文字数7000 ジャンル『現代ドラマ』 タイトル『スカイライン』




 共に生きよう。一度潜ってから、またスカイラインを目指して――。








 ……鳥になりたい。



 俺は荒川あらかわの土手で夕焼けに染まる空を見ながら思った。



 ……鳥になって空を自由に飛んで、それから死にたいな。



 空を飛べれば好きな国へ行って、自由気ままに生きて、いつでも死ぬことができるのだ。


 人間、生まれてくる方法は一つしかないが、死ぬ方法はにある。俺は自由になって自由に死にたいと願った。安直だが、鳥になって死ぬ、それこそが俺の唯一の願いだった。



 ……腹減ったな、今日はどうするか。



 なけなしの財布を見つめ茫然とする。今の俺は仕事もなければ住む場所にさえ困っている。大学の先輩に薦められて小さな居酒屋・『高砂たかさご屋』を立ち上げ何もわからず成功してしまったのだが、たった一度の不倫で全てを失ってしまった。


 

 ……仕方ねえ、今日もあそこに行くか。



 汚れ切ったズボンを払いながらゆっくりと立ち上がる。会社のおかげで素晴らしい妻ができ、大勢の大切な仲間に巡り合い、順風満帆な人生を送っていたが、堕ちる時は一瞬だ。羽をもがれた鳥のように谷底に叩き付けられ、今の俺は今日の日付も明確に覚えていない浮浪者である。



 ……鳥になるためにはどうしたらいいのだろう。



 よぼよぼと歩きながら、目的地を探す。虚ろな思考で鳥になる方法を考えるが、何も思いつかない。今まで頼り切っていたスマートフォンはなく、グーグルの検索もできないのだ。



 ……今日くらいはシャワーを浴びとくか。



 財布を掴みながらネットカフェの戸を開く。河川敷での生活にも慣れたが、真夏のシャワーは必須だ。なけなしの金で俺は屋根のある個室に泊まることにした。



 ……よし、せっかくだしここで探してみるか。



 シャワーを浴びて身を整えた後、個室にあるPCで空を飛ぶ方法を検索した。様々な方法があったが、目に止まったのはパラセーリングという方法だった。



 ……これなら一人で死ぬことができるな。



 情報に漏れがないか、確認する。スカイダイビングでは必ずインストラクターがつくため、一人では飛ぶことができないのだ。代わって、パラセーリングとは舟にパラシュートを装着して動力によって空に浮かぶ方法だ。空を飛ぶ時に重要なのは一人だと決めていたので、これが俺の考えにしっくりきた。



 ……どうせなら、南国に行くか。



 お一人様自殺ツアーを計画していく。近場のパラセーリングをしても自由な気分にはなれないし、悔いが残るだけだ。パスポートもないし、拙い考えだが南国なら沖縄に行くしかない。



 ……沖縄のどこにいくかな。



 一言に沖縄といっても島の集まりだ。羽田からの直行便がある宮古島を選択し、意思を固める。



 こうして俺は日雇いのバイトを繰り返し穴場の安い片道旅行券だけを入手した。


 ホテルなしを選んだのはもちろん、その場で死ねることを考えてだ。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 

 ……あっちなー、やっぱ。



 沖縄の宮古島につくと、俺は早速アロハシャツ・短パンに着替え、パラセーリング業者に電話を掛けた。気持ちよく自殺するためにはまず周りの目を騙さなければならない。


 

 ……やっぱ定職についたまま、自殺した方がよかったかな。



 現地についてからあらぬ方向に考えが及んでいく。もちろん、このまま自殺しても、加入を続けている保険金は手に入る。だが無職の俺が自殺したと保険会社が知ったらどう思うだろう。きちんと妻の所に金が入るだろうか、心配は別の方向へと向かっていく。



 ……まあ、仕方ない。なるようになれだ。



 小さく吐息をつくと、業者の車が空港まで迎えに来てくれた。肌の黒いサングラス男にカタコトの日本語をしゃべる軍兵のような男が沖縄を強くイメージさせてくれる。おっさん達に異常なほど絡まれながら俺が海に着くころには、午後2時の太陽が俺を出迎えてくれていた。



