無種の章・番外編
第53話 天使が羽を背負った聖夜
翔ぶために一日五千キロカロリーが必要で、外見がまったく変わらない僕。部屋には自分の住んでいる街の、正確な縮尺模型しかない。だいたい五年から十年に一度、時と場所はお構いなしに彼に呼ばれ、気がつくとただただ広いところにいる。
ただただ広いところにいる彼は神様。
僕は、その神様に『創られた』天使。
僕の仕事は模型の中で光り輝く「玉」を見守ること。「玉」が充分に成長したら飲み込んで、呼出されたときに彼に渡す。「玉」とは人の心の中にある善の分身のようなものだ。
街を巡回していると、善の気配が僕の体にくっついてくる。ポケットに入ったり背中のあたりにぶら下がったり、肩に乗ったり、足や腕にしがみついたりしてくる。部屋に帰ると体から離れ、模型の中の自分の場所へ戻る。
五度目の呼出しのあとすぐ、僕は別の街へ移動した。僕にとっては五ヶ所目の街。それまでと同様、用意された部屋は縮尺模型がほとんどを占め、窓にはライトグリーンのカーテンが掛けられていた。
部屋からそう遠くない所に児童養護施設があった。小さな教会と並んで建ち、以前は教会が運営する幼稚園だったらしいが、神の思し召しか、施設になったそうだ。
彼が思し召したのか……?
そこでは、さまざまな事情の子供たちが身を寄せ合って暮らしていた。
親に捨てられた者。
病気や事故で両親を亡くした者。
訳あって一緒に住めない者。
神に守られて暮らしているのだから、さぞ「玉」の気配が濃いのかと思ったが、そんなことはなかった。濃くもなく薄くもなく、他の場所と変わらなかった。
僕はそこでアカネという少女と、『ビスケ』と呼ばれる傷ついた猫に出会った。ビスケはオスだが、その象徴を切り取られてしまっていた。
僕はその猫を『無種』と名付けた。
八度目の呼出しから戻ってくるまで、傷ついた猫を通じて関わった人々の記憶は消えていた。傷ついた猫が現れると、模型の中には決まって、とげとげの「玉」ができていた。
その日も僕は施設に行った。門の前では琥珀色の無種が、ビスケットの型のようにきちんと座っていた。
ナーォ。 「行こう」
無種はしゃべる。けど僕は驚かない。だって天使だから。
僕は無種を抱き上げ、門を通って施設の建物に向かった。庭に回ってガラス戸越しに中をのぞくと、子供たちがはしゃぎながら何かの準備をしているようだった。
机と椅子を一ヶ所に集め、みんな床にペタリと座っている。
色紙を細長く切って輪っかにしている者。
その輪っかを一つ一つ繋いで飾りヒモにしている者。
金色の色紙で星を作っている者。
無種が寝床にしている籐のかごにも、何やら飾り付けがしてあった。
エプロンを付けた若い女性が白い布を縫っている。彼女もこの施設で育った一人だ。高校卒業と同時に施設を出て、今は洋菓子屋でケーキやお菓子作りの修行をしている。名前はマミコ。練習のためにに焼いたお菓子を、時々子供たちに持ってきている。
「みんな何してるんだろう?」
ナーォ。 「クリスマス」
「クリスマス」
僕は言葉を繰り返した。
無種が教えてくれた。クリスマスは彼らが信じている神が生まれた日。救い主の誕生したことをお祝いするのだそうだ。大天使からお告げを受けた人間の女性から生まれ、神の子となり、様々な奇跡を起こして人々を救ったらしい。
「ふーん」
僕は気のない返事をした。そういう神様が過去にいたとしても、まったくの作り話としか思えなかった。だって、僕の知っている神様はただただ広いところにいて、天使を呼出すだけだもの。
「いらっしゃい、お兄ちゃん。ビスケも」
真っ先に僕たちに気がついたのはアカネだった。この施設の中の最年少、五歳の少女だ。初めて会ったときに「天使?」と尋ねられ、僕は固まってしまった。だけど幼いアカネは、教会にある絵の中の天使にそっくりな僕を見てそう言っただけだった。
子供たちと一緒におやつを食べ、教会でお祈りをした。賛美歌も歌ってくれた。当然絵の中にはちゃんと天使がいる。それで、違うとわかってくれたんだ。
ガラス戸を開けてくれたアカネが、ビスケを受け取りながら僕に言った。
「ビスケはキリスト様よ」
それが彼女たちの神様の名前。
「それから、お兄ちゃんは天使さんよ」
僕はまた固まった。
まさか、まだそう思ってるのか……?
