最高の駄作

黒田灰猫

プロローグ

「――っだぁー、また落ちたぁーーーーーーー」


 ある日の休日。自室のノートパソコンをまじまじと見るも今回も一次通過者の作品・作者名一覧に柏木恭介かしわぎきょうすけの名前は見当たらない。


「ばかにぃうるさーーーーーーーーい!」


 受け入れがたい現実に悶絶していると部屋のドアが勢いよく開け放たれ、俺の嘆きよりも大きい声で怒鳴られる。


「ギャーーーーーーーーって、うらら! お前の方がうっせーじゃねーか!」


 唐突に大声を聞いた所為か、奇声を発すと同時に勢い余って椅子から転げ落ちてしまった。

 転げ落ちた際にどこかで打ってしまったのか腰にジンジンとした痛みが走る。

 そんな痛む腰を押さえながら俺は訪問者へ、キッっと睨みを利かす。


「何その目。まじキモいんですけど」


 胸まで伸びた長い黒髪を一つに束ね、ブカブカのTシャツにショーパン姿の妹が開け放たれたドアの前に半目で佇んでいた。

 開口一番がお兄ちゃんディスりとは思春期の女の娘ってのは全く怖くてたまらない。

 そのうちお兄ちゃんスイッチ(ディスり)とかいうテレビ番組が出来てしまいそうで更に怖い。


「おいおい麗、言っとくが俺とお前は血を隔てた実の兄弟なんだぞ」

「……何が言いたいわけ?」


 ジーっと半目で蔑むように俺を見詰める麗に俺は目線を明後日の方向に向けて答える。


「つ、つまり俺とお前は顔が似ててだな俺の目がキモイって事はお前の目もキモイって事で…………って麗ちゃん、一体これは何をしているのかな?」


 麗は横たわる俺の近くまで来ると歪な笑みを浮かべ、俺のケツを座布団代わりにすると、何故か俺の両足を脇に挟み込んできた。


「ん、何ってボストンクラブやるだけだけど」


 今、さらりと怖い事を言われた気がした。


「え、ボストンクラブ? えっ、何それお酒? 麗ちゃん? あなたまだ高校生なんだらか飲酒はしちゃ駄目……って、ごめんちょっと待って。お兄ちゃん謝るから! ね? いや、ちょっ……だからほんと無理だってーーーーーーーーーーーーーーーー」


 案の定、麗はプロレス技をガッチリ掛けてきた。


「ギブギブギブギブギブ! マジギブ! 麗ちゃん知ってる? 床を叩いたら技掛けるの止めないといけないっての知ってるよね⁉ 降参だって! 白旗振ってるから! それルール違反だから!」

「えーなに、もうギブなの? あにぃって、なんでそんなに軟弱なわけ? そんなんじゃプロレス選手にはなれないよ?」

「そんな夢、一回も語ったことないよ⁉」

「あれ、違うの?」

「ちげーよ!」


 この妹は実の兄を今までどんな風に見ていたのだろうか、軽く心配になってきた。


「てか、麗ちゃん。貴方はいつまでその……ボストンクラブ? をしてるのかな?」


 この妹め、さっきから俺が必死こいてタップしてるのに全然プロレス技を解こうとしない。

 何だ、この子、ちゃんと耳ついてんのか? あ、耳はついてるな。なら耳垢でも溜まってんじゃないのこの子。


「えー、なに止めて欲しいわけ?」

「うんほんと止めてほしい! 今すぐ止めてほしい!」

「じゃあ、ごめんなさいは?」

「ごめんなさい、もうしません! だから許して下さい麗様!」

「……まぁいいか」


 そう告げると麗は脇の力を抜いてガッチリと固めていた俺の足を解放してくれた。


「はぁ。脚がもげるとこだった……」


 ゼイゼイと肩で息をする俺を座布団代わりにしていた麗は「よいしょっ」っとおばあちゃん臭い言葉を声に出しながら腰を上げる。

 この子俺より年下だったよね? あれ、気のせいだった?

 そんな有らぬことを一考していると、麗は扉の方へ向かう。ふぅ、やっと部屋から出て行ってくれる。

 そんな思考をするものの、現実はそんなに甘くなく、麗は何故か俺のベッドに足を組んで座り直した。

 何故この子はまだいるのだろうか? 俺に用事でもあるのだろうかか? ごめんなさい、私は特にないので帰ってもいいでしょうか? あれ、ここって俺の部屋だったよね? どうしよう、俺の帰る場所が無いのですが。