 ……よし、完全な自殺日和じゃないか。



 緩やかにテンションが上がっていく。自殺をするといっても、コンディションは大切だ。悔いのないように、安心安全で、正々堂々と、俺は気持ちよく死にたい。


 車から降りると、白浜のビーチが日差しを浴びていた。常夏のせいか、小鳥が戯れているだけで、自然と気分が載っていく。


 業者の車に導かれ小型舟に乗ると、そこには若い女が一人乗っていた。南国に来ているというのに長袖長ズボンの格好だ。日焼け対策にしてもずいぶん薄暗い格好をしているし帽子も被っていない。



 ……やっぱり、一人だけで飛ぶのは難しいか。



 あらかじめ予約の少ない閑散期の平日を狙っていたのだが、先客はいたようだ。だからといって一人だけで飛ぶ機会を待つほど金はない。俺には今日しかないのだ。


「ドッチが先に飛びますカ?」


「どうぞ、お先に飛んで下さい! さあ、どうぞ!!」


 彼女に強く薦める。俺が先に飛んで死んだら、彼女は飛ぶことができなくなるからだ。それでは申し訳が立たない。


「じゃ、じゃあ私からで……お願いします……」



 彼女が挙手をして伝えると、業者は彼女にライフジャケットを着用し舟の後方に向かった。彼らの打ち合わせが終わると、早速彼女はゆっくり天空へと舞い上がっていった。その姿に俺は驚愕した。



 ……い、いくら何でも高すぎるだろう。



 もはや肉眼で彼女を観察できないレベルだ。ロープがなければ繋がりが見えない距離にすらある。パラシュートはゆらゆらと揺れて、風を目一杯吸い込んで気持ちよくなびいている。



 ……いかん、足が震えてきた。

 


 波はないのに、風が強く感じられる。きっと俺の体が恐怖で竦んでいるのだろう。これから死ぬという恐怖ではなく、未知なる体験に神経が萎縮していく。


「どーデス? 凄いデショ?」


 業者によると今日の天気は好調で100mまで飛べるということだった。俺は口を開けたまま頷き、次が俺の番なのかと他人事のように彼女の光景をただ眺めることしかできなかった。


 10分ほどして彼女の体が舟についた後、彼女は穏やかな顔をしていた。先ほどと違い笑顔を見せている。よほど気持ちがよくてテンションが上がっているのだろう。


「お先に失礼しましたっ! どうぞどうぞっ!」


 彼女は声を上げながら降板に向かう。


「ああ、すいません……」


 小さく声を上げながら舟の後方へと向かう。パラシュートの近くへ向かうとロープで体を固定され、空気椅子状態になった。尻に感触はなくふとももに体重が掛かっている。



 ……おお、怖えよおお。



 俺の懇願もむなしく、業者は無理やりに飛ばせようとするようにチェックを済ませていく。心の準備はできていないのにだ。



 ……だがこれでいい。



 ポケットの物を確認する。袋には自社の折りたたみナイフが入っており、ロープを切ることができるのだ。100mから落下するというのは大体30階立ての高層ビルから落下するのと一緒で、ライフセーバーを外して海面に落ちれば確実に死ねるらしい。



 ……よし、来い! 



 自分自身を奮起させて大きく息を吸う。それと共に動力の音と体が上空に向かい、一瞬で上昇していく。だが安全紐に少し傷が入っていることがわかっただけで俺の心は急速に萎んでいく。



 ……やっぱ、怖ええ! 降りてえ!! 何で傷が入ってるのおお!?



 俺の奮起も虚しく、最高高度に達するまでに竦みあがっていく。もうすでに舟が豆粒のように見える。高度が上げる度に体が硬くなっていき、両手は把手に同化して離すことはできない。



 ……これが最後だ、ここでびびってはもったいない!



