033 ナーベラル・ガンマ

 決意表明を決め込もうと一歩がなかなか踏み出せず一日が終わる。

 時間は無情だ。魔法で止められるとしても。

 自室のドレスルームにて衣装替えを試みる。

 リ・エスティーゼ王国周辺はそれほど凶悪なモンスターが居らず、北方や森などに行かない限り、比較的安全な国と言われている。

 だから、全身鎧フルプレートの冒険者というのはかなり目立ってしまう。

「……市民っぽい服装って無いんだよな……」

 PKプレイヤーキラーPKKプレイヤーキラーキラーが横行していたゲームだから自分達のような異形種が平然と町に行くのは当たり前の事だった。

 それが無い普通の世界となれば物騒な装備はかえって怪しい。

 しかも、取得している職業クラスによって装備できないものがある。

 何故か機能しているゲームシステム。

 『システム・アリアドネ』も本当は機能しているのではないかと思うのだが、実験はとても危険なので試していない。

 電脳法の警告などは今のところ無いので問題は無さそうだ。今も運営に繋がらないし。

 風営法の警告も無いけれどモモンガ個人がわめいても仕方が無いので、メンバーの倫理観に任せる。

 あまりにも酷い状況だけは勘弁してほしい、とは伝えておいた。

 精々、裸の観賞くらいは許容しないとストレスが溜まる一方だと思うけれど。

 女が三人しかいない。

 メンバー同士で如何いかがわしい事はおそらく不可能に近い、かもしれない。

「旅の魔術師風でいいか」

 フードならかなり隠せるし、幻術を見破られると困るけれど魔導国以外なら問題は無いか、と思う。

 バレたらどうしようか。

 悪い事はしていないし、謝って逃げるか。

『モモンガ様』

 と、装備を選定していた時に伝言メッセージが届いた。

「ソリュシャンか? どうした?」

『ナーベラル・ガンマが死にました』

「……はっ?」

 死んだ、という言葉を聞いた時、身体に言い知れない不安が襲ってきた。

 滅多に聞かれない単語はアンデッドのアバターといえども平然としていることは出来ず、何度か精神の抑制が起きるほどだった。

 すぐに戦闘メイドの部屋に向かう。

 治癒も蘇生も拒否していた相手だ。魔法での復活は難しい。

 それにもまして急に物騒な連絡を送ってきて様々な決意が揺らいでしまった。


 それはきっと悲しみだ。


 肉体があれば部屋に向かう中でも涙を流しているくらい悲しく感じていた。

 人ではない、という考えは今のモモンガには無く、大切な友人を失った一人の人間として扱っていた。

 無味乾燥なゲームキャラの死は悲しまないが、血の通った生命体は別物だ。

 ナーベラルの部屋に向かうと残っている戦闘メイドと一部のギルドメンバーが居た。

 周りに声をかけることも忘れて、寝室に向かうと眠ったままの戦闘メイド『ナーベラル・ガンマ』の姿がある。

 とても死んでいるようには見えない。だが、ステータスは残酷な結果を知らせる。

 アルベドがNPCノン・プレイヤー・キャラクターの管理データで確認した限りにおいて死亡を表す名前の消失が起こっていた。

 本来ならば次の復活までの猶予として空欄状態になるものだが、蘇生拒否の場合は空欄そのものが無くなり、下位の名前が競り上がる。

 NPCが見間違いなど起こさない筈だから真実だと思うけれど、信じたくない結果にただただうなる。

「多くの情報を持つ存在を失うのはかなりの損失だ。だが……、NPCも死ぬんだな」

 ゲームのキャラは故意でも無い限りは死なない。もちろん、自然死という意味で。

 特に拠点に配置したNPCは襲撃でも受けない限りは安全に暮らせる存在だ。

 自我を得たNPCだからか、とても喪失感が大きい。

「肉体的に色々と崩壊しているが……。埋葬するのか、身体を維持したまま保存するのか……」

「……その前に黙祷しましょうか」

「……これは……、俺のせいなんでしょうか? 別の世界の俺が選んだ選択とやらでしょうか?」

「少なくとも平行世界に居るナーベラルのあるじは世界をプレゼントする気前の良さを持ち合わせていた。割りと充実した人生だったかもしれないぞ」

 永遠に過ごさせる方が幸せかはモモンガには判断出来ない。

 ただただ悲しみが渦巻いている。

 他人の人生に口出しする権利は本来ならば無いけれど、元の世界には帰したかった。


 数分間の黙祷の後で保存液にて形を残し、宝物殿に安置する事にした。

 転移の指輪リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たぬ者には手が出せない場所で、大切な宝を置くには相応しいところだ。それに守護する領域守護者『パンドラズ・アクター』が控えている。

