第三章【3】 追跡者
――数日後、深夜のアーケード街。
「いやー。今日はいつもより早く終わりましたね!」
細い路地裏を歩く三人の姿。真斗、怜奈、雅美だ。いつもより順調にエーテルを回収できた真斗は機嫌がいい。
「時間もあるし、良かったらこのあと少し組手のお相手お願いできませんか? 早乙女先輩」
「…………」
真斗の問いかけに対する返事はない。雅美はなにやら険しい顔で黙ったままだ。
「……早乙女先輩?」
どうも様子がおかしい。真斗は再度呼びかける。
「……怜奈」
「……ええ」
ようやく口を開いた雅美。しかしその声は小さく、いつもの独特な抑揚も感じられない。怜奈も真剣な顔で小声で返す。
「?」
怜奈は真剣な表情のまま、わずかに首だけを真斗に向ける。
「真斗くん。小声で話すわ。動揺しないで聞いて。……私たち、誰かにつけられてるわ」
えっ!? 思わず声を上げそうになるのを真斗は慌てて堪える。まさか……ホルダー……!?
「人数は……二人……いやおそらく一人ね」
雅美が正面を向いたまま、小声で言う。
「ど……どうしましょう……?」
真斗もなるべく自然体を装って、歩みを止めずに小声で話すが、尾行の相手に気づかれやしないかと内心はかなりヒヤヒヤだ。
「無用なトラブルは避けたいところだけど……向こうが付けてきている以上、それは望めそうにないわね。そして数の利はこっちにあるとはいえ、この狭い路地裏で事を構えるのは得策じゃないわ」
「そうなると……」
「……ええ、空き地まで一気に走るわよ。相手が仕掛けてくる……その前に」
雅美は真斗と怜奈に視線を送る、二人はわずかに頷く。
そして――いい? いくわよ! ――雅美が頷くと同時。三人は一気に走り出す!
この行動は尾行に気づいたことは相手にばれてしまうが――空き地にさえ着いてしまえば嫌がおうにも一対一に持ち込まれやすい狭い路地裏での戦闘は最悪、避けられる。そしてもし相手が追ってこない、もしくはこちらを見失うようであれば、むしろそれは御の字だ。
迷路のような狭い路地を一気に駆ける。突き当りを左、十字路を右、そして丁字路を左、最後に道なりに左に曲がると……一気に場所が開ける。雑居ビルに囲まれた、例の空き地だ。
空き地へと滑り込みつつ、すかさず今駆け抜けてきた路地のほうへと向き直り、三人は空き地へと繋がる唯一の場所を囲むように展開する。
しばし注意を払うが……何者かが近づいてくる気配はない。
…………
緊張の糸が解けようとした、その時。
「……いやいや、随分待ちましたよ」
真斗たちの背中側、広場の奥からかけられた声。
!? 完全に予想外の方向からの声に真斗は勿論、雅美や怜奈の顔にも驚きの色が浮かぶ。
ウェーブの掛かった長めの黒髪を片手で掻き上げながら、ゆっくりとした足取りで現れたのは、赤茶色のブランド物のスーツに身を包んだ若い男。色白で面長の顔は比較的整っているが、その目は細く吊り上っており、ナイフのような鋭さを感じさせる。
「余りに遅いものですから。まったく……今日も会えないかとヒヤヒヤしましたよ」
言いながら男は不自然なほど無警戒に近づいてくる。
そして、それに続くように暗がりからぞろぞろと、真斗たちを取り囲むように男たちが姿を現す。
そのいでたちは様々だが、お世辞にも誰一人として友好的な印象を受ける者は居ない。ごろつきやならず者といった顔ぶれだ。十数人……もしかしたら二十人はいるかもしれない。
まさか……さっきの尾行はここに追い込む為の罠……!?