 上空にある気持ちよさそうに揺れるパラシュートを見て思い直す。今日が最後の日になるというのに、最後くらいビビッて終わるよりは笑って死にたい。


 

 ……俺は社長だった男だ! あの頃の勢いを思い出せ!



 社員の顔を思い出しながら、心情を強めていく。能力がない俺は4年間休まずにただ会社にいることを念頭に走り続けてきた。その甲斐もあってか、出来のいい社員達は俺に尽くしてくれたのだ。



 ……無理やりにでも笑ってきたじゃないか! 赤字でも最後まで笑い飛ばしてきたじゃないか! ここで笑顔にならなきゃ、俺の人生は意味がねぇええ!



「うおおおおおお! 俺は鳥だああ!! 鳥人間だああああ!!」



 意味もなく言葉を上げて自分自身を高揚させると、周りの景色が頭に入ってきた。地平線の方向まで綺麗な海が一望でき、辺りを一周見渡すと、島の形状が確認でき、次第に心が静寂を取り戻していく。


「お、亀がいるじゃん!! おーい!! 俺はここだぞー!!」


 意味なく手を振って水中にいる海亀にアピールをする。透明度が高いため、魚の群れが簡単に確認できる。



 ……なんて綺麗な海なのだろう。



 砂浜から続く淡く透明なブルーが沖に向けて藍染で染まったようにグラデーションをつけていく。今から死ぬ俺にとってはやはり絶好のコンディションだ。ここで飛べないのなら、他の場所でも無理だろう。



 ……でも、ここで死ぬのはもったいないな。



 不思議と心が軽くなっていく。決して恐怖からではない、天空に上がると地上の悩みなど些細な気がして死ぬ意味を見出せなくなっていたのだ。


 俺はこの島を何も知らない。会社を立ち上げて何も知らずに成功し、何も見えていなかった時と同じように、俺はただ綺麗な部分にだけ目を奪われている。



 ……あの時と同じでいいのか、俺は……?



 心の中で回想する。順風満帆だと思い込んでいた夫婦生活、少しの赤字でも乗り越えられると奮起していたあの頃、従業員に横領され裏切られても信じ続けていた俺の信念はただの幻だった。



 ……信じていたら救われる。それだけを頼りに走ってきた。



 留守を続けた結果、妻に間男がいることを知り、不覚にも従業員に手を出してしまったこと。自分の給料さえも、社員に流し、仮初の会社ごっこを続けてしまったこと。俺は夢を追い求め過ぎて現実を見れていなかった。


 そのため、夢を見続けたまま、死ぬことを目指してここにきた。



 ……本当に俺はここで死んでいいのか?



 むしゃらに働いてきたので、悔いはないし、莫大な借金もある。逆転するためには保険金しかない。だけど、本当にこれでいいのか?



 生と死が体と心の中で反転する。生きてもいい、死んでもいい。俺には生きる資格さえないと思っていた。だけどこんな景色が見られるのなら、またやり直してもいいかもしれない。


 地獄を背負ったままでも――。



 ……ん、パラシュートの中に何かいる?



 上を見上げると、青い小鳥が必死に空を飛んでいた。どうやら地上に降りた時に潜り込んでしまったようだ。



 ……俺が紐を切ったら、こいつも死んじゃうだろうな。



 明らかに自分の力でここまで飛んできた訳ではないだろう。こいつはパラシュートとボートのエンジンの力でここにいるのだ。



 ……何だか俺みたいな存在だな。



 不思議と親近感が湧いていく。こいつの命まで俺が預かっているとなると、やはりここで死ぬわけにはいかない。



 ……俺はこの島の何を知っている?