 何かあれば連絡が届く手筈てはずになっている。

 最初の部屋は金貨の山で雑多な状態になっているので却下。次に複数ある重要アイテムの保管場所を検討する。というか候補は限られてくる。

 さすがに世界級ワールドアイテムの部屋は躊躇ためらわれたので却下。

 NPCと世界級ワールドアイテムを同列に扱わないのは人としてどうなのか、逡巡しゅんじゅんはした。だが、ギルドメンバーと同列で並べるわけには行かない。

 格下には格下に相応しい対応を取るのが組織というものだ。

 そうしなければ部下に示しがつかなくなる。

 階層守護者を差し置くメイドなど居ては困る。それは普通に考えれば当たり前の事だ。

 毒無効の種族のシモベというか同じ戦闘メイド『六連星プレアデス』のリーダーであるユリとナザリック内の全てのパスワードを管理する『シズ・デルタ』と見届け人として弐式炎雷、やまいこ、餡ころもっちもち。

 NPCを統括するアルベドとシャルティアに用意させた『吸血鬼の花嫁ヴァンパイア・ブライド』達で容器を運ぶ。

 最初にたどり着いたのは黒い壁に覆われた巨大な大扉だった。

 特定のパスワードを入力しないと開閉されないもので、モモンガが忘れてもシズならばたちどころに解除する事が出来る。

 最初に黒い壁に特定の言葉を投げかけてパスワードを表示させる。

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』」

 ほぼ全てに共通するパスワードではあるけれど、その後が問題だ。

 宝物殿は種類別に部屋が存在し、個別のパスワードを必要とする。

 そして、それはモモンガにとって暗記できるような簡単なものではない。

 黒い壁から水面みなもがたわむ様に揺らめき、文字が現れる。


 Quod est inferius est sicut quod est superius,et quod est superius est sicut quod est inferius,ad perpetranda miracula rei unius.


 モモンガは思った。長い、と。

 第一の部屋はこんなに長かったのか、と。それほど大層なものは保管していないはずなのに、と思った。

 そういう部屋がまだ十部屋ほどあったはずだ。

 短いパスワードに変えようかなと思って他の扉に向かってみた。

 すぐ隣りは比較的、短いものだった。


 Verum,sine mendacio,certum,et verissimum.


 このパスワードを設定したのはギミック担当のタブラ・スマラグディナ。

「……えっと、真実がどうたらだったような……。こんなパスワード、誰が設定したんだ、全く……」

 犯人は分かっているけれど、つい口に出た。

 ここは素直にシズに任せることにしよう。

 腰にかかるほど長い赤金ストロベリーブロンドの色合いの髪の毛が真っ直ぐに伸び、戦闘メイドらしく武装した防具は形だけなんとなくメイド服に似ている。

 迷彩柄のマフラーと手袋を装着し、無表情を彩る瞳は碧玉エメラルドの輝きを持つが片側だけであり、もう片方は眼帯で隠されていた。

 正式名称は『シーゼットニイチニハチ・デルタ』という。

 動き易いようにスカートの前面部分は開けられており、銃火器を操る自動人形オートマトンの異形種で大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』の追加データが使われている。

