アルター・ドリーム

猪座布団

アルタードリーム

      ☆

 ジョン・スミスと名乗る北高生に出会ってから、もうひと月が過ぎようとしていた。

 あたしはアイツの手がかりを探そうと今日も街を探索している。

 学生達にとって、世間はもう夏休みも真っ盛り。

 商店街も昼間から学生が行き交うことが多くなり、街全体が活気に溢れているように感じる。

 でもあたしにはそんな熱は一切感じられない。

 こんなの普通で当たり前。

 世間が大型連休の開放感や、物理的にも熱いこの空気に包まれていくほどに、あたしの中の熱が急速に冷えていくように思えた。

 特に目的地も決めずにぶらぶらと歩いていたあたしは、駅前のゲームセンターに目を付けると、何の感慨も覚えずに、流れ作業のようにその場を覗く。

 夏休みなだけあって、高校生くらいの男が多い。この店には女の子が遊ぶような筐体は置いていないのでそれも当然。

 あたしは素早く探し人が居ないことを確認すると、そのままくるりと引き返してゲームセンターを後にする。たった今思い出したかのように吹き出た額の汗を無造作に拭うと、早足でその場を立ち去った。

 不毛な作業には、慣れっこだ。



 結論から先に言うと、二度とアイツと会うことはなかった。

 ジョン・スミス。

 北高の生徒。

 七夕の夜に校庭に書いたメッセージを手伝ってくれた。

 居眠り病の姉を持ち、宇宙人や超能力者、未来人とも友達で、あたしと同じようなおかしなコトをする人物とも知り合っている。らしい。

 凄く、興味を持った! あたしの話をバカにせず普通に聞いてくれた。嘘をついているようにも見えなかったし、それに、あたしの他にも不思議なことを探している人が居たことにも。

 きっともう、たくさんの不思議な体験をしているに違いない。

 会いたい。その人物に。

 聞きたい。もっと不思議なことを。

 でもあたしが北高を調べた中には、そんな面白そうな人物はついぞ見あたらなかった。

 それはジョン・スミス本人も例外じゃなかった。

 張り込みもした。人相を聞いて回った。念のためにと名前も聞いた。

 でも、居ない。

 はじめから居なかったとしか思えない。全く痕跡を残さず、あたしの前からジョン・スミスは姿を消した。

 いや、全く、じゃない。

 校庭に残されたメッセージは綺麗に消されてしまったけれど、一緒に書いたあたしの記憶は今も克明に残っている。

 あの夜のことは、しっかりと、覚えてる。


        ☆ ☆


「あのぉ、涼宮さん。この笹、どこに飾れば……」

 あたしが団長机で今年の七夕の計画について思案していると、みくるちゃんが笹の葉を両手で支えながら声を掛けてきた。

「適当でいいんですよ朝比奈さん。あまり邪魔にならないところなら尚いいです。そこら辺にでも置いときましょう」

「こらキョン! 勝手なことしないの! その笹はねえ、織姫と彦星に願い事を届けるための大切なアイテムなの。しかるべきところに置く、それが筋ってもんでしょ」

 相変らずこの男には風情ってものが欠けてるわね。そんなあたしの気苦労を知ってか知らずか、

「逢瀬の途中に勝手に願いなんかを掛けられる方の身にもなってやれ」 

「まあいいではないですか。一年に一度しかないイベントです。仰々しく飾るくらいで丁度良いのではありませんか?」

「その通りよ! なにせ相手は神様だからね。舐められないようにあたし達も胸張っていかないと。いい? ライバルはそこら中にいるんだから、負けてらんないわ」

「お前は神様をなんだと思っているんだ」

 呆れ顔のキョンに……といっても、こいつはいつもこんな顔よね。

 思わずつられてあたしも呆れ顔になりそう。

「ゴチャゴチャ言わずにさっさと短冊に願い事を書きなさい。でも去年と同じじゃダメよ。アッチとコッチで時差があるんだから、同じ願い事なんて書いたら神様が混乱しちゃうかもしんないし。去年の続きのお願いなら分かりやすくていいんじゃないかしら」

「おい、古泉。願い事ってそういうモンだっけか?」

「さて。僕に聞かれましても」

「こらバカキョン! 団長を無視するなんていい度胸ね!」

 あたしを無視して古泉くんと短冊のにらめっこを始めるキョンにするどい視線を送りつけ、あたしも短冊に願い事を書くことにする。

 ……そういえば去年はなんて書いたかしら?

 ふと顔を上げるとみくるちゃんと目があった。

「どうかした? みくるちゃん」

「いえ、そのう。なんかこういうのいいなって。未来がどうなるかなんて分からないですけど、きっといいことがあるに違いないって思います」

 うんうん、さすがみくるちゃんね。あたしたちSOS団の輝かしい未来についてよく分かっているわ。

「でも実はわたし、去年なにを書いたか覚えてなくって……」

 ……さすがみくるちゃんね。未来に生きているわ。

「みくるちゃんなら神様だってサービスしてくれるわ。気にせずバンバン書いちゃいなさい!」

 キョンが非難めいた視線を送ってきてるように見えるけど、当然スルーよ。

 んー、あたしは、去年、なんて書いたっけ。以前にもなにか大事な願い事をしたような、しなかったような……。

「どうしたの有希?」

 今度は有希と目が合った。そしたらあたしは急に眠くなって……そして、「大丈夫」という優しい声が聞こえて──。


      ☆


「よ、また会ったな」

 ……。誰だっけ。

「俺だよ。ジョン・スミス。元気だったか?」

 ジョン! 

