さよなら、おかあさん。(2)

 暗く厚い雲間を雷光が走った。

 核爆発で巻き上げられた塵が、雲となって空を覆ったのである。


 その闇の底にあって、竜見さゆりは慟哭の声をあげていた。


 愛した家族みのりが、いなくなったのである。

 さゆりをかばって、消えたのである。


 怒り、悲しみ、様々な感情がさゆりの中で渦巻き、咆哮となって空に響いた。

「お前だけは絶対殺す!」

 開いた口から光が溢れる。衝撃波でがれきと化した建物が吹き飛び雷鳴が轟く。

 さゆりのはいた光のブレスは雲を突き破った。輝銀竜プラチナ・ドラゴンは軽やかに身を翻すと、さゆりのいる地上に急降下してきた。

 ヴォーパル・ウェポンを引き抜く。果てしなく伸びる光の刃。一凪しただけで輝銀竜の左腕をはねとばした。刃はそのまま空を走り、遠くはなれた山をも切り裂いた。

 そして再度光の息をはく。輝銀竜も青い光をはいた。二つのブレスは空中でぶつかりあった。

『落ちろよ! 輝銀竜!』

 竜語ドラゴン・ロアで叫ぶと同時に、さゆりが放つ光が白から金色へと変わる。

 ショートに切りそろえられた、さゆりの髪が長く長く伸びていく。覚醒した金剛竜ダイヤモンド・ドラゴンの力が、さゆりの肉体に干渉を始めたのだ。

 黒髪が舞いあがり、閃光の息ライトニング・ブレスの勢いは増していく。

 金色の光の奔流が、輝銀竜の青い光を飲み込んだ。

『ばかな』

 輝銀竜は小さな言葉を残して、金色の光に飲み込まれた。


 だが、戦いは終わらない。


 この地は世界最大の竜脈が眠る場所だ。さゆりの髪が伸びたように、その肉体に金剛竜の力が満ちたように、輝銀竜の失われた肉体もまた、急速に竜気を吸収して回復するのだ。


 下半身だけになった輝銀竜が地上に降りてきた。同時に、失われた上半身が復元される。

 四つん這いになった輝銀竜は、天に向けて吠えた。

 慟哭ではない。それは竜の力がもたらす破壊への賛歌であった。

『竜王と竜王が極限の力を発して戦う。こういう身も蓋もない戦いがやりたかったんだよ、俺は』

 雷鳴の中に輝銀竜の哄笑が混じる。

『ふざけんな! こっちはお前と遊ぶつもりはないんだよ!』

 伸びてうっとうしくなった長髪を、手早く金色のシュシュでまとめあげる。

『ククク、ムスメを失って余裕を失ったか? 金剛竜!』

『黙れっ!』

 さゆりはヴォーパル・ウェポンをかざした。杖の先から放たれた光は、輝銀竜の左胸を撃ち貫き、そのまま背後の山をも貫いた。轟音を立てて、山が崩れる。

『いいねぇ、その破壊衝動。まるで世界が壊れてしまいそうだ』

 ゲラゲラと輝銀竜は笑い続ける。その間に、壊された左胸は復元されていた。


『じゃあ、第二ラウンドといこうか! 金剛竜!』


 言うや否や、さゆりの背後で戦術級の核爆発が起きる。

 鏡の防壁で熱線と衝撃波を受け止めながら、ヴォーパル・ウェポンをふるった。光の刃はうなり声をあげると無限に伸びて、上空に逃れようとする輝銀竜を袈裟斬りにした。

 しかし輝銀竜は身を翻して刃をかわし、雷光が混じる暗闇の雲の中へと身を隠す。

 空から無数の鱗が飛翔する。輝銀竜のものだ。それらはそれぞれが強烈な爆発を引き起こし、さゆりを追い詰めていく。

「くっ!」

 かわしきれずに、左腕をもがれた。カンカラカンと音をたてて、鏡が焼けただれた大地に転がる。

「くそっ!」

 左腰にヴォーパル・ウェポンを差すと、残った右手で鏡を拾い上げる。

 鱗の第二波。鏡を天にかかげ、障壁を生み出す。核の炎すら防ぐ障壁である。炸裂する鱗など相手にもならない。

 だが。

 鱗に混ざって輝銀竜がすさまじい速度で急降下してきた。

「ばかなっ!」

 後ろ脚を伸ばして障壁の天井を蹴り破る。同時に鱗が大爆発を引き起こした。

 大地が塵となって噴き上がった。輝銀竜の下半身は、地面にめり込んでいた。

『これで終わりか? 金剛竜』

 翼を羽ばたかせて上空に舞い上がる。

『そんなわけねえだろ!』

 輝銀竜が生み出した穴のへりに、さゆりは右足一本で立っていた。自ら光波爆発ライトウェーブ・バーストを生み出し、自分の身体を吹き飛ばしていたのである。左脚を失ったが、直撃は免れた。

『そんなわけねえよな』

 輝銀竜がそうであったように、さゆりの左腕と左脚も、すぐに復元された。


 輝銀竜の核爆発とさゆりが放った光で、周囲の地形は完全に変わってしまった。地はえぐられ、山体さんたいは崩壊し、街々はがれきと化し、川も池も干上がってしまった。

 あらゆる生き物が生きていけない地獄の底で、二匹の竜王キングドラゴンだけが死の舞踏ダンス・マカブルを踊る。


 これが、竜王同士の戦いなのだ。竜の最終戦争ドラゴンズ・アポカリプスなのだ。


 さゆりがヴォーパル・ウェポンを凪ぐ。輝銀竜は翼を震わせ飛び上がると、さゆりの頭上から爪を振り下ろす。鏡が生み出す障壁で爪を防ぐと、光波爆発ライトウェーブ・バーストを輝銀竜に撃ち込んだ。浅い。大きな爆発であったが、輝銀竜の右半身を泡へと変えただけであった。