「では、シズ。頼む」

「……畏まりました」

 シズは片方の瞳で文章を追い、即座に読み解いていく。

 己に刻まれたパスワードをほんのひと時で導き出す。

「……は偽り無き真実なり。……確実にしてこの上なくしんなり」

 二番目に見た文言が第一の扉で、最初に見たのは第二の扉の文言だった事を後で知った。

 シズにこっそり尋ねると以下の回答が得られた。

「……唯一なるものの奇跡の実現にあたり、下なるは上なるの如し、上なるは下なるの如し」

 と、こちらの方を解読すればかっこ良かったかも知れないと思いはしたが読めなかった。忘れてどうしようもなかった、が正確か。

 言い終わると黒い壁に現れた文字が消え、全体が収縮し、小さな球体となって消えて行った。

「……さすがだ」

 側で聞いていたけれど、意味はさっぱり分からなかった、とモモンガは感心した。

 気を取り直し、開いた通路を通る。

 左右にはアイテム展示室のような小窓がいくつも点在していた。

 天井は高く、横幅も広く出来ている。

 それらを横目に真っ直ぐ進む先にある部屋は『霊廟』と呼ばれている。

 大墳墓というダンジョンにはいくつかの『霊廟』があるので、もう少しネーミングを考えておけば良かったのではないかと思わないでもない。だが、それぞれの部屋を製作するギルドメンバーが色々と名付けた結果、重複してしまうことはよくある。

