徒然無聊の日々

浅治 ユウ

0.タイトルとは、いざ。

 こんな意味ありげな、少し堅苦しそうな名前をつけたものの、思い付きで初めて「いざ。」と意気込めば何も出てこない。さてさて、どうするか。


 ということで、この「徒然無聊つれづれぶりょうの日々」というタイトルについて書こうと思う。


 ちなみに最初は、「Empty box《エンプティボックス》」という名前にするつもりだった。うん、いかにも。ザ・お洒落。意味はそのまんま、ひねりもない、空っぽの箱。連載中の小説の題名にも使っているのでお察しの通り、箱というものがすきで。なにも特別なものはない。ただの箱。あの四角い入れ物のこと。まあ、箱の魅力については長くなるので後程。


 で、今の名前に至った経緯だが、まあ英語の題名もお洒落でよろしい。ただ、お洒落なだけというのもなかなか。面白みがない。そもそもこのようなエッセイを書こうと思ったきっかけは何か。そう、あれだ。かの有名な兼好法師の「徒然草」だ。ひょんなことで目にする機会があり、ああ、これをしよう、と。それで始めたわけだ。


 じゃあ、と次に出てきた案は「兼好法師になりたい。」

なるほど。ド直球。ど真ん中ストレートのホームランコース。

完全なエース失格。

兼好法師になりたいエッセイなんて、どうだ。面白すぎる。

が、少しセンスに欠ける気がしてものの数秒で却下。


 この機会なのでついでに「徒然草」のかの有名な冒頭部分を調べるとやはり、兼好法師どのはセンスの塊である。


 つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


 まず、つれづれなるままに、が良い。私の心臓の右心房の弁のあたりを的確に射貫いてくる。血液が逆流するかとおもったくらいだ。ここにおいて右心房に弁があったかどうか定かではないし重要ではない。


 まあ、そうこうしているうちに「徒然無聊」という言葉に出会った。


 意味はそのまま、何もすることがなく退屈な様子。自分だ。まさにいまだ、なうだ、と思い採用。と同時に私が尊敬してやまない夏目漱石先生の虞美人草にある一文、「甲野さんは、手を拱いて、徒然の日を退屈そうに暮らしている。」という部分を思い出した。


 で、組み合わせて、完成。パクリとは言わせない。人間の発想なんてものはいつなんどき、どんな素晴らしいものを考え付いたと思っても大抵のことは先人が思いついた後だ。つまりパクリだ。まあ、それは置いといて。


 かくしてこの「徒然無聊の日々」というタイトルは出来上がった。

 これに沿った上手いエッセイが書けるとも限らないが、もし読んでいる人が全く沿っていないと思ったときはぜひ、このタイトルの由来を読んでみてほしい。


 まったくもって適当なつけ方をしてしまった。

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