 改めて島全体を見回す。空から眺め、全てを一望できたとしても、その人々の暮らしはわからない。神様にだって、全てを知ることはできないのだ。



 ……今度こそ。今度こそ、俺はこの島で覚悟を持って生きた上で、死にたい。



 働くことにだけ価値がある訳じゃない。俺はこの島の人々を知って、それからもう一度、空を飛んで死にたい。何も知らずにここで死ぬのは卑怯な気がする。


 ポケットにある折りたたみナイフをぎゅっと握りそのまま降下することにした。


 舟の上に戻ると先に小さな青い鳥が離陸しており、その姿を見て自然と顔が綻んだ。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



海斗かいとさん、こっちですよー!」


「ごめんごめん、待たせちゃったね」


 

 降下した後、一緒に空を飛んだ女性と意気投合し夜飯を食べることになった。何でも彼氏と一緒に来る予定だったらしいのだが、仕事の予定で来れずに暇を持て余していたという。


 彼女のレンタカーで俺達は島唄が流れる居酒屋に向かった。


「明日はシュノーケリングをする予定だったんです」


 彼女は宮古島名物・グルクンのから揚げを食べながらいう。骨までついた魚なのだがこれが歯ごたえがあり美味しい。


 シュノーケリングとはゴーグル装備だけでできる魚観察のようだ。スキューバダイビングとは違い、ライセンスを取っていなくてもできるらしい。


「彼氏と二泊三日の予定だったのですが、都合がつかなくて……それで私一人で来たんです」


「なるほど……」


 泡盛をちびちびと舐めながら頷く。度数が高く癖が強いがゴーヤチャンプルと非常に合い、体中にアルコールが回っていく。


 彼女の名前は飛鳥あすか。空を飛ぶために生まれてきたような名前だが、高所恐怖症だそうだ。あれだけ空を高く飛べたのだから、その病は完治しているといっていいだろう。


「せっかくだから、俺も行ってみたいですねー」


 唐揚げを見つめながらグルクンが透明な海で泳いでいる姿を想像する。きっと彼らは太陽の光を目一杯に浴びながら海水浴を楽しんでいるのだろう。その姿に心まで踊っていく。


 グルクンは海の中では青く、地上に出れば赤くなってしまうらしい。鮮度が弱く揚げて食べるのが通例となっているようだ。


「もし海斗さんの都合がよければですが……一緒に行きません?」


 彼女は俺の泡盛を拝借していった。


「一人じゃ寂しいですし、誰かいた方が盛り上がります。どうせ……彼氏とはこのまま別れることになりそうですし……思い出を作りたいんです」


「俺でいいんですか?」


 願ってもない言葉に驚き耳を疑う。


「そうして頂けたら助かります。明日の予定も立てずに来てしまったもので」


「そうなんですね。その代わりなんですが……明日だけは私の彼氏を演じて下さったら嬉しいです」

 


 飛鳥に泊まる場所まで提供して貰った次の日。


 俺達は業者の契約にフルネームでサインをした後、シュノーケリングを楽しんだ。場所は宮古島の青の洞窟と呼ばれるスポットで、淡い海の中を魚が目一杯泳いでいるのが確認できた。


 そこは楽園といっても過言ではなく、様々な色に満ちた魚と珊瑚が太陽と海のキャンパスに色を付けていた。シュノーケリングのマスクを枠にして、時と共に変わる絵画を夢中になって眺めていく。



 ……こいつらは何を考えて色をつけてるんだろうな。



 精一杯に泳ぎ回るグルクン達を眺めて彼らに思いを馳せる。海の中では青く地上に出ると赤くなるのはどうしてなのだろうか。色を失い怒っているのだろうか、それとも海の思い出を心に閉じ込めておきたいのだろうか。



 ……この子も、何を考えてるんだろうな……?



 飛鳥は自分の企画であるにも関わらずシュノーケリングを楽しんでいるようには見えなかった。世間話をしている間も何か考えるような様子を見せ、移動中はほとんど無言だった。格好も昨日と同じ、地味なもので日焼け止めなど塗る様子は全くない。



 ……まあいいか、俺が気にすることでもない。



 ただ黙々と彼女のレンタカーを運転し様々な場所へと向かう。最近できたらしい伊良部いらぶ大橋の大きさに驚き、暑さで温くなったマンゴーカキ氷とさんぴん茶で喉を潤し、200種類あるハイビスカスに埋もれた植物園でスコールに打たれながら、次々とデートスポットを楽しんでいく。