 通路の先には踊り場的な広い部屋がある。そこは他の扉からも行ける共通の部屋にもなっている。その部屋より更に最奥には重要なアイテムを安置している。

 今回の目的地は最奥ではなく、手前の部屋である。

 会話も無く進んでいき、到着する場所にはモモンガが設定を作ったNPC『パンドラズ・アクター』が居る。

 ナーベラルと同じく二重の影ドッペルゲンガーという種族だが種族レベルは彼女より多く、四十五の外装を持ち、ギルドメンバー全員に擬態する事が出来る。

 能力も八割方だが使用出来る、らしい。

 姿はデフォルトのままで衣装のみ拘った気がする。

 今より二十年前に起きた『欧州アーコロジー戦争』で話題になった『ネオナチ親衛隊』の制服に似せた物を着せている。

 事前連絡しておいたとはいえ、人前に出すのが恥ずかしいNPCである。

 他のメンバーと違い、昔の自分が設定した内容は赤面ものなので。

 当時の自分は何故、そんな設定をしたのかと疑問に思う。では、改変すればいいと思われるが、それはそれで躊躇われる事だった。

 折角の個性はやはり残すべきだ、という気持ちがあったから。

 ペロロンチーノがシャルティアの設定を残すように。

 現場に到着するとカツンとかかとを鳴らすように合わせ、制帽に手を当てて敬礼する。

 その顔はのっぺりとしたもので、人間のような凹凸のあるものではなく、卵のようにスベスベとしたもので産毛すら生えていない。目と口が空虚な穴となっている。

「お待ちしておりました」

「う、うむ」

「……趣味、全開ですね」

「……はい」

 色々と聞きたい事や言いたい事は飲み込み、メンバーとシモベは黙って予定の地点に移動する。

 世間話しをする為に来たわけではないので。

 ナーベラルを収めた寝台型の容器をモモンガが選んだ場所に設置する。

 この容器は標本用のもので中身は保存液が満たされている。

 いずれ出会う、かもしれない赤髪の女性に元の世界に戻してもらうように頼む為だ。

 折角なら綺麗な状態で、と思った。

 それぞれ淡々と作業し、弐式炎雷達は黙って見守った。

 余計な会話は無く、とてもおごそかな雰囲気なので一発ギャグを披露する勇気ある者は誰も居なかった。

 ナーベラルが身につけていた服も毒対策を施された容器に入れて飾る事にした。

 計り知れない歴史を持つナーベラルの事はモモンガには分からないけれど、彼女はきっと幸せだったのかもしれない、と思いたい。


 パンドラズ・アクターに管理を任せて自室に戻ると精神的な疲労が一気に襲ってくる。その苦痛にも似た感覚は次々と抑制されていく。

 愛情を持って製作されたNPCが己の役目を終えるのは他人であるモモンガでも辛いと思うし、製作者はもっと辛いかもしれない。

「ゲームのキャラも長年連れ添えば愛着が芽生えるのかもしれない。ナザリック地下大墳墓やギルドメンバーと同じように」

 敵の迎撃で自分やNPCが死ぬ事はよくあるはずなのに、何か大切なものが一つ無くなると思うと涙が出そうになる。だが、アンデッドのアバターだから泣く事は出来ない。

「蘇生拒否か……。今いるNPCやギルドメンバーは大丈夫だと思うが……。いずれはみんなとお別れする事になるんだろうな……」

 元の世界に戻れば当たり前の事だし、戻れないまま永遠と仲良しで居られる保証はない。

 時にはぶつかり、離れていくこともありえる。

 それからどれくらい沈み込んでいたのか、気がつけば翌日になっている。

 時間経過はまだ分からないけれど、この世界に来て既に数日は経過した。

 それでもまだ運営からの連絡は来ないし、自然とログアウトも出来ない。

 やはり本体と精神が分離して、それぞれの道を歩んでいると考えた方がいいのか。

 別に戻ってもつらい毎日が待っているだけだし、メンバーとも別々になってしまう。

 新しいゲームを始めて新しい仲間と遊べるのか、というとすぐには難しいと思う。

「……こんな調子では駄目だな……」

 気分転換を兼ねて途中で止めた衣装選びをする事にした。

 汚れてもいい服といっても割りと派手なのは致し方ない。

 地味なものは雑巾と大差なかったりするし。装備品としては悪くないけれど、なんか汚く見える。

 武器は適当でいい。

 後は顔を隠す方法くらいだ。

「異形種に慣れたキリイ青年と直接対話した方が色々と助かるか」

 とにもかくにも敵の陣地に飛び込まなければ話しが進まないのであれば行くしか無い。

 セバスの報告では特に脅されたりはしていないようだし。

 ルプスレギナも特に問題行動は起こしていないと聞いている。

 作業員を殺しては困るけれど。

