竜の魂(2)
暗い空が白く瞬き、轟音が鳴り響く。
歩道で身を竦ませ、一つの傘の中で、身体を寄せ合っている女子高生たちがいた。鳴り止まない雷鳴は、人々に強い恐怖を刻み込む。彼女たちは、雷の咆哮に鼓膜を支配され、歩く勇気さえ奪われてしまったのだろう。
ザッという音と共に、雨が強まった。RX-8のフロントガラスが、たちまち瀑布のようになった。
街のあちらこちらから黒煙があがっている。雷を受けた林や家が燃えているのだ。この大雨のおかげで火が広がらずに済んでいるが、間断なく落ちてくる稲妻によって、被害は広がるばかりであった。
RX-8が、県庁の駐車場に滑りこんだ。
広いアスファルトの上を、合羽を着込んだ数十人もの人たちが駆け回っている。県庁の職員と、鹿山竜見家の者たちだ。
車を降りると、鹿山の長老が、数人の男達を伴ってやってきた。齢は90を数えるが、背筋の伸びた老人である。
「竜見さゆりの娘の、安芸津みのりです」
さゆりの不在とみのりの存在は、あらかじめあおいから鹿山の老人に伝えられていた。
当然のように半信半疑だった鹿山の者達も、みのりを目の前にして、あおいの言葉を信じざるを得なくなった。
「驚いた。本当に若い頃の姫様じゃ」
しわの寄った目を見開き、長老は何度もみのりの身体を見回した。そして両手を合わせた。みのりという存在の奇跡に、長老は感謝したのだろう。
「誰か、姫様に傘を!」
鹿山の者の一人が走りより、みのりを傘に入れた。
「姫様、なんとか牽制していますが、やはり蒼竜は我らの手には負えませぬ。稲妻は激しくなる一方で、これ以上、手の打ちようがなく…」
杖を持っている数人の
「お役にたてず、申し訳ない」
先祖代々の導具を奪われ、竜殺しとしての力を半ば失った彼らである。それでも蒼竜という
「これまで良くやってくれました。ここからは、私が戦います」
HMDをかけ、ベルトに挟んでいたヴォーパル・ウェポンを引き出した。左のポケットでは、HMDとリンクしているスマートフォンが起動している。
光学処理しかできないHMDでは、雲の向こうの蒼竜を見ることはできない。だが、RX-8に積まれているセンサーで、周辺の竜気の量を見ることができる。
直上に、竜気の大きな地点がある。そこに蒼竜はいるに違いない。
見えているのなら、光速で飛ぶ閃光弾は確実に当たるだろう。しかし、雲の中で減衰し、蒼竜にダメージを与えられるほどの威力が保てるかどうか。
(やはり、雲の上に出るしかない)
こうしている間にも、稲妻は街を襲っている。
ひときわ大きな爆発音が轟いた。プロパン用のガスタンクに雷が直撃し、破裂したのだ。
街の一角が火の海となった。禍々しい色の煙が
もはや、躊躇してる暇はなかった。
みのりは大きく息を吸い込んだ。そして禁断の魔方を空に刻んだ。
「それって、まさか」
あおいの顔色が蒼白となる。まるで、見てはならないものを見てしまったような、そんな顔だった。
みのりの右の袖が膨らむ。やがて袖は引きちぎられ、中からプリズムの鱗に覆われた、爬虫類のような腕が飛び出した。
それはまさに、竜の
感情を殺した顔で、みのりはガチガチと、ナイフのような爪を動かす。
「これができたなら、こっちもいけるはず」
「やめて、みのりちゃん!」
みのりが何をする気なのか、分かってしまったあおいが絶叫する。だがみのりは、あおいに微笑みを返すと、みのりは背を丸めた。
「ウアアアアアアアアア!」
そして鋭く闇を切り裂くような、甲高い
空気の震えと共に、みのりのスプリングセーターの背中が
その裂け目より、プリズムでできた硬質な器官が左右に大きく広がった。それはやがて、翼の形をとり、二度三度とはばたいた。
「…やめてって、言ったのに」
あおいの顔は、真っ青だった。ゆっくりと首を、横に振っている。
「大丈夫だよ、あおいさん」
安心させようと微笑んだが、それと同時に膝が崩れた。慌てて鹿山の者達がみのりを支えた。
なぜ竜化すると、竜殺しは死ぬのか。簡単な事だ。竜になるときに、命を削ってしまうからだ。
みのりも腕と翼を生やすため、命を維持するための竜気すら使ってしまった。それでも死ななかったのは、みのりがもとより人間ではないからだ。
(そう。私はあおいが作った、竜の、
一度死に、この世界を救うために蘇った人造の竜。それがみのりだった。
(だから私が、蒼竜を殺す。でなければ、私がこの世界にいる意味がない!)