 ……でも、今は彼氏役だからなぁ。



 飛鳥の言葉だけを頼りにし、最後のスポットは昨日と同じ居酒屋にした。彼女は酒を飲まず料理にも手をつけずただ黙るばかりだ。その姿を見て俺は不安になる。



 ……もしかして俺と一緒にいることが面白くないのだろうか。



 確かに彼氏の代役をするとはいったが、話を聞いていないのでただ付き添いのような立場を演じる他ない。だが俺が何かを失敗したような空気は覚えなかった。


「どうしたの? 具合でも悪い?」


 なるべく優しい声でいう。


「ごめんね、気がつかなくて。これじゃあ彼氏失格だよね」


「いえ……そういうわけではないんです。こちらこそ……ごめんなさい」


 飛鳥の憂鬱な表情を見て俺は何故だか心を奪われる。



 ……今更何を考えているのだ、俺は。また女を不幸にさせたいのか?



 無言で酒を飲みながらも現状を笑うしかない。昨日まで死ぬことを考えていたのに、今は彼女のことしか考えていないのだ。いかに自分の精神が弱いか思い知らされる、これでは確かに社長としては器量が足りないといっても仕方ないだろう。まして不倫で会社を潰したのだから酌量の余地はない。


 だが今日までは飛鳥の彼氏だ。明日、彼女は地元に戻ってしまう。ならそれまでは付き合うのが当然だ。


「どうする? ホテルに帰ろうか?」


「いえ、具合は悪くないんですけど……」


 彼女は俺を上目遣いで見る。


「……よかったら海に行きませんか? ちょっとだけ、潮風に当たりたいんです」




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 飛鳥の運転でパラセーリングした海へ向かい砂浜に下りると、そこには再び青い小鳥・イソヒヨドリが独特な美声で鳴いていた。


「イソヒヨドリの青いのがオスだよ。高度2000m以上の所に住むことができるのに、日本では磯に住んでいるみたいだ。不思議だね」


 俺は今日得た知識で彼女に呟く。


 パラセーリングの時、こいつは100mの所でも必死に飛び回っていた。それを俺が勘違いして、この高さでは死んでしまうと勝手に勘違いしてしまったのだ。


「青い鳥が見えたら幸せになれるって誰がいったんだろうね……。でもそれは間違いじゃなかったよ……」


「……どうしてですか?」



「君に会えたから」



 本心で告げる。


「俺はさ、実は傷心旅行で来たんだ。地元で大勢の仲間と協力して、がむしゃらに働いた。小さい居酒屋だったけどさ、何店舗かチェーン店までできたんだ。だけど俺はそんなに頭がいい方じゃなくてさ、自分を見失って不倫して、全部失ったんだ……」



 ……彼女にだけは嘘をつきたくない。



 泡盛の力を借りながら素直に思いを告げていく。明日には彼女はこの島を離れる。俺の命も明日までだ。明日再び、パラセーリングをして死ぬことを決めている。



 ……やっぱり俺って、からっぽだな。



 彼女とデートして再び気づいてしまう。それはだ。彼女のことを知ろうとするほど、自分がいかに無力で、何の支えになることもできず、ただ傍観者でいるしかないことに気づいてしまったのだ。



 ……飛鳥には俺の真実を知っていて欲しい。どんなに最低な男だと罵られようと、本当の俺を知って欲しい。



「……先を聞いてもいいんでしょうか?」


「ああ、つまらない話でよければ……さ……」


 柔らかい砂の上を踏みながら続ける。


「……空を飛びたかったんだ。皆を乗せた飛行機でもっと高い所にいきたかった。でも現状を理解できなくて、それでも俺だけは前に進んで、会社はあっという間に火の車さ。妻と喧嘩ばかりして店の従業員に慰められて、俺はその同情に揺らいだんだ。最低だよ」


