ニセモノのムスメ みのり

時を駆けた少女

第二のプロローグ

 ひとり暮らしにみ、代わり映えしない毎日に飽き、年々衰えていく自分の容貌と向き合い、そんな自分を受け入れてくれる夫と子供を作れなかったことを後悔する願う日々を送る中、輝いていたあの頃に戻りたいと思うのは、後ろ向きだが人として当然の感情であるとも言える。

 竜見さゆり(40)も、そんなつまらない後悔と孤独にとらわれた毎日を送っていた。

 彼女の口癖は「18歳に戻りたい」もしくは「ずっと18歳でいたい」。18歳まで戻って、これまでの人生をすべてやりなおしたいと、竜見さゆりは半ば本気で思っていた。


 彼女の輝かしいはずの人生は、18歳を境にして大きく変わってしまった。

 さゆりの人生を狂わせた出来事とは、22年前、瀬戸内海のある島で起きた、竜と竜殺しドラゴンスレイヤーとの戦いであった。


 大地を覆う陽炎。空を覆う黒い雲からは、灰のような雨が降り注ぐ。

 焦げた臭いが鼻を突き、なんの音とも知れぬ轟音がずっと響いている。

 彼女はわずかに遺された島の欠片かけらに立っていた。そこにあったはずの地面は、周囲から流れ込む海水によって巨大な渦に変わった。

 今この場所でのは、さゆりと、空に浮かんでいるあの銀色の竜だけであろう。

 彼女の隣にいた両親、幼なじみ。そして多くの仲間は、輝銀竜プラチナドラゴンの顕現と共に光の中へと消えた。何の言葉も遺さず、影となってこの世からいなくなってしまった。

 対岸は一面炎の海だ。コンビナートが火を噴き、ビルが焼け落ちる。濛々と黒い煙が立ちのぼり、暗い雲へと吸い込まれていく。

 まさに、この世の終わりであった。終わる世界の中で、さゆりだけが生き残った。

「お前だけは…」

 シャンパンゴールドのシュシュで結わいた長いポニーテールが、吹き荒れる狂風にもてあそばれている。

「お前だけは!」

 黒い雨に濡れた顔をぬぐう。そして赤く輝く瞳で空をにらんだ。その視線の先には、大地を砕き、全てを焼き払い、一瞬にしてこの世界を地獄へ変えたドラゴンがいる。

「絶対にお前だけは!」

 左手に握った鏡を打ち捨て、右手に握ったワンドを振りかぶる。

「殺してやる!」

 打ち振るうと同時に、巨大な光の刃が高空を飛ぶ輝銀竜プラチナドラゴンの尾を引き裂いた。体制を崩した竜は、自分が生み出した渦の中へと落ちた。

「死ねよ! 死ねったら!」

 杖を横に凪ぐと、その軌跡に沿って十の光球ライトニングボールが生み出される。それらはみるみる大きく膨らむと、渦の中へと飛び込んでいく。さらに十発。さらに十発…。

 海の中から巨大な爪が伸びる。

 だがさゆりは動じない。その爪先は、さゆりを護る障壁にはじき返された。

 顔を半分焼かれ、片翼をもがれ、それでも輝銀竜は生きていた。大きく口を開き、青い光の奔流を吐きかける。だが、至近距離からの竜息ドラゴンブレスは、背中から伸びた角柱プリズム状の翼によって弾かれた。

「なにものをもとおさぬ、金剛ダイアモンドの鱗か」

 半壊した輝銀竜の顔がうめく。

 息がきれて、言葉が出ない。ありったけの敵意を剥き出し、輝銀竜を睨むだけだ。

 汗と雨でセーラー服が肌に張りつく。少女の細いシルエットがあらわになっていた。この服にかけられた、不破化インビンシブルの魔法が尽きたのだ。

 さゆりの肩が大きく上下する。輝銀竜の身体も崩壊が続く。

「そうよ。私は…」

 ようやく、声を出した。気がつけば、膝をついていた。立っているだけの力すら、もうさゆりには残っていなかった。

 …。


 あの戦いを、さゆりはずっと悔いていた。両親を、恋する幼なじみを、そして沢山の仲間を失ったあの戦いを。それだけの代償払ったにも関わらず、宿敵輝銀竜を倒せなかった、あの戦いを。

