第124話・ガンセキ、大地に立つ

 石彫り、たのしや。オレが彫ろうとしているのは、半具象的抽象像だ。アフリカ彫刻を見たことがあるだろうか?おっぱいボーン、お尻キリッ、そしてウエストびょ~ん、な黒人の彫像を。女性を(あるいは男性を)シンプルな解釈で記号化していて、明朗かつ本質的。かの地の彫像は、どれも黒檀という木を用いた木彫りなのだが、それを真似て・・・と表現するには抵抗があるが、まあアフリカ的人体観を石彫表現で試みよう、というわけなのだった。

 石彫場の外で横倒しにされた巨石は、長さ2メートル、ワイドと奥行きそれぞれ1メートルずつほどの箱形で、推定で3トンはある。こいつを揺らぎなく立たせるには、まずは底にあたる面を平らに成形しなければならない。直方体とは言っても、山の石切り場でざっくりとカチ割られたままの姿なので、地肌は荒々しく、デコボコしている。これではよろしくない。2メートルもの石像を立たせようというのだから、接地面はフラット、重心バランス平衡にして泰然不動、すなわち絶対安全が最低条件だ。もし制作中に、あるいは展示中に倒れでもしたら、下敷きになった人間は死を免れない。そうならないためには、なにをおいても底部成形だ。慎重を期して、作業を開始する。

 はじめて使うダイヤモンドカッターで、石のへりを少しずつカットしていく。高速回転する刃は、石肌に噛みつき、面白いように食い込んでいく。刃を進めるほどに、削った石の粉塵が舞い上がる。周囲数メートルには、煙幕のような石けむりが立ち込めている。そのため、ゴーグルと特製のマスクは欠かせない。こいつがなければ、肺も目もやられて、早死にすることは間違いない。視界の悪い中、3センチほどの深さの溝を一直線に刻んでいく。前に説明した「石塊をスリムにしていく」作業とは違い、底面出しは、いわば野菜でいうヘタ部分の切断だ。が、カッターの直径の問題から、一気に輪切りにはできない。石を浅く一直線に切り裂き、石ノミでちょんちょんと小突いて、余剰箇所を取り除いていくしかない。この作業を、表から裏へ貫通するまで続けるのだ。カット、ハツり、カット、ハツり・・・これを一週間ほどもくり返し、ようやくエンドまで彫り進んだ。底面がざっと平らになったところで、今度はダイヤモンドカップの出番だ。要するに、ガタガタの切断面を整地する削り作業だ。縦、横、斜めに角尺を当てながら、でこぼこを真っ平らに整える。この作業が終わる頃には、カッターもカップも、刃がほとんど磨耗してなくなっている。底面のならしだけで、計2万円の出費。関ヶ原の石材屋では、巨大なノコギリで石をスライスしていたが、あそこにひょいと置いておけば、ものの一時間ほどで両断できただろうに。手作業による石彫の困難さを思い知る。

 石の底が鏡面のようになったところで、いよいよ直立させてみる。ついに作品(まだ石塊だが)が立ち上がるのだ。なんとも心踊る瞬間でないか。しかしオレには、ひと抱え以上の大きな石を扱った経験がない。そこで、フォークリフトに乗ったマッタニに手伝ってもらう。やつはすでにベテラン選手の域に入っているのだ。作品の転がしもお手のものだ。しかしその作業には、知恵と勇気と細心さが必要だ。一瞬の油断が事故を招きかねない。人間側の安全第一はもちろんのこと、作品本体にもストレスを感じさせてはならない。破損させては元も子もないのだから。そろり、ゆっくりと、しかし大胆に作業を進める。

 横たわった直方体を直立させるには、まずベルト(ロープ)を縦に、つまり最も長い周囲に渡して巻く。直方体を人体に置き換えると、ベルトは天頂部からヘソを経由して股間を通り、背後に回って背骨沿いに回り込み、戻ってきた天頂部で絡められる。からだの正中線を一周するわけだ。その天頂部で絡めたベルトを、フォークリフトのアームに掛け、引っ張り上げる。すると作品の頭部が、ゆっくりとゆっくりと起き上がっていく。かかと部を地面に付けたまま、背中面が浮き上がっていくのだ。さらに起こして、角度をかせいでいく。かなりの勾配にまで立ち上がった。このとき、背中面にかかる重心と、底面(足の裏)にかかる重心のバランスが、極めて重要な問題となる。背中が徐々に持ち上がるにつれて、背中側の重心が底面側に、刻一刻と受け渡されていくのだ。ここでは、サイコロ型である立方体を考えたらいい。これから立ち上がるべき底面と、これから底になるべき垂直面は、四十五度だけ起こしたとき、完全な平衡状態となることがわかるだろう。つまり直方体は、立ち上げたある一点で、ついに重心の臨界点に差し掛かるわけだ。そしてついに、背中から足の裏に大重量が移動し、荷重の逆転が起こる瞬間がくる。鉄棒の逆上がりで、くるりと回ったからだが鉄棒の真上にきたときに、あちらサイドに回り込めるか、こちらサイドに戻ってきてしまうか、という一点があるだろう。その臨界点を境に、重心が反対側に移ったとき、一気にブレイクスルーが開始される。巨石の背中側にのしかかっていた荷重が、その角度を越えた途端に、足側に渡される。その瞬間の重心移動は劇的なもので、まさしく「横たわる」から「起きる」への決定的な転換点だ。ガクーン!それは、恐怖に限りなく近い緊張の瞬間でもある。あっちに向けて張り詰めていたベルトが、重心の二点間の移動で、不意にこっちに向けて張り詰める。ズシンとした衝撃が走り、運転席のマッタニはつんのめる。が、こらえる。なめらかだ。うまい。重心の臨界点で、アームの動きをピタリと止めることができると、3トンの巨石はまるでやじろべえのように見事に均衡がとれ、指一本でも重心の二点間を行き来できるほどに美しいバランスを取る。そんな一点を乗りきり、巨石の傾きはいよいよ垂直へと向かう。重心を担った底面がピタリと地面に接地し、ついにわが作品(まだ石だ)は大地に立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る