「……丁度いい衣装というのはなかなか見当たらないな……。初期装備は色々と持っていた筈だが……」

 鎧や剣などの武器は戦士化の時に使うものだが、散歩で使うには派手なのが多い。

 新たに作ってもらおうかな、と思った。

 創作系のシモベに連絡し、地味目の衣装などを依頼する。

「無いなら作ればいいか……。そういえば魔導国からの接触が無いな……。つまりは相手は警戒しているって事か。それとも連絡が行き届いていないか」

 姿鏡の自分に向かって話しかけるモモンガ。

 声に出して気分を落ち着けようとしているのだが、仲間を失った喪失感はそう簡単にはぬぐえないようだ。

 戦闘メイドの一角を失うというのは小さくない損失だ。

 本当のあるじからすればせいを全うした部下にお別れの言葉でもかけるところだ。事情を知らないモモンガには突然の事に対処出来はしない。

 他の戦闘メイドは無事のようだが、あんまり居なくなる事は考えたくないなと思った。


 着替え終わった自分の姿はとてもみすぼらしく見える。けれども、ご大層な装備では相手に警戒されてしまう。

 現代社会なら目立つよりは目立たないものが自然体を演出できる。

 木を隠すなら森へ、だ。

 ローブと仮面をつけてみたが村にやってきた死神に見えなくも無い。

 武器は粗末そうな杖にした。これで大鎌なら正に具現した死の神グリムリーパー・タナトス

「……衣装選びだけで一日経っては本末転倒だ。次は誰を連れて行くか、だな」

 階層守護者達は忙しいし、メイドは目立つ。

 ルプスレギナは既に村に行っている。

「……ナーベラルはやはり惜しい人材だったな……」

 『伝言メッセージ』でまずウルベルトに連絡を取る。もちろん、家畜役はさせないことを約束して。次に声をかけたのは『たっち・みー』だ。

 白銀の全身鎧フルプレートはかなり目立つ気はしたが全体的な造形では問題は無い、と思った。

『行ってもいいけれど……、調査の為に潜ませてもらうよ』

「はい」

 ウルベルトは少し不満をにじませたが同行には同意してくれた。

『うん。ただ、聖騎士の装備は派手だからねー』

 騎士が村に行くのは立派な襲撃クエストではないのか、と思わないでもない。

 理性的な二人なら問題は無さそうだが、人選は大変だなと思った。

 ナザリックからのんびりと歩くのは時間がかかるので一気に『転移門ゲート』で向かう事にした。

 監視は他のメンバーとNPCに任せて。

 視界が切り替わった後、モモンガの目に新鮮な風景が広がる。それはアイテム越しで見ていた風景と差ほど変わらないはずなのに臨場感が段違いに思えた。

 ゲーム時代もそれなりに大規模な風景に驚いたものだが。

 これらが全てゲームデータならば物凄い事だ。

 月額利用料を跳ね上げないと運営が続かないのではないか。

「これを再現するゲーム会社って存在しますか?」

「……金に糸目をつけなければ……、出来るかもしれないな」

 土の質感や身体を撫でる風まで再現するのは並大抵の事ではない。

 容量と人的資源を大量投入すれば大規模開発は容易になるけれど、利益が出来なければ長続きしない。

「我々だけ悩んでも仕方が無い。他のプレイヤーだって居るかもしれないし」

「そうですね」

「ゲーム参加者の人口から考えてたくさんのプレイヤーが居ないと困るのだが、我々だけって事は無い筈だ。常識的に考えても」

 そもそも自分たちだけ特別に選ばれる理由が分からない。

 特にゲームを最後まで残ったギルドは他にもあるはずだ。絶対に無いとは言い切れない。

 一度は引退したプレイヤーも無理矢理呼ばれている可能性だってある。

 そんなことを考えながら村の入り口まで歩いた。

 ただ村に行くだけで恐ろしく時間がかかっているとモモンガは思い、苦笑する。

 ウルベルトは警戒任務に就く為に別れた。

「……偽者か……。仮にそうだとして自分のギルドと戦うのは気が引けるな。どういう理由が考えられると思います?」

「アイテムを奪うとか? 怨恨はさすがに無いと思いますが……」

「対消滅のフラグが無いなら仲良くしたいところだ」

「……相手が俺なら難しいかも」

 村に行くだけで長い時間の長考を必要とするのだから、対策に対策を重ねていても不思議は無い。

 それはもう仲間が呆れるほどに。

 たっちに背中を叩かれ、モモンガは村に向かった。


 ◆ ● ◆


 アインズ・ウール・ゴウンというギルドが出来る前に存在していた『九人の自殺点ナインズ・オウン・ゴール』という集団クランを作った最強の男『たっち・みー』は現実世界では警察官という職業についている。