「ふん……テメーら、縁があるな」
よくよく見るとあの鉈の男の姿もあった。
「……? ……誰だっけ?」
この非常事態に臆した様子もなく、怜奈が真斗に聞く。
「……っ! テメー……!」
鉈男がぎりっ、と歯を噛みしめ身を乗り出すが、スーツの男が片手を上げてそれを制す。
「よせ。……彼らは頼りになる友人なのだが……どうも血の気が多くてね。参ったものだ。ボクはあまり暴力は好まないのだがね……」
男はこめかみに手を当てながら、わざとらしく首を振る。
「まあ、それはともかく……ボクがわざわざこんなところまで来たのは、実は少し君とお話しがしたくてね。お嬢さん」
身振り手振りを入れながら、スーツの男が怜奈のほうを見る。
「ふうん。それで……有象無象がお揃いで何のご用かしら?」
男が口でどう綺麗に取り繕おうが、真斗たちを取り巻いているこの状況は尋常ではない。およそ、その話とやらも怜奈にとって歓迎できるようなものではないだろう。そこを踏まえた上で、怜奈はそう返答した。
「これはこれは……威勢のいいお嬢さんだ」
両腕を開きながら、首をすくめる男。大仰な態度が、どうにもいちいち鼻につく。
「単刀直入に言おう。君の持っている……『あるもの』……を譲ってもらいたいのだよ」
台詞とは反して、もったいぶるように男は言う。
「あるもの、ってなによ? 単刀直入ならさっさといいなさいよね」
「おっと……これは失敬。ところで……レディ、という扱いでよろしいかな? 君は」
慇懃無礼な返答をする男。雅美は取り合うわけでもなく、しかし、じっ、と無言でスーツの男を見つめ返す。男の方はそれを意にも介していないようで、視線を再び怜奈に戻す。
「さて、その『あるもの』だが……君の持つそのストラップ――水晶盤をね、譲ってもらいたいのだよ。……ああ。勿論ある程度まとまった見返りは用意しよう」
男は怜奈のポケットから覗くストラップを指差しながら言った。
「……もし、断ったら? これは私にとって大切な物なんだけど」
「さて……どうかな。ボクはそういう答えではないことを期待しているのだが」
それはつまり、これは交渉ではないということだ。表向きには売買で解決しようとしているが、その実は……脅迫。怜奈の意志がどうであれ、最終的には自分の欲する結果にする腹だ。周囲の男たちは、その為に金で雇われた用心棒といったところだろう。
「そう。なら前向きに検討しないといけないわね……でも、これはあなたに似合うのかしら?」
スマホを取りだし、ストラップの水晶盤を指で弄びながら、怜奈が言う。
「……? というと?」
「暗愚魯鈍。飲み込みが悪いわね。――断るって言ってるのよ」
「……なるほど。それが君の答えか。ボクとしてはなるべく平和的に解決したかったのだがね……仕方がない」
白々しく溜息交じりに男が言い、そして軽く右手を上げ――
「……やれ」
手を軽く振り降ろす。男の合図で傍らに控えていた三人の男が一斉に怜奈へと飛びかかる!
各々のその手には、虹色の輝きが具現し……鉄パイプに釘バット、バタフライナイフ、と如何にもな形状の魂装具が握られる。
「……
怜奈の手にも金色の棒――魂装具が具現し、これを迎え撃つ。
振り降ろされた鉄パイプを、怜奈は左半身を下げるように身を捻り躱すと同時、胸部を叩き潰さんと左から迫る釘バットのスイングを両手で持った魂装具で受け止める! そのまま衝撃に逆らうことなく攻撃を受け流すと、その勢いのままに男の体勢が崩れ――これを左から右への一閃で打ち払う! 地面をえぐりながらバット男が吹っ飛び――直後の右背後からのナイフの鋭い突きを予測していたかのように、怜奈は魂装具を地面へ突き立て軸とし、打ち払いの勢いを殺さず反転、そのまま強烈な回転蹴りをナイフ男の首筋に叩き込む! 吹き飛ぶナイフ男が地面に落ちるより早く、初撃を躱された鉄パイプ男が再び芸のない振りおろしで襲いかかるが、既に体勢を整えた怜奈は難なくカウンターの突きを放ち――男はそのまま膝から崩れ落ちた。
三人の男を流れるような体捌きであっさりと片づける怜奈……とその背に新たな刺客が迫る! あの鉈男だ。
突きを放った後の隙を狙っての一撃。怜奈の背中目がけて迫りくる凶刃。
怜奈は振り向きざま魂装具をプロペラのように勢いよく回転させ、その一撃を弾こうと備えたが――それを予測していたのか、男は強く地面を蹴り、軌道を変える!