 それから22年。彼女はずっと悔恨の中で生きてきた。つまらない日々を送っているのは、輝銀竜を倒せなかった自分への罰だとさえ思っている。

 あの日の戦いに勝てたなら、こんな気持ちで生きていかずにすんだ。あの頃に戻りたい。輝銀竜と戦う前の、楽しかった日々に。

 竜をにらみあげた彼女の目は、もう前を向いてはいなかった。過ぎ去った日々にだけ、彼女の瞳は向けられていた。

「18歳のキミは、まだまだ未熟だった。他の竜殺しドラゴンスレイヤーの力を借りて、ようやく君は生き残れたんだ」

 さゆりしかいない空間に、甲高い声が響いた。女の声のようにも聞こえるが、口調は男のものであった。

 その金切り声は、壁にかけられた鏡の中から発せられていた。

「あの場にいたみんなは、死ぬ覚悟を決めていた。ご両親も、ミノルも、サユリをサポートした他の竜殺したちもだ。自分たちが死んでも、君が生き残れば輝銀竜を倒すことがでるきる。そう信じたんだ」

「でも私は、倒せなかった」

「時がまだ、満ちていなかっただけだ。早すぎたんだ。18歳のキミでは。だから…」

「もう、やめよう、こんな話は」

 何度も話したことだ。話を振るのは、いつもさゆり。鏡は飽きもせず、さゆりの話につきあってくれる。それでさゆりは、寂寞とした孤独感から、少しだけ解放される。

「店、閉めよう」

 時計は22時を回っていた。毎日閑古鳥が鳴いている店である。この時間まで開けていたことに意味はない。単に、閉め忘れただけであった。

 椅子から立ち上がり、扉へと向かう。

 しかし、さゆりは扉の鍵を閉めるかわりに、まだ肌寒い春先の夜空の下へと身を乗り出した。

 見上げれば、銀の弓を引き絞ったかのような三日月がかかっている。

「どうした? サユリ?」

「ん、なんでもない」

 気のせいか。と、さゆりは口の中で呟いた。

「明日も夕方からバイトだから。大変だよね、貧乏ってさ」

 店に戻って、鍵を閉めた。

「時が時なら、サユリは姫様なのにな」

「今でも私は姫様だよ。たつみ通りではね」

 サンダルを脱ぎ、上がり框に足をかける。

「寝るよ、おやすみ」

「おやすみ、サユリ」

 キインとした残響を残し、鏡は沈黙した。

 店と居間を隔てる引き戸を閉めた。

 鏡の声が消えると、いつも孤独感に苛まれる。一人で住むには広いこの家の空間に、さゆりは押しつぶされそうになる。

 だが、今日は違っていた。

 店を出たときに感じた不思議な感覚。

 なんだろうか。緊張感のような、ワクワクするような、いてもたってもいられない気持ち。

 脳裏に、稔の笑顔が浮かんだ。

 そうだ。まるで恋人に、会いにいくような。ここ二十年ほど、感じたことがない高揚感。

 居間のちゃぶ台に置かれていた女性誌は、たまたま占いコーナーが開いていた。

 明日の蟹座の運勢は…

「3/11。一生忘れられない出会いが貴女を待ってます」

 一生ときたか。

「なんだ、大げさだな」

 だが、悪い気は、しなかった。

 こんな浮ついた気持ちのままチルタイムを過ごせるのは、きっと幸せなことなのだろう。

 居間の柱にかかった時計を見上げる。3/11。何かが起きるその日まで、あと一時間半だった。


(つづく)

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