 ……でもそんな感じだったかしら? なんだか別人みたいだけど。アイツはもっと、こう、冴えないカンジだったわ。

「おいおい、そりゃひどいな」

 で、なんでまた出てきたの?

「お前が望んだからだよ」

 あたしが?

「俺に会いたかったんだろう?」

 探してはいたけどね。

「煮え切らないな」

 そりゃあね。だって、これは夢でしょ。あたしはアンタにはまだ再会してないわ。それにこのカッコ。まるであの頃のあたしみたい。髪も長いしね。

「あっさり気づきやがって。何のために俺がこんなところまで来たんだか……ハルヒはハルヒってことか」

 どういうこと?

「お前が夢と現実を融合させちまわないか心配してる連中が居るんだ。時間平面越境による過去改変がどうとかな」

 ふーん。よくわかんないけど、お疲れさま。

「普段からそれくらい素直なら、俺もやりがいがあるんだが」

 ねえ……あたし、もしかしてもうあんたに会ったことある? ずっと未来に。

「いいや。でも案外近い未来かもしれないな」

 ふーん。

「さっきからどうしたんだ? お前らしくもない」

 あたしらしくって何よ。

「てっきりもっと食って掛かってくもんだと思って身構えていたんだが。素直過ぎるハルヒってのも、なんだか物足りないって思うのは俺が毒されすぎたか」

 ごちゃごちゃ言うのは勝手だけど、あたしは今考え事をしているの。邪魔しないで。

「へいへい」

 ……やっぱりこれは夢なのね。

 夢の中であたしはジョンと再開して、それで。……それで、何をしていたのかは思い出せない。でも今目の前にいるジョンとは別人だった気がする。夢の中でまた夢を見ているような。

「概ね、それで合ってるってさ」

 アンタも大概ハッキリしないわね。

「俺もナビゲーターに助けてもらってる身分でな。だが、まあ一応謝っておく。ハルヒ、すまないな。夢の中くらいお前の好きにさせてやりたかったんだが」

 別にいいわ。夢なんて毎晩見るんだから。

「そうだな」

 ねえ、また会える? 夢でも現実でも、どっちでもいいわ。

「────」

 ジョンの口が動き、何かを囁いた瞬間あたしの意識は遠のいていき──。


       ☆ ☆


「よ、ハルヒ。いい夢だったか?」

 ……ョン。キョン?

「まだ寝ぼけてるみたいだな。もう皆は先に帰っちまったぜ。俺は団長さまの子守り兼戸締り係ってわけだ」

 キョンが鍵をあたしに見せ付けるように、クルクルと指先で回してみせる。あら、意外と器用じゃない。

「アンタこそ寝言は布団の中で言いなさい。はい、鍵を寄越して。それは団長の仕事だから」

 キョンから鍵を奪い取って、一息。なにか既視感を覚える。

 何だったかしら。

 夢?

「へいへい」

 そういえばとても大事なことが夢の中であったような。

「……あんたも冴えないわねえ」

 ぼやけた映像が頭の中に浮かんだそばから消えていくのがはっきりと感じられる。

「何の話だ?」

「キョンはやっぱりキョンって話よ」

 どんどんモヤが広がり、夢の輪郭すら曖昧になっていく。

「あー、ハルヒさん? その、なんだ……」

 なんだかバツの悪そうな顔をしているキョン。

 まあコイツの表現し難い複雑な表情は今に始まったことじゃないけれど、自分の顔がいかに色んな情報を発信しているのか、そろそろ教えてやってもいいかもしれないわね。要はただのマヌケヅラってコトなんだけど。

「何?」

「……いや、なんでもない」

 そう、あれは夢。

 夢は夢であってそれ以上でもそれ以下でもない。手のひらにためた水が透間からこぼれ落ちていくように、あっという間にさっきまでの感覚を、あたしは忘却する。

 たった一つの事実だけを除いて。

「前にも言ったと思うけど、」

「溜め込むのは体によくない、だろ? みなまで言うなって。分かってるよ」

「そう? ならいいけど」

 溜め込んでいるのは、お互いさまなのかもね。

「いつか話すよ。必ずな」

「そうして頂戴」

「とりあえず、帰りにジュースでも奢ってやるよ」

 真剣な顔も一秒しか持たず、すぐさま破顔して気軽に提案してくるキョン。こんなんでチャラにしたいなんて随分と調子のいいコト……なんて思うけど。

「そういう殊勝な顔は悪くないわ」

「なんだって?」 

 普段からそれくらい冴えていればね。

「さ、帰りましょ。何を奢ってもらおうかしら?」

 やる気のない抗議を背中で跳ね返し、あたしは駆ける。

 慌てて追いかけてくる音を胸に仕舞い、あたしは進む。

「さあ、行くわよ!」

 まだ、もう少し。このままで。

 忘れたフリをしていても、別にいいでしょう?

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アルター・ドリーム 猪座布団 @Ton-inosisi

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