 今は過去形かもしれないが。

 ゲーム内でも九人しか居ないと言われる最強の上位プレイヤーで職業クラス世界王者ワールドチャンピオン』を収めている。

 見た目には分からないが異形種である。

 ギルドを作るにあたり色々と揉め事があり、ギルドマスターをモモンガに譲った経緯はあるが今でも尊敬する人物の一人だ。

 悪を体現する『ウルベルト・アレイン・オードル』とは仲が悪かったのだが、ここしばらく見ている限りは仲良く付き合っているように見える。

 大きなケンカは無く、二人が揃って酒を飲んでいる姿も確認されている。

 昆虫の種族『疾風蠅スカイフィッシュ』なのだが、鎧を脱ぐと枯れ枝のような身体が現れる。

 筋肉質な半魔巨人ネフィリムにも負けないのだからクラス構成や現実の肉体の影響がステータスに関係しているからだ。

 ユグドラシルというゲームはプレイヤーの現実の肉体の効果も反映されるシステムになっている。

 普段から身体を鍛えているプレイヤーはゲームの中でも強く、引きこもりは、やはりそれなりのステータスしか無い。

 全てのプレイヤーに言える事だがデフォルトのモンスターとは違い、装備によって人間的な姿になりやすい。

 粘体スライムのヘロヘロも人間的な姿に変形出来るし、そこはゲーム的だなと思う。

 だからこそ、現実とゲームの境界がとても曖昧だ。

 人間の白骨死体みたいなモモンガならともかく、と。

「どうしました?」

「……ゲームと現実が曖昧なままでいいのかなと……」

「なるようにしかならないでしょう。実際にゲームの中なら、それなりの事が起きないと困りますから。例えば運営に連絡できるとか。出来ないなら現実で良いと思いますよ」

「……そうですか?」

 と言ったものの、そうなんだろう、と思う。

 自分の知識で解決できるようなものなら他の賢いメンバーだって解き明かしている。

 それが出来ないほど、この世界は不可思議だという事だ。


 心配事が多くて冒険どころではないが既に外に出て、今まさに村に足を踏み入れている。やっぱり帰る、とは今更言えない。

 どれだけ外を怖がるなのか。

 たっちが引率のお父さんのようだ。

「そういえば、名前はどうします? そのままでいいですか?」

「あー、そうですね。いや、そのままでいいと思います。敵はアインズと名乗っていますし」

「私は『カ●●・●ン』にしようかな」

「……あまり悪乗りしないで下さいよ」

 知らない世界なら偽名の意味はあまり無い。だが、知る者が聞けば正体やらギルドを特定してくる筈だ。

 とはいえ、急に偽名は思いつかない。

 会話はたっちに任せて自分は悶々と考える事にする。

「……悶々と……か……。モモンっていうのも面白みの無い名前だしな……」

 変に拘っても顔が赤くなるような恥ずかしさを感じる。

 丁度いい名前というのは中々浮かばない。

「モモンガさんは……。いつも悩みが尽きない『レ●●ン』さんだな」

「……作品が変わってしまいますよ。異世界繋がりだと間違ってないかもしれませんが……」

「じゃあ『ドクロ●●ー』は? 見た目も丁度良さそうですし」

「……『●●キ●●』か……。可愛い女の子がたくさん出てくると気分も……。たっちさん!」

「あっはっは」

 例えドクロ●●ーだとしてもアンデッドなので大差はない。

 過去のアニメ文化は一定期間に何度も再評価され、リメイクも多い。その中で『●●キ●●』は今でも人気が高い。

 女の子向けなので戦い方によっては保護者からのクレームが凄いらしい。

 シリーズを追うごとに弱体化したり、方向性がおかしいのもあるがラストの敵は何故か宇宙規模。

 よくああいう敵と戦えるなとこっそり見ていたモモンガも感心するほどだ。

 ●●キ●●は他のメンバーも話題に出すので、男が見ていたとしても恥ずかしい扱いは受けない。つまりそれだけ万人に人気があったという証拠でもある。

 偽名については後で考えたい事だった。というより敵に配慮する必要は何処にも無いし、やましい気持ちも無い。

 敵対プレイヤーにバレると襲われる可能性は確かに高いけれど、今は色んな事がありすぎて戦う気分ではないし、居たとしても反論する気持ちはある。

 たっち・みーが『レ●●ン』と名乗るのは少し気なるけれど。

 フルネームじゃないから別にいいか、と思わないでもない。

「たっちさんは平仮名ですし……。俺は……このままでいいかな」

 気取った名前にした場合は凄く目立つし、恥ずかしい。

 キリイ青年の名前から日本人っぽくない。

 そもそも言葉が普通に通じるのがおかしいという意見があった。


 何故か翻訳されている異世界転移のお約束。


 それで他のメンバーが納得するのだからどうかしている。とはいえ、原因を調査する場合はかなり時間が掛かり、冒険どころではなくなるのも事実。

 ここは飛び込み営業のように勇気を出すところだ。

「……カ●●・●ンはやめた方がいいと思います」

「そうですか? モモンガさんがレ●●ンで私はゼー●●ー●ではどうでしょうか?」

「あまり悪乗りしたくないですね。……言い慣れない名前はボロが出そうです」

 いずれ偽名を使う事態が起きるかもしれない。今の内に慣れる事は必要だと判断し、レ●●ンと名乗る事にした。

 これで相手側にター●●とかデグ●●●●とか出てきたらどうしよう、と思わないでもない。

 ●●系列ならいい宣伝になるのではないのか、と。