 輝銀竜は死なない。まるで脱皮したかのように、破壊された身体から、新たな身体が生まれてくる。

 しかしそれは、さゆりも同じだった。防御に失敗して腕を落とされても、足を吹き飛ばされても、すぐさま回復する。どれだけ攻撃を受けても、人のカタチを失わずにいられた。


 ここに竜脈がある限り、両者の戦いは果てることはないのだ。


 戦いは、数時間に及んだ。


 全てが炎に包まれ、全てが灰になるまで、両者は戦い続けた。暗雲くらくもは、ねっとりとした灰まじりの雨を降らせ、雷鳴を轟かせる。さゆりも輝銀竜も等しく黒い泥濘でいねいを被っていた。



 そして終わりが、やがて訪れる。

(魔力が回復しない)

 ヴォーパル・ウェポンの刃が消えた。同時に、下半身を失った銀竜も後ろへと倒れた。


 この地にあった、竜脈が尽きたのだ。

 二頭の竜王に吸い取られ続けた竜脈は、ついに枯渇してしまったのだ。


 さゆりは最後の力を振り絞り、動かなくなった輝銀竜の頭によじ登った。

『私の勝ちだね』

『なにを言うか。すっからかんなのはお互い様だろう?』

 目玉がぐりっと動き、頭上のさゆりをねめつけた。

『残念だね。こっちには、まだ最終兵器があるんだよ』

 さゆりは、背中に担いでいた銃を構えると、弾薬盒から取り出したクリップをはめた。

『それは』

『三八式歩兵銃。そしてこの弾丸は』

 レバーを引いて弾丸をセットする。

あの子みのりがこしらえた魔法の弾丸だよ! たっぷりとくらいな!』

 引き金を引く。何度も引く。

 着弾した弾丸は光波爆発となり、輝銀竜の頭を吹き飛ばした。

 弾薬盒の弾が全てなくなった時、もはや輝銀竜の頭は原型をとどめなかった。


 弾薬盒の弾丸が尽きた。輝銀竜はピクリとも動かなくなった。

 戦いは終わったのだ。


「みのり、やったよ」


 輝銀竜から飛び降りた。上半身だけが残った無残な姿。どれほど、この光景が見たかったか。これで22年、胸に抱えていた悔恨が消える。

「やったな」

 拾い上げた鏡が言った。さゆりはうなずく。


 しかし。見渡す限りの廃墟。赤く焼けただれた大地。周囲にそびえる山々は砕かれ、もはや原型をとどめていない。

 なにもかもが、無残であった。

 この光景を生み出したのが自分であると、さゆみは信じたくはなかった。この地は長らく、命を拒絶し続けるだろう。

「また、竜殺しドラゴンスレイヤーが悪く言われちゃうね」

 賞賛など、期待していなかった。この光景を見れば、それは仕方ないものだと思える。

 やりきれない気持ちになった。だが、それも使命だ、と思い定めることにした。

「しかたないさ。サユリが勝たなければ、どのみち人類は滅んでいたのだから」

 そう思えるのは、鏡が無機物であり、コミュニティ性を持たない存在だからだろう。そう簡単に割り切れないからこそ、人間なのである。

「これからどうするんだ?」

 竜としての力も尽きた。もう、魔法も使えない。さゆりは長年あこがれた、「ただの人間」になれたのだ。

 だが、世の中はさゆりを、今更ただの人間であると認めてはくれないだろう。

「たつみやをたたんで、どこかの山奥で暮らそうか」

 竜がいなくなった以上、魔法屋を続ける理由もなくなった。

 さゆりは竜殺しの宗家としての役割を、今、終えたのである。

「そしてずっと、みのりの菩提を弔うことにするよ」

「そうか」

 さゆりは、輝銀竜の屍体を背にして、立ち去った。


 今、自分はどんな顔をしているだろう。

 鏡を自分に向けてみた。

 塵まみれとなった鏡は、ぼんやりとさゆりの姿を映し出した。

 黒く長髪を金色のシュシュで結んださゆり。それはまるで、みのりのようであった。

「みのり、私、やったよ…」

 そこに彼女がいるかのように、鏡の中の自分に語りかけた。

「あんたと一緒に…この悦びを分かち合いたかったなぁ…」

 思わず涙ぐむ。ぼやけた鏡像が、ますます輪郭を失っていく。

 鏡の中のさゆりの姿が、銀色の光と混ざり合う。雷光か。そう思って天を見上げた時…。


 背後の異変に気づいた。





『ふふふ、やっぱりお前は22年前から何も変わってないな。バカな金剛竜め』


 竜語ドラゴン・ロア


『なんだと』


 振り返る。


 そこには、完全に肉体を回復した輝銀竜の姿があった。


『なぜだ。なぜ竜脈がなくなったのに…』


『忘れたか。オレの中には、母さんヴァイオレット・ドラゴンがいることを』


『バカな』


 絶句した。今まで戦っていたのは、輝銀竜の全てではなかったのか。

 敗北感が、胸を突き上げる。屈辱感が、奥歯をギリリと鳴らした。

 HMD《ロマンシア・システム》さえあれば、こんな茶番を見破れたのに…。

(またやってしまったのか、私は!)

 さゆりにはもう、この銀色の暴君に抗う力など、残ってはいなかった。


『この勝負、俺の勝ちだ! 金剛竜!』


 輝銀竜のあぎとが大きく開いた。


 その奥に、さゆりを処刑する青色の光が見えた。


「ごめん、みのり…わたし…」


 さゆりの耳に残った最後の言葉は…



「さゆり、オレはお前を、死なせはしない。」


(つづく)






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