真斗は推測する。
四年前の事件と、昨夜の襲撃。研究を狙われていたという小早川教授と、ストラップを狙われた怜奈先輩。これらに共通するのは記録水晶の存在だ。犯人の目的は小早川教授の研究成果である吸収増幅機構。そして、それを手に入れるには三枚の記録水晶を集める必要がある。
その為にU-TOPIAメンバーのスコーピオンという何者かが暗躍している。そして、二つの事件に関与している可能性が高い袴田明と宝條茜。しかし指示を受けていた袴田はスコーピオンではない、となると……スコーピオンの正体は……やはり宝條茜……?
「やはり……四年前に小早川教授の研究を狙っていた人物と、昨夜の襲撃の首謀者『スコーピオン』は同一人物ではないでしょうか? そしてその正体は……宝條茜……なんじゃ」
真斗の考えを聞き、しばし沈黙する一同。各々考えをまとめているようだ。
「……そうね。そう考えるのが筋だと思うわ。どのみち袴田明と宝條茜、この二人には用心しないといけないことに変わりはないんだし」
雅美が真斗の考えに同意する。黙っているが怜奈も同じ考えのようだ。
「うむ。そして今後も奴らは神崎くんの持つ記録水晶を狙ってくるだろう。くれぐれも用心するんだ。それと……今後、もし何か困ることがあったら相談に来るといい。私にできる限りの協力はしよう」
「はい、ありがとうございます。磯崎先生」
怜奈は教授に向き直り、少し笑顔を見せて答える。
…………
一礼をして研究室のドアを閉めると、三人は研究棟の短い廊下を出入口に向かって進む。歩きだしてほどなく、雅美が口を開く。
「さて……じゃあ二人とも、今後の活動だけど単独行動は厳禁よ。特に怜奈、くれぐれも注意してね」
「え? ええ……」
感情的な行動を諫めるように言われ、怜奈は肩をすくめる。そんな様子に真斗は思わず苦笑する。
「……でも、ごめんなさい。なんだか二人を巻き込んじゃって」
怜奈がわずかにうつむき、申し訳なさそうに言う。
「何言ってるのよ。助け合うのは当然でしょ……仲間なんですもの」
雅美は振り向かず、扉のドアノブに手を掛けながら言った。
ぎぎいっ、と金属の軋む音をたてながら研究棟のドアが開く。
生暖かい風が吹き込み、研究棟の廊下を抜けていく。
雨足は弱まる気配もなく、雨粒を強く地面に打ち付けている。どこか遠くで鳴った雷の音に、空は震えていた。
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