「……確かに最低ですね……」


 飛鳥は小さく頷いた。


「でもそれは海斗さんだけが悪いとは思いません。だから……元気出して下さいよ」


 飛鳥の一言が生きるエネルギーを生み出していく。もう俺には必要ないものだが、それでも心が自然と高まっていく。


「……ありがとう、嘘でも嬉しいよ」



「……ねえ、海斗さん。最後にお願いがあるんですけど……」



 彼女は何気なく呟いた。


「何だい? 俺にできることであれば、構わないよ」


「もし……私と一緒に死んで下さいといったらどうします?」


「えっ?」


「今日までは彼氏ですよね、このまま永遠に付き合って一緒になるというのはどうです?」


 飛鳥は冗談のようにいったが目は笑っていなかった。きっと半分は本気でいってるのかもしれない。


「もしかして本気でいってる? どうして?」


「……答えをくれたら、ちゃんと答えますよ?」


「もしかして何だけど……飛鳥ちゃん、パラセーリングで自殺しようとか考えてた?」


 俺が再び質問を返すと、飛鳥は小さく微笑んだ。


「……ずるいです、私の質問に答えて下さいよ。でも……当たりです」


 舟での彼女の格好が再び蘇る。長袖長ズボンに地味な色目、とても南国を旅しようなんていうものには見えなかったのだ。


 それに縄の傷――。


 空を飛ぶときに必ず、業者はチェックするはずだ。チェックを免れたとするなら、それはその時に先に飛んだ者しかいない。


「もちろん本気では考えてなかったですよ。でもあなたと一緒にいる間に……その気持ちが……どんどん高まってきました」


「それは……どうして?」


「私の彼氏もあなたの会社にいて他の人と浮気したんです。今、聞いた話を纏めると、不倫、だったみたいですけど……」


 彼女はポケットから俺と同じ型のナイフを取り出した。そこには高砂屋の文字が入っている。


「あなたの会社は高砂屋で、あなたの苗字は高砂ですよね?」



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「え? それは、もしかして……」


「ええ。そういうことみたいです。あなたの奥さんと私の彼氏が、ってことみたいで……」



 飛鳥の話を聞いて俺は今すぐにでも死にたい気分になった。どうやら俺が仕事に精を出し過ぎたせいで、彼氏と妻が逢引きするはめになったらしい。つまり結果として俺のせいで、飛鳥の結婚が破綻になったのだ。シュノーケリングをした時から俺の苗字を見て違和感を抱いていたとは考えてもいなかった。



「……すまない。謝っても仕方ないけど、謝らせてくれ」


「海斗さんのせいじゃ……ないですよ」


 飛鳥は大きく手を振り否定した。


「会社が成功していても、彼、私の方に戻ってこなかったと思いますから。浮気されていたのも会社がなくなる前からだったんです」


「そうだとしても俺は君に罪滅ぼしがしたい。仮に君が一緒に死ななくてもここで一人で死んでもいい」


「それは駄目ですよ」


 飛鳥は俺の顔を見ていった。


「罪滅ぼしっていうのは人のためになることをするんです。あなた一人が死んでも何の罪滅ぼしにはなりませんよ」


「じゃあ……どうしたらいいんだ?」


「私と一緒に……グルクンになって下さい」


 飛鳥は海の方向を指差しながらいう。


「鳥になりたいと思っていたんですが、生憎私は飛ぶのが怖いので……もう飛べません。なので……私のために魚になって下さい」



「……わかった」



 強く信念をもって頷く。死に方が変わるが、理由があるのならそれで構わない。


「それで飛鳥の気が済むのならそうしよう。この綺麗な海の底で一緒に魚になれるのなら本望だ」


 俺達はグルクンになるために海の底へ向かう。体は全くこわばっていない、きっと飛鳥がいるからだろう。



 ……まさか魚になるなんて、思ってなかったな。



 自分の身を案じて小さく笑う。俺達は鳥になるために南国に来たのに、魚になって海に潜るのだ。だがそれで構わない。俺はこの島のことを知り、彼女を知れた。それだけで満足だ。