「へっ!」
男の口が歪み、不敵な笑みを見せ……ることはなかった。
次の瞬間、やはり男は吹き飛んでいた。地面に勢いよく叩き落され、縦に回転しながらバウンドして吹き飛び――最後は突き当りの壁に激突して……どさり、と仰向けに落ちた。
然るべき早業。男の軌道変更に反応した怜奈は、上空からの男の一撃が到達するよりも速く回転を止め、さらに下へと打ち落としたのだ。
「…………」
その光景に、真斗は既視感を覚えずにはいられない。
…………
そして――
「くっ!? なんだこいつ!?」
予想外の出来事に、男たちの顔に動揺の色が浮かぶ。
「……こ、こいつまさか」
「あの伝説の……」
ざわざわと騒々しくなる。何なんだ?
「煉獄の魔女……!?」
「間違いない、烈火の破壊神といわれたあの女だ……!」
「一年前、ホルダー同士のグループ抗争をたった一人で、それも問答無用の両成敗で終結させたっていう……伝説の魔人か……!」
れ……煉獄の魔女? 烈火の……は、破壊神!? 真斗は困惑する。
その間にも男たちの口からは、『全てを無慈悲に焼き払った』『打ちのめされた人間は恐怖で今も病院から出てこれないとか』……などなど物騒な内容が飛び出す。
「は……
上ずった声で男たちの誰かが訴える。
「や……やれっ、スコーピオンの命令は絶対だ! 逃げるやつは俺が許さん! いけっ!」
袴田と呼ばれた男――あのスーツの男だ――が怒鳴る。どうやらあの鼻につく紳士を装った態度は上っ面で、こちらが本性なのだろう。
しかしすっかり蔓延した恐怖に包まれた男たちは、怜奈のよからぬ、いや、不名誉な情報をわあわあと口走るだけだ。
怜奈はというと――
うつむき加減で……かすかに肩を震わせている。周囲の暗さも手伝って表情がよく見えない。
「あ……あの、怜奈……せんぱ……、ひっ」
そっと顔を覗き込んだ真斗は思わずびくっと身を引いた。
見てはいけないものを見たとき、人は反射的にこういう行動をとるらしい。
やがて――
ずいっ、と怜奈が一歩進んだ。ざざっ、と男たちが一歩後ずさる。
「れ……怜奈……?」
雅美が声をかけるが――怜奈には聞こえていないようだ。
真斗の位置からは見えないが……怜奈がゆっくりと顔を上げる。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う男たち、しかし怜奈の動きから容易く逃げられるはずもなく――回り込まれては、奮闘も空しく、次々に魂装具の餌食となる。
あちらこちらで真斗が見たこともないような角度と高さで人が宙に舞う。
阿鼻叫喚。地獄絵図。
……そういえば、こんな人気アクションゲームがあったような気がする。
そう思う真斗の横で、雅美は天を仰ぐように上を向いたまま、片手で目を覆っていた。
…………
数分後――いや、おそらく二分も立っていないだろうか。
空き地のあちこちには、さながら合戦の後のように男たちが骸の如く転がっていた。
「さあ! 後はあんただけよ!」
「くっ……役立たず共が……こんな醜態では俺がスコーピオンに……」
袴田は露骨に苛立ちと焦りの色を見せる。
「覚悟なさい。アンタには色々しゃべってもらうわよ」
怜奈と雅美が迫る。
「いい気になるなよ……! このオカマ野郎……!」
紳士然とした装いはメッキの如くすっかり剥がれ落ちており、その本性が露見する。
そして、叫ぶ袴田の手には光が集い、一本の細剣を形どってゆく。鋭く両刃の刀身、手の甲を保護するかのように柄の部分を覆う湾曲したプレート。これは……中世ヨーロッパで決闘の際に使用された武器――レイピアだ。
怜奈と雅美に続き、真斗も魂装具を具現し、構える。
袴田の実力が如何ほどのものか未だ不明ではあるが――その表情から察するに、少なくともこの三人を相手に圧倒するような芸当は到底不可能なことのように見受けられる。
「きぇぇぇーーっ!」
甲高い発声と共に、地面を蹴り突進突きを放つ袴田! 狙いは……真斗だ!