もう一度、翼を羽ばたかせた。翼で空を飛ぶのは初めてだ。だが、いける。そう思えた。
「みのりちゃん!」
悲痛な顔したあおいに、今度こそ微笑みを投げて、みのりは勢いよく地を蹴った。
雨の勢いが強い。それに風も重い。空を飛ぶとは、こんなに大変な事だったのか。
雨を降らせている雲を抜ければ、月夜の下で蒼竜と遭遇することとなる。だが、その雲すら遠いように思えた。
(高く…もっと高く…!)
雲に近づくと、強い乱気流に襲われた。
だが、怯んでいる暇はない。この間にも、落雷によって市街地は炎に襲われているのだ。
「今の私なら、雲の向こうまで飛べるはずっ!」
背中が押されるような感覚と一緒に、みのりの体が加速する。
雲に入ると、まるで闇のようだった。息を吸うと、水滴が喉にへばりつく。
ならば。
左手に握ったヴォーパル・ウェポンを振り、
爆発音と共に、雲が吹き飛んだ。
そして、月が見えた。
雲海から飛び出すと、満天の星空が、みのりを迎えた。
「蒼竜はどこっ!」
翼を広げ、周囲を見回した。
振り返ると、重爆撃機のような、蒼竜の巨体が目前にあった。
「しまった!」
素早く障壁を張ったが、蒼竜は質量を武器にしてみのりを障壁ごと突き飛ばした。
きりもみして雲海に落ちそうになったが、なんとか翼を広げて踏みとどまった。
だが、蒼竜はすでにみのりの直上に迫っていた。
大きく開いた口腔が雷光で満ちていく。障壁も間に合わない。少しでもダメージを受け流そうと、竜化した右腕で身を守る。
「グッ!」
稲妻が、みのりの身体を貫いた。焦げくさい匂いが鼻を突いた。
焼かれたのは、破れかけていたスプリングセーターだった。
「よくも…乙女の柔肌をっ!」
怒りにまかせてヴォーパル・ウェポンを振るう。五つの
しかし、蒼竜は巨体を翻すと、光の球を回避した。光の球はむなしく宙に霧散する。
そしてみのりを嘲笑うかのように、蒼竜は光球の射程外へと上昇してしまった。
空の機動では、かなわない。蒼竜は前脚が翼になっている、完全な飛竜である。赤竜のようにマッハで飛べはしないが、蒼竜は間違いなく空の王者なのだ。
「だからこその、ヴォーパル・ウェポンだ!」
左手に握られたヴォーパル・ウェポンから刃を延ばし、大きく振るう。光の刃はたちまち千倍ほどに伸びた。
「真っ二つにしてやるっ!」
刃は上空の蒼竜を狙って振り上げられた。だが、蒼竜は容易に避けてしまう。
「ならば!」
右手を伸ばすと、
だが蒼竜はジグザグに飛んで、閃光弾の射線から逃れる。巨体からは想像できない敏捷さだった。
視線さえ通れば命中する閃光弾だが、狙いが定まらなければ、当然かわされてしまう。みのりの放った弾は、むなしく宙を貫くばかりであった。
(なんとか、接近戦に持ち込まないと…)
遠距離戦闘では、機動力の高い蒼竜にはかなわない。敵の懐にもぐりこみ、ヴォーパル・ウェポンで一撃を入れられれば、勝機はあるはずだ。
だがみのりは、この時、大きなあやまちをおかしていた。
射撃することに夢中になりすぎて、動きが止まっていたのである。
蒼竜が一切反撃してこないことを、もっと怪しむべきだった。
蒼竜は少しだけ動きを止めると、口腔内にためていた稲妻をもの凄い勢いで吐き出した。
それはまさに、稲妻の奔流であった。
「キャアアアアアアッ!」
まるでこの世の全てが、光に飲み込まれたように見えた。稲妻の高熱が空気を破裂させる轟音に包まれ、みのりの意識は消え去った。
まるで糸が切れた操り人形のように、みのりの身体は雲海へと吸い込まれていった。
(つづく)
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