「お兄ちゃんには大天使の役をやってもらうのよね」
スリッパを持ってきてくれたマミコが付け加えた。僕は彼女の説明に体の力が抜けた。
アカネに連れていかれた無種は、装飾されたかごの中に無理矢理寝かされていた。さらに、上から毛布を掛けられた。
ナーォ。 「やれやれ」
やる気なく言う無種に、僕はウインクをしてやった。
次にアカネは、マミコの縫っていた白い布を僕らの所に持ってきた。マミコはそれを受け取り、僕に言った。
「ちょっと着てみて」
布を広げると、教会で見た絵の中の天使が着ているものとよく似ていた。
「大きめに作ったから、服の上からで大丈夫なはずよ」
僕は頭からかぶり、腕を通した。ざっくりと縫い合わせれているために、所々大きめの隙間がある。僕の視線に気づいたマミコは頬を赤らめて言った。
「じっと立ってるだけだからいいの。お菓子作りは得意でも、お裁縫はだめなのよ、私」
膝を曲げて万歳をさせられた。白い服はするりと頭から抜けていったが、今度は目の前に白いリュックが現れた。
「次はこれ背負って」
アカネが言った。
「これは何?」
「いいから背負って」
僕の後ろにいたマミコが繰り返した。膝を伸ばす間もなく、僕は床に座った。
二人が背中や脇の下に手を回すのでくすぐったい。大きく体を動かすと、動くなとたしなめられた。ふとかごを見ると、無種が毛布の隙間からウインクを返してきた。
たしかに、やれやれだ……。
「さあみんな、おやつの時間ですよ」
施設長のシスターだ。施設長はいつも助け舟を出してくれる。僕は彼女たちの攻撃から、やっと解放された。
12月24日、人々がクリスマス・イヴと呼ぶ日に冬のお楽しみ会が行われた。施設にいる子供の親も何人か来ていた。神父様と、近所に住む人たちも集まった。アカネは捨てられた子、当然身寄りなど一人もいない。それでも明るく振舞って、会を盛り上げていた。
楽屋にした部屋の鏡の前で、僕は白い服をかぶってリュックを背負った。子供たちが厚紙を切り抜いて白く塗った羽が付いている。左右が少し歪だった。始まる直前に本物の羽を出そうかと考えたが、やめた。というより、羽が拒否した。
わかっているさ、そんなこと……。
けれど鏡に映った僕の姿は、本物の羽よりもずっと天使らしく見えた。
劇が終わると、集まった大人たちが帰っていった。子供たちは会の最後に、マミコが作ってきたクリスマスケーキを食べた。きっとこれが一番の楽しみだったんだろう。子供たちはみんな、一際笑顔になった。
無種も食べたそうにしていたが、カリカリのえさしかもらえなかったみたいだ。
「あら、雪が降ってきたわ」
施設長の言葉に子供たちがガラス戸に群がった。ガラスに両手を当てて部屋の光を遮り、みんながみんな、真っ暗な空を仰ぎ見ていた。
無種が僕の足元に来て、言った。
ナーォ。 「今夜はここに泊まる」
「それがいいね。外で寝たら凍えちゃうよ」
帰り道、僕は子供たちと同じように天を仰いだ。雪が顔にかかっては融けていく。冷たさを感じながら、僕はつぶやいた。
「神様、メリー・クリスマス」
リレーション 五月乃月 @gogatsu_notsuki
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