おそらく実力的に最も劣ると見た真斗をまずは倒し、真斗たちの数の利を削る作戦だろう。
しかし――
――ぎぃぃん!
すかさず雅美が魂装具を真斗の前に突き出し、巨大な斧の『面』でこれを受け止める。
「あら、意外に鋭い突き。思ったよりやるじゃない」
雅美が袴田の攻撃を評する。
「ちっ!」
先制攻撃を失敗した袴田は顔を歪める。
「でもね……アタシの前で真斗くんを狙うなんていい度胸ね。その罰はうけてもらうわよ!」
雅美はそのままに魂装具を振りぬき、戦闘槌での一撃を狙う。
袴田はとっさに身を引き、ぶぉん、と大質量の一撃が空を斬る。雅美のスイングは決して遅くない――いや、魂装具の質量を鑑みれば速いと言える――のだが、袴田はそれ以上に俊敏な動きの持ち主のようだ。動きから推測するに強力な一撃で圧倒する雅美と、速度と手数で相手を削る袴田。そんなところだろう。
再び間合いを取る袴田。攻めあぐねているようだ。
袴田の動きなら、早乙女先輩の攻撃を躱し続けることはできるかもしれないが、こちらには比較的俊敏な怜奈先輩もいる。二人の連繋であれば、袴田もただでは済まないだろう。真斗はそう思った。
そして袴田自身もそれはわかっている。だからこそ、この膠着状態を崩すきっかけを欲していた。
「……観念なさい。行くわよ、怜奈!」
無論それに付き合う必要はなく――雅美は怜奈に合図を送り袴田へと突進する。およそ受け止めることなど不可能な一撃を袴田目がけて振り降ろす! 袴田には避けるほか選択肢はない。そこを狙うべく怜奈が姿勢を低く構える!
直後――
――がぎぃぃん!!
防がれるはずのなかった雅美の一撃は何かに激突し……弾かれる!
弾かれた雅美の魂装具の辺りには虹色の残霧。魂装具が消えるときの輝きだ。
!? ……袴田の魂装具ではない。レイピアはその手に握られているし、袴田自身、予想外の展開に驚愕している様子だ。
空き地の入り口付近に気配を感じ、真斗たちはとっさにそちらを振り向く。
そこには、オフホワイトのジャケットに身を包んだ金髪碧眼の男の姿。真斗はその人物に見覚えがある。
あれは――宝條先輩!?
右の手のひらを掲げるように斜めに突き出しており、そこにはかすかな虹色の霧が漂っている。さっきのは――彼がなんらかの魂装具を放ち、早乙女先輩の攻撃を弾いたということなのか!?
「あっ……」
真斗が何か言葉を発する前に、宝條は路地裏の闇へと消えた。
ついで袴田のことを思い出し、急いで振り返るが……既にその姿はなく、向かいの雑居ビルの屋上にその奥へと消える人影だけがわずかに見えた。
…………
唐突に訪れた静寂。空き地には真斗、怜奈、雅美。それと、あちこちに倒れたままの男が残された。
真斗たちに怪我などはなく、ひとまずは無事だが……真斗たちを襲ったこの出来事は何だったのか……
何かを考えるように、立ち尽くしたままだった怜奈に真斗が問う。
「怜奈先輩……その水晶は……一体?」
しばし黙っていた怜奈が答える。
「……これは……父の形見よ」
ひんやりとした夜風が怜奈の頬を撫で、その長い髪が揺れた。
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