「はぁースッキリした!」


 そんな俺の雑考など知るよしもなく、麗は暑いのか肩にかかる髪を片手で首元から払い、大きめのTシャツの襟を掴んでパタパタと仰ぐ。

 これが妹でなければ多少思う所はあるのだろうが妹相手では流石に何も思わない。


「おい麗、まさかお前ストレス発散の為にプロレス技掛けてたんじゃないだろうな?」

「あはは、そんなわけないじゃん! なに、もう1ラウンドいっとく?」

「いえ結構です」


 鬼畜の提案に即答してやった。


「何だつまらないなぁ。ほんとあにぃって体力ないよね」


 今度は俺のベッドに寝そべって俺に背中を向けながら麗は語る。


「なんで俺が何回もプロレス技かけられなきゃいけないんだよ。悪いが俺はそっちっ気はないんだが」


 起き上がって椅子に座り直した俺は何を考えるでもなく無心に麗を見詰めながらそう応える。


「ならあにぃがうちに掛けてみる?」

「は?」


 体をごろりと反転させ、布団に顔を半分埋めながら上目遣い気味に麗は俺に語り掛ける。

 冗談を言ってる割には麗の顔は真剣そのものだった。


「何言ってんんだ、そんな事するわけねーだろ。お前だって一応女なんだから」

「…………」

「……何で黙ってるの?」


 麗は目を丸くして俺を見たまま固まっていた。


「…………何でもない」


 そう言ってむくっと起き上がった麗は動いた所為か火照って見える。

 だがそう見えたのは一瞬で麗は足を組み、肘をついて半目で俺に問いかける。


「で、あにぃは何であんなに叫んでたわけ?」


 ショートパンツの所為か足を組んでいる所為か、太ももに筋が浮き上がって無性にエロいはずなのに悲しいかな妹だから何も感じない。

 はぁ、何で今ここにいるのが麗何だろうか。もっと体にメリハリのある学校のアイドルとかがよかった。そんな未来は来来来世まで来そうにないが。

 それにしてもほんとうちの妹ったら張る所のハリが無さすぎる。まったく、毎日三食は一体何処に使われてるのやら。まぁそんな事口に出そうものなら今度はラリアットでも食らいそうなので決して言わないが。


「まぁあれだよ。応募してたラノベ新人賞の一次通過者の発表が今日だったんだけど見事に落ちてたわけだ」

「あー、あにぃまたあのキモオタ小説に応募してたわけか」

「おまっ、キモオタとか言うんじゃねーよ! いいかライトノベルってのはなぁ一般小説と何ら変わらない文学なんだよ! 可愛いイラストの挿絵や表紙を見ただけでキモオタとか判断すんな! いいなわかったか! え、おい!」

「わ、分かったから! 分かったから放してあにぃ!」


 はっと我に返るといつの間にか麗の両肩を掴んでベッドに押し倒していた。え、何これ? 何てタイトルのラノベ?


「わわわ、ごごごごめん」


 慌てて諸手を麗から離しすぐさま後退した。


「妹に手を出そうとするとかあにぃどんだけ性欲溜まってんの?」


 まさか妹から犯罪者を見るように蔑視さられる日が来るとは思わなかった。確かに童貞記録は日々更新しているもののそんな実の妹に手を出そうなんてそこまではまだ性欲溜まってないもんね! ……まだ?


「ごごご誤解だって! ちょっと熱くなっていつの間にかそうなってただけだって!」

「へー、あにぃは熱くなったら普通にそんな事しちゃう人なんだ」

「ち、違うって、ただ何か色々とこみ上げて来て気づいたらそうなってたんだって!」

「色々とこみ上げてきて…………って、ここで下ネタ!? あにぃは麗の事どんな目で見てんのよ! キモッ! キモイキモイマジキモイ! こっちくんな、近寄んな、妊娠する!」

「そんなんで妊娠するわけねーだろ!?」


 とんでもない勘違いをして麗は俺の枕をブンブンと振り回して部屋を駆けずり回る俺を追いかけてくる。


「う、麗お前、近寄んなとかいう割にお前が俺の事追いかけてきてんだけど!?」

「うるさい、正当防衛! 犯罪者は黙って殺されろ!」

「え、何それ、普通の枕だよね? 今麗が振り回してるのって鉄製とかじゃなくてポリエステル素材だよね? それだけ答えて、ねぇ!」

「何だっていいでしょ! それよりさっさと殺されろ、ばかにぃ!」

「麗、落ち着けってーーーーーーーーーーーー」


 ☆ ☆ ☆


 数分後、部屋の中を駆けずり回った俺たちは、大の字で天井を仰ぎながら肩で息をしていた。


「くそ、馬鹿あにぃめ。一発殴らせてくれれば直ぐに終わったものを」

「嘘つけ。お前、絶対一発じゃ終わらせる気なかっただろ。目が狩人だったぞ」

「えへへ、ばれてた?」

「当たり前だ、何年お前のお兄ちゃんやってると思ってるんだよ」


 ほんと麗の御陰で人間の言葉は信じちゃいけないという事を日々学んでる。えへへなどと可愛く言えば許されるとでも思っているのだろうが俺は騙されない。これが妹じゃなかったら笑顔で許していたのに。くそ、何故俺には義理の妹が居ないんだ。


「で、いつまであにぃはその………ライトセイバーに応募し続けるわけ?」

「ライトノベルな! 何だそのかっこよすぎる新人賞は。何だお前はあれか? 俺がスター・ウォーズのオーディションでも受けてると思ってんのか?」

「あにぃ、それマジで言ってんの? 鏡で自分の顔面見てきた方がいいよ」

「うっさい、分かってるよ。てか、何で俺がディスられてるわけ?」


 ほんとお兄ちゃんって大変。


「ディスってないし。てか、あにぃって今までどんなジャンルの作品投稿してたわけ?」


 唐突に麗は全然興味なさ気な事を訊いてきた。


「どうしたのお前?」

「いいから、早く答えて」

「お、おう」


 麗の低い声音に思わず二つ返事をしてしまった。

 俺ってほんとにお兄ちゃんなのだろうか?


