アベさん 5mg

江水 裕一

「ンンン、リィーチだぜぇ!」

 輝く液晶画面、震えるハンドル。

 パチンコ台は耳をつんざく効果音とともに、その液晶にビカビカギラギラとリーチの演出を映し出す。そして程なく、

「WIN!」

 けたたましい電子音が鳴り響いた。

 大当たりだ。

「BIG BONUS!」「ウルトラモード突入!」「激アツ!」「SPリーチ!」「BIG BONUS!」などなど、次々と液晶が切り替わり、どんどん数字がそろっていき、その度にパチンコ台からは雪崩のように玉が出てくる。

 が、そこに座るスーツ姿のアベさんの目は、死んでいる。

 アベさんの目は画面ではなく虚無を見据え、死後硬直のようにハンドルを持つ右手は動かず、左手は親指と人差し指でタバコを挟んだままピクリともしない。

 まるで、パチンコをしたまま死んだ死体だ。

 しかし、一見すると虚無を見つめる半眼は悟りを開き、不動の右手は何者かに差し伸べる手に、タバコを除けば左手の二本指は円を描き、御仏が慈悲を表す摂取不捨印の印相が連想させる。

 まるで、パチンコ台の前に現れた御仏だ。

 生と死は紙一重。

 そこに、アベさんは立っている。

 つまり、アベさんは生きながらにして死んでいる。

 しかも、アベさんは生きながらにして死にながらにしてパチンコを打っている。

 更には、パチンコが俄然、当たっている。

 パチンコ台が唸り、玉を出している。

 生死を超えて、アベさんはパチンコを打っている。


 それは、なぜか?


「ウルトラモード継続!」

 液晶は数度目の輝きを放ち、再び甲高い効果音が鳴り響いた。また当たった。

 そこで突然、アベさんの視界に黄色くて四角いものが飛び込んできた。

「どうぞ! 交換いたします!」

 パチンコ屋の女性スタッフが、にっこりとアベさんに微笑みかける。

 丸顔だが、大きめの目が可愛らしい。童顔ともいえるその顔に、黒髪のポニーテールがよく似合う。声は低くも高くもなく、パチンコ屋の騒音でもよく通る。

 当たって出た玉が、ドル箱に溢れかえっているのを見つけて、交換しようと黄色のドル箱を差し出している。

 虚無を映す目と、不動の左手が、動いた!

 液晶を通過し、焦点の合わなかったアベさんの双眸ははたと見開き、瞬間的に眼球の回転のみでスタッフの容姿を視認してのける。

 可愛い。

 しかし、それとは相反し、左手のタバコをゆるりと口に移し、空いた手を掲げ、

「……ありがとうね」

 タバコの紫煙をくゆらせ、口元を微笑ませ、アベさんは彼女に告げた。

「どうぞ!」

 アベさんの手にドル箱を渡すと、続けざまに「失礼します!」と、アベさんのちょうど膝上にある満杯のドル箱へ屈んで腕を伸ばす。小柄なためか、彼女の頭までアベさんの腹の前に来る。

「……!」

 衝撃走る。

 気づくと、アベさんはドル箱を持つ左手を高々と掲げ、ハンドルを握る右手は低く

、挙句、憤怒とも呼べる形相である。

 アベさんは、金剛力士像へと変化していた。

 アベさんは、金剛力士像の姿は模していたに過ぎない。なぜか?

 アベさんは、金剛力士像から限りなく遠く離れた境地にいたからだ。

 なんて……とアベさんは思う。

 なんて……とアベさんは見る。

 破廉恥な! アベさんは、まさに満杯のドル箱を抱えようと屈んだ彼女のうなじが自らの腹のすぐ前にあることに、そして、彼女の顔が自らの股間の直上に存在することに、非常に興奮していた。それも、とてつもなく!

 しかし、滾る血潮は引き潮だったようだ。

 貫かんばかりにうなじを凝視した視線も、暴発させんばかりに意識した股間も、瞬く間の出来事ととしてアベさんの意識からは消え去り、ただまた茫漠とした虚しい感情が彼を支配する。


 それは、なぜか?


 アベさんがたっぷり出した玉の入ったドル箱を、パチンコ台からようやく出したスタッフは、どこからともなく取り出した台車に乗せ、「ごゆっくりお楽しみください!」と、現れたとき以上の笑顔で言うと、一礼しアベさんのもとを去っていった。

 パチンコ台は相変わらずチカチカ光り、ガチャガチャ動き、ジャラジャラ玉を吐き出している。

 アベさんも相変わらず、半眼で、微動だにしない右手でハンドルを握り、咥えていたタバコは左手に戻り、死体の様に、御仏の様に、玉を打ち続けた。

 ほどなくして、またもやドル箱は満杯になった。

 アベさんは、開眼した!

 咄嗟に、タバコを灰皿に捨てると、店員呼び出しボタンを押した。

 期待、である。

 液晶には相変わらず「ウルトラモード継続!」「SPリーチ!」「CHANCE!」「NEXT!」などの文字が現れ、消え、そのたびに数字がそろったり、そろわなかったりしている。

 まだ、来ない。

 アベさんはシャツの胸ポケットに入れたタバコを取り出し、手首のスナップをきかせてソフトケースから飛び出た一本を咥えた。

 まだ、来ない。

 パチンコ台に置いていたライターで、タバコに火を点け、大きく息を吸い込んだ。

 まだ、来ない!

 息を吐いた。

「お待たせして申し訳ありません!」 

 アベさんの視界に黄色くて四角いものが飛び込んできた。

「WIN!」「SUPER BIG BONUS!」「んんんまだまだ行くぜぇ!」

 アベさんの頭は思わず回転。

「どうぞ! 交換いたします!」

 パチンコ屋の男性スタッフが、にっこりとアベさんに微笑みかける。


 輝く液晶画面。震えるハンドル。

 パチンコ台は耳をつんざく効果音とともに、その液晶にビカビカギラギラと大当たりの演出を映し出す。そして程なく、「ごゆっくりお楽しみください!」と、男性スタッフは満面の笑みでアベさんのもとを去った。期待とともに。

 近所の私鉄駅から徒歩三分。六周年の幟を店前にずらりと並べたパチンコ屋。

 一月の第二月曜日。

 時刻は午後二時とまだ陽は高い。

 客も少ないパチンコ屋でさっきから当たりを引き続ける、スーツ姿のアベさん。

 本名、阿部陽介、25歳。

 職業、営業職。

 三時間前に受けた病院での診断、ストレス性障害よる抑鬱状態のため、一か月の療養を要する。


 つまり、アベさんは今日、ストレスで仕事を休職することになった。

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