こちら魔界生物研究所

葦元狐雪

第1話「所長! おめでとうございます!」

 ちょう......


 し長......!


 所長!!


 俺はハッとして目が覚める。

いつの間にか眠っていたようだ。

純白の白衣を着た麗しい女性が瞳に映る。

その顔は困惑の表情に満たされており、

覗き込む時に垂れた髪は、なんともいえない色気を醸し出していた。


「やあ、おはよう。助手ちゃん」


睡魔の手によって閉じられた目を無理やりこじ開け、両手にたくさんの書類を大事そうに抱えた助手に挨拶をする。


「『おはよう』じゃありませんよもう。こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」


助手のアンリカがホットコーヒーをデスクの上に置く。

焙煎されたコーヒー豆の芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、睡魔は急ぎ足で退散していった。


「所長。どうですか? 実験の方は」


長く尖った耳をピクッと動かす。

金色の髪を束ねた長いポニーテールがふわりと揺れ、

動くたびに放たれる甘いラベンダーのような匂いは、しばし、俺を花園の中へと誘ってくれる。


「あぁ、バッチリだ。どうにか一晩で完成させたよ」

「さすがです、所長」


 俺たちのデスクから防弾ガラスを隔てた向こう側には、『異世界生物召喚装置』が見える。

あちらの生物を、こちら側へランダムに召喚できる優れものだ。

操作はデスク上のコンピューターで行えるため、非常に安心安全である。

俺はうーんと伸びをすると、助手に仕事を頼む。


「実験前に、朝食を作ってくれないか? もう腹が減って、お腹と背中がくっつきそうだ」


「クスッ。はい、承知いたしました。では、サンドウィッチとおにぎり、どちらが良いですか?」


「うーん、そうだなぁ......じゃ、おにぎりで! 具はシーチキンマヨな!」


「かしこまりました。では、すぐに作って参りますので、コーヒーでもお飲みになってお待ち下さい」


「はいよ〜」


ぺこりとお辞儀をすると、白衣を風に遊ばせながら、アンリカは急ぎ足で給湯室へ向かった。

さて、皆さんには我が1番助手について説明しなければなるまい。


 彼女との馴れ初めは、俺が『魔界生物転送装置』を開発する以前、『試作品として開発した『異世界ツナゲート3号』が暴走し、

爆発とともに現れたのが助手のアンリカちゃんである。

アンリカちゃんには当初、随分と警戒されたものだ。

一歩距離を詰めようものなら、野良猫に不用意に近づいた場合と同じ反応をされたものである。


しかし、『現代異世界ツナ言語ver.12.4』を装着することで、意思疎通を図ることができた。

実験に興味がありそうだったので教えてみたところ、思ったより飲み込みが早く、数ヶ月後には俺の助手を務めるまでになっていた。

いやあ、あの時は実に驚いたぞ。


まさか、アンリカちゃんが魔王の娘だったとは。

こりゃお父さんにバレたら俺、殺されちゃうかもなぁ......

おや、アンリカが料理を持ってきてくれたようだ。

木製の黒いお盆の上には、海苔で巻かれたおにぎりが2つに、やわらかな湯気を立ち昇らせている味噌汁が乗せてあった。


「所長、お待たせいたしました。ツナマヨネーズおにぎりと、お味噌汁でございます。こちら、所長のお好きな『赤だし』を使っています。冷めないうちに、どうぞ」


俺はデスクの書類などを乱雑に手でなぎはらい、

早くここへ置いてくれ、という意味を含んだ目配せをする。


「もう、所長ったら。しょうがないんですから......あれ? 所長、デスクトップに何か文字が表示されていますよ」

「え? 何だって? どれどれ、え〜っと......異世界生物召喚装置起動・システム異常無し、これより召喚をは・じ・め・ま・す〜!?」


突如、緊急事態に常用される『例のアレ』の警告ブザーが鳴り響き、パトライトが激しく点滅する。

装置はガタガタと動き出し、

多くの白煙が扉の隙間から漏れ出ていた。


「待て待て待て! ドウシテコウナッタ?」


「所長。おそらく、先ほどデスクを乱雑に片付けた際、意図せずエンターキーに触れてしまったことが原因かと......」


「マジかよ! この天才科学者の俺様が、こんなミスを犯すなんて! 1世紀に1度あるかないかだぞ!?」


動き始めた装置を止める手段はない。

もし途中で停止などすれば、魔界生物は時空の狭間に取り残されてしまうからだ。

黙って見守るしかなかった。


「所長! そろそろ扉が開きます!」

「うむ。なんでも来い!」


鋼鉄の扉はかろうじて中のモノを抑えている。

しかしそれも限界を迎え、蹴破られたかのように勢いよく開く。

解き放たれた白煙は、まるでバックドラフト現象がごとく、

瞬く間に周囲を白一色の世界へと変えた。


 しばらくして煙が晴れ、不気味に蠢くシルエットが見えてきた。

俺は目を細くしてみるが、どうもよく見えない。

魔界生物のアンリカならば見えるのではないかと考え、彼女の視界の情報提供を促す。


「助手ちゃん、見えるかい?」

「いえ、まだはっきりとは......あっ!」


アンリカが何かを目視したようだ。

小さな手で口を押さえながら、標的に指をさす。

その方向へ視線を移し、どれどれと見てみると、

紫色のスライムのような生物がうごめいていた。


「紫色のスライム! 実に魔界っぽいな!」

「これはまた......」


とりあえず、実験は成功したようだ。

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