「………………やっぱり言わないとだめ?」

「言え」

「はいでありまする!」


 人、一人殺しましたみたくな目で麗から威圧された俺はそう即答するしかなかった。早く独り暮らしがしたい。


「…………………………ラブコメ………………だけど」

「ぷっ、ぷぷぷっぷぷぷっ、ラブコメ…………あにぃがラブコメだってぷぷぷ」


 何がおかしいのか麗は肩を震わせていた。


「わ、笑ってんじゃねーよ! 人類皆恋愛するんだよこの野郎!」


 小恥ずかしい所為かテンションがおかしくなっていた。


「あーお腹痛い! えー何々、あにぃって恋したことあるわけ?」

「な、何でそんな事麗に報告しなきゃ――」

「いいから!」

「にゃ、にゃいです………………」


 麗の鬼の様な形相に思わず白状してしまった。


「ほんとに?」

「あぁ、ほんとだよ」


 そりゃ可愛いと思う人は今までに幾人もいたがそこからその人を好きとか付き合いたいとかそういう気持ちになる事はなくて……だから嘘ではない。


「…………その割にはあにぃ額に汗めっちゃ掻いてるけど」

「いや、それはお前の顔が鬼みたいに怖いからで――」

「あ?」

「にゃ、にゃんでもないでしゅ、はい!」


 妹に逆らえない兄。それはほんとに兄と呼べるのだろうか? 世界に問いたい、お兄ちゃんって何なの?


「そっ。で、あにぃは今まで何作品応募してきたわけ?」

「高一の時二作品で、高二の時四作品だから今のところ六作品ってことだな」

「で、その六作品全部一次選考にも通ってないんだ」

「うっ、ご、御名答です」

「ふーん。そっか………」


 何故そんな事を訊いてきたのだろうかと麗の顔を伺おうと横を見て見るも麗は天井を仰いでいてよく表情が分からない。


「何でそんな事訊くんだ?」


 そんな麗の言葉がどうしても気になってしまいつい尋ねてしまった。


「んー。まぁ、あにぃってもう高三じゃん。だからそのライトノベル? ってのもいいけどさ受験の方は大丈夫なのかなって思って。あにぃも一応進学志望なんでしょ?」

「そーなんだよな。俺って今年受験なんだよなぁ」

「はぁ、なに他人事みたいに言ってんの。まぁそういうわけだからあにぃも勉強に本腰入れてみたら? 将来作家になるわけでもないし、それに受験が終わればまた書けばいいわけだし」

「……」


 確かに麗の言う事は至極真っ当で世俗から見れば大層御立派な考えなのだろうけれども、俺はその思考に何故か納得できないでいた。


「…………やっぱ、皆そういうよな」

「ん? あにぃ今何か言った?」

「いや、何も」

「ふーん、そっか。じゃあうち汗かいたからシャワー浴びてくるけど覗いたら殺すから」

「覗くわけねーだろ? お前お兄ちゃんの事何だと思ってんの?」

「何って、変態でしょ」

「何故そうなった?」


 小首を傾げて「あたし、何もおかしな事なんか言って無いんですけど」と妹様は俺へと語り掛けていた。

 麗から俺はどう認識されているのだろうか。


「あはは! 覗いたら殺すから!」

「何笑顔で繰り返してんの? そこは『冗談だって~』って、可愛く嘘を明かす所でしょ? え、ちょっと待って麗ちゃん何そのまま出ていこうとしてんの? せめて冗談だと言ってから出て行ってよ! ちょっ、冗談だと言って~~~~~~~~」


 そんな心の叫びが自室に響き渡ると同時に――


「ばかにぃ、うるさーーーーーーーーい!」


 俺の声を掻き消す様に再度部屋に入って来た麗は怒号を飛ばす。


「ふ、ふぁい!」


 そんな麗に俺は半泣きになりながら大声で返事をして黙ることしか出来なかった。

 麗が出て行くと先程までの喧噪が嘘の様に部屋が静寂に包まれる。

 そんな中、自室を見回すとふとノートパソコンの画面が目に映る。


「やっぱ俺って才能無いのかな……」


 明日からは春期休暇も終わり新学期が始まる。俺、柏木恭介は高校三年生になろうとしていた。


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