 いきなり正体をバラして敵をおびき寄せるより、現地の調査を優先する事にする。

 もう少し人名っぽい名前にしておけば良かったかな、というのは今更な話しだ。

 村というか実験農場に入った二人は軽く辺りを見回す。

 作業員が百人規模の小さな集落で人はまばらにしか見えない。

 彼らの本来の住まいは少し離れた場所にあり、そこが本来の『カルネ国』となっているらしい。

 複数の農村が合わさったようなもので都市部に比べれば人口は数千人規模と少ない。

「何万人も居ると一人当たりの農地の規模は小さくなるからね」

 直接来るのは初めてのモモンガは周りの風景に感動を覚えていた。

 事前にアイテムで覗き見ていたけれど日本の風景とはまるで違う。

 人々が自由に空気を吸える環境である事や洗浄器具などが無い世界という事に。

 舗装されていない地面。

 近代化とは無縁の暮らし。

 少なくとも自分達が居た世界と比べると貧相ではあるが悪い気はしなかった。

 そんな風景を簡単に焼くとか言ってはいけないと思った。そんな気持ちにさせてくれる。

「早速来ましたよ」

 と、たっちの声で現実に引き戻されるモモンガ。

 自分達のところへ武装した蜘蛛型モンスターがやってきた。

「………」

 槍を突きつけ、ただひたすら見つめてくる相手。

 表情は無く、何を考えているのかはうかがい知れない。

 敵意のない事を示す為に武器は持っていない、という両手を上げる仕草を見せて意思表示を表す。

 一分ほど眺めた後は蜘蛛型のモンスターは武器を下ろした。

 見た目には蜘蛛女アラクネだが、見事な装備品にたっちは感嘆の吐息を漏らす。

「……喋ったら殺す、みたいな事は無いですよね?」

 と、小声でモモンガは尋ねた。

「そうすると村人全て虐殺するかもしれないですよ」

 と、二人の声に反応し、蜘蛛女アラクネは再度、武器を構え始めた。

「たっちさん。武器を合わせてみたらいかがでしょう?」

「ああ、挨拶という奴か。それで襲われるのは嫌だな」

 剣は出さずに手甲で蜘蛛女アラクネの槍を叩いてみた。そうすると納得したように一つ頷き、立ち去っていった。

「………」

「……何事もチャレンジしてみるものだね」

「好きで敵対したいわけじゃありませんから。ああいうモンスターって他にも居るんでしょうかね」

 確認出来たモンスターはシャルティアを除けば三体だ。

 小規模の村落そんらくにたくさんのモンスターを配置しているのもおかしなものだと思う。


 モモンガ達は歩き始めて行き交う村人に会釈していった。

 自分から頭を下げていけば警戒も薄まるかもしれないと考えたからだ。もちろん、たっち・みーも一緒に。

 話しかけてくる者が居ないのは自分の仕事で忙しいから。

 ここに居るのはほぼ全て研究員で、朝から晩まで働いている。

 大半は泊り込みで残りは暗くなる前に自宅に戻る。

 旅人を泊める宿泊施設や風呂の施設も完備されていて、たまに来る冒険者が利用する。

「……なんというか、襲撃イベントでも無い限り平和そうな所だね」

「絶対にイベントが起きないと駄目っていうのも困りものですが」

 ゲームとしてなら起きてもおかしくはないけれど、普通の世界で頻繁に襲撃が起きては暮らしにくい事この上ない。

 そして、序盤の村から冒険が始まるのはRPGでは基本中の基本だ。

「……私達は村が火に包まれる事を期待しているのだろうか」

「お約束ですからね」

 かといって魔法を放って自分達でイベントを起こすのも悪い気がする。

 それではただのバカだ。

 目的地はキリイ青年の居る大きめの家だが、いきなり真っ直ぐ向かうのは怪しいと自分では思うけれど。

 ここは定番の村人に質問してから向かうべきではないか、と思った。

「セバスの知り合いと言えばいいんじゃないですか。変に姑息な真似はしなくてもいいと思います。相手は少なくとも我々の事を知っていたから」

 と、たっち・みーは言った。

 確かに自分たちより物事を把握しているかもしれない。そう考えれば無駄な足掻きになる可能性は高い。

 既に監視されているかもしれないし。

 もし、そうなら村に入った時点で何らかの接触を図ろうとするものではないのか。それとも自分と同じく慎重に見極めようとしているのか。

 見えない相手との戦いは精神的に疲れる。

 余計な対策をほどこしては何かといさかいの元になるから無防備でいるけれど、それは相手も感づいているかもしれない。なにせ、敵は自分と同じ存在だ。自分ならそうする、という事が手に取るように分かってくる。

 仮想敵は魔導国だけではないけれど。

 そういえば、とモモンガは思い出す。

 敵が『アインズ・ウール・ゴウン』だとすれば自分も同じ名前を名乗ってしまうと連絡する時、混乱する。

 ここはモモンガで統一した方がいいかもしれない。

 そうすると偽名もたっち・みーのように自分では考え付かない名前は割りと有効的とも思える。

 仲間に『アインズ・ウール・ゴウンはクソだ』みたいな事を言わせるのもどうかと思うけれど。

「セバスに農作業をやらせたのはやはり不味いでしょうか。腰痛とか」

「肉体的に強靭だから問題は無いと思います。見た目には老人虐待かもしれませんけど」

 そんな事を話していると目的地にたどり着いた。

 慎重に進んでいると家一軒にたどり着くまでに小説一巻分かかりそうな気がしてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る