 ……やっぱ夜の海は冷てえな。



 海に浸かり体温が奪われていく。それも心地いい。このままなら安心して死ぬことができそうだ。俺の頭にある考えは一つだけになっていく。 



 ……俺達は海に入ったら、何色になるんだろうな? 飛鳥。



 海に入れば俺の体は青に変われるのだろうか、それとも赤になるのだろうか。その答えを知るためにはもっと深い所に潜らなければならなない――。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「行ってらっしゃい、海斗君」


「ああ、行ってくるよ、飛鳥」



 日に焼けた彼女に返事をしながらいつも通りキスをする。



「あ、そうだ。今日の卵焼き、もう少しだけ味濃くしてくれた?」


「うん、もちろん。砂糖もちゃんと混ぜたから、大丈夫」


「ん、ありがとう。じゃあ今度こそ、行ってきますっ!」


「ん。行ってらっしゃいっ!」



 あれから10年――経った今でも、俺達は未だにこの島にいる。島の人達に捕まれ死ぬことができなかった俺達は一緒に泣き叫びながら、一緒の布団で寝た。イソヒヨドリの泣き声によって俺達は魚になることができなかったのだ。


 だから俺達は、今までの全てをあの海に捨てこの島で生きることを決めた。俺はダイビングショップでインストラクターとして、彼女もまたその料理を担当してくれ一緒に一つの舟を経営している。


 俺達はパラセーリングを封印した。空を飛ばずに海底に身を置くことを決めたのだ。関わった全ての人に贖罪の思いを込めながら――。



 ……もう10年になる。いや、まだ10年か。



 小型舟のエンジンを掛け、乗客をダイビングポイントへ誘導しながらふと思う。この小さな島にきて、長い年月が経つが、俺は未だこの島を知り尽くすことはできていない。人との出会いが俺の体を青にも赤にも変えていき、自分すら理解できていないのだ。



 ……鳥になりたいと思っていた。でも、俺はもう空を飛ぶ必要がない。



 飛鳥に眠る命を思いながら、今日も海の底へ向かう。



 人間、生まれてくる方法は一つしかないが、死ぬ方法は無限にある。


 そしてもちろん、のだ。



 俺は今日も自由なイソヒナドリになるために、グルクンとして海底を泳ぐ。



 水平線を海底へ移せば、地上はスカイラインへと生まれ変わることを信じて――。




★23

9人が評価しました

★で称える

自分の小説はレビューできません

@kuronekoyaさんが2017年4月22日 09:55に★で称えました

★★★ Excellent!!!

様々な出会いが主人公を変えて行く。 ―― 夷也荊

 最初は暗い話かと思いきや、それは作者の狙い通りだった。

 主人公はあることによって、「最悪」な状態に陥り、タグにあるように自殺願望を抱く。しかし海や女性、鳥やパラセーリングとの出会いによって、心の内側が変化していく。

 そしてこの短さで主人公の心は南国の海や空のように、すっきりと晴れ渡ることとなる。

 さすがは作者様。短編の名手でいらっしゃる。

2017年4月20日 06:47

@presentstarさんが2017年4月19日 18:26に★で称えました

am2:00ノクロネコさんが2017年4月18日 10:09に★で称えました

★★★ Excellent!!!

自殺か?生きるか?最後は自分の選択! ―― 大柴 博明

究極の選択だと思うのです。


ひとりでは、自分の意志で動く。


ふたりだったらどうだろう?


人生の試練と、改めて直面しようと思う作品でした。

2017年4月18日 08:11

まりもさんが2017年4月16日 15:33に★で称えました

高叢阿斗さんが2017年4月16日 05:15に★で称えました

月花さんが2017年4月15日 22:50に★で称えました

★★ Very Good!!

死に場所を探す男は一人の女性に出会う ―― 空色蜻蛉

これは女性との出会いのお話ですね。

男性が死にたいと思っている理由について、また女性が男性と一緒になる理由について、今ひとつ納得できない部分があります。

しかし、一緒に死のうとするのはロマンチックでしたし急展開は面白かったです。

耽美に拘らず登場人物のリアルな心情を追求して書いたら、もっとリアリティがあったのではないでしょうか。


今後の執筆活動を応援しております!

2017年4月15日 18:52

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