第122話・石彫部屋

 自分たちが主催した彫刻展を無事にのりきり、解放された勢いのままに美大祭で乱れまくり、やがて積もりはじめた雪の中をこもって過ごし、重い空がひらいて、四度目の春がきた。4年生になったオレは、塑像部屋を出ることにした。満を辞しての石彫部屋入りだ。相撲部屋は自分の意思で移籍することができないらしいが、彫刻科内では部屋を移ることは自由なのだ。いよいよオレも「イカツイ先輩」の仲間入りというわけだ。しかし、いざ石彫場に入って内側から観察してみると、怪物・珍獣の姿はどこにもなく、そこにいるのは普通の心優しい、そして制作に対する熱意を持った好人物ばかりだった。この場のボスである院生の井上さんは、オレが移籍した初日に声を掛けてくれた。

「鼻毛、長なるで。気いつけや」

 がんばれよ、の特殊な言いまわしだろうか?ここに棲息するヒトビトは、年中石粉の粉塵にまみれて過ごすために、みんな鼻毛をもうもうと噴き出させているのだ。部屋にはなじみたいが、そんな進化はゴメンだ。身だしなみに気をつけねば、と心する。

 石彫場は、大学構内の北の果てにある。プレハブが大小二棟つづきになっていて、中小企業の町工場といった風情だ。プレハブの小さな方は古くてボロボロだが、大きな方はわりと新しく、数トンもの石を縦横無尽に動かせるように、天井にガントリー(移動式のクレーン)が据えられている。足元は、コンクリートの打ちっぱなし。壁一面とも思えるようなシャッターが各サイドについていて、こいつを開けっ放して、粉塵がこもらないように始終空気を入れ替えている。つまり、常に吹きっさらしというわけだ。プレハブの外には、テニスコート反面分ほどの野っ原があり、あまりにも大きな作品はそこで加工、造形作業をする。その周囲には、これから作品にしていこうという巨石が積み上げられており、さらにその傍らに、うず高い石捨て場がある。巨石をガツンガツンと刻み、そこから出た石片、石クズを野積みにしているわけだ。そんな石彫場全体の外周を、鬱蒼とした竹林が取り巻いている。竹林は浅野川に向かう谷筋への断崖絶壁に消え入っていて、つまりここは本当の意味で、小立野の丘の最果ての地なのだった。

 三年間をこの場で揉まれたマッタニは、口の端にくわえタバコでフォークリフトを運転し、抱えられないほどもある石塊をゴロンゴロンと転がしている。その放埒な風体、無造作な振る舞いが、なかなかサマになっている。明らかに、第七餃子でフライパンを磨いていた頃よりもいい男になっている。ホホー、と言いたくなる。新しく石彫場に入った2年生、そして前年の一年間をすでにこの部屋で過ごしてきた3年生も、いっぱしに男の顔をしている。ここで過ごすと、女子学生までもが男の相貌と凛々しさをまとってしまうようだ。オレもとっととこの連中と同化して「真の男」に成長しなければ、との思いを強くする。

 さて、さっそく石を彫ろう、ということになる。最初は、外スペースの片隅に転がっている誰のものとも知れない端材を頂戴し、慣らし運転だ。高校時代に石工はやっていたので、戸惑いはない。この日のために、道具一式もそろえてある。石彫に用いる石ノミは、握り部分が鉄製で、先端に鉛筆の芯のような鋼鉄刃が仕込まれたゴージャスなものだ。一本3000円から5000円もするが、うっかり刃を折ってしまうと(よく折れる)使い物にならなくなるので、慎重に扱わなければならない。ならないのだが、力強くドツキ倒さなければ意味がない。頭の痛い問題だ。こいつのノミ尻に打ち込むのは、ゲンノウ(トンカチ)だ。これがクソ重い!重さは1、1キロ~1、3キロもある。連続して百回も叩き込めば、筋肉パンパンになれる。当然だろう、その重さの鉄アレイを百回上げ下ろしするのと同じなのだから。基本的には、この古式ゆかしい作業の反復で制作は進められる。しかし、300キロを超える巨石(このサイズはまだ可愛らしいものだが)となると、こんな原始的な道具だけでやっつけていては気が遠くなってくる。そこで、サンダーの登場となる。要するに、ハンディタイプのグラインダー、すなわち、石を切る刃を高速回転させる装置だ。その先端部には、ダイヤモンド粉をふんだんに混ぜ込んだカッターや、削り用のカップなどを取り付け、使用する。これがまた高額だ。悩ましい・・・

 具体的な作業の進め方はこうだ。まずは石のハツリたい部分に、ダイヤモンドカッターで深さ3センチほどの「切り傷」を、数センチ間隔に刻んでいく。シマシマの傷跡を入れるわけだ。平行に並んだこの傷跡に対して、垂直に石ノミをぶつけてやる。すると、長方体の(つまり、細長い)石片がポロリとハツれる。こうして塊から必要のない部分を取り除き、粗く彫り込んでいく。石が痩せて、ざっとフォルムができてきたら、ディテールをコツコツと石ノミで整えていく。おおむねイメージ通りになったところで、表面をダイヤモンドカップを使って美しい肌に削り込み、最後は砥石で磨いてツルツルに仕上げ、ようやく完成、となる。ふう・・・途方もない作業であることか。なるほど、作品の副産物として、脳まで筋肉質な原始人が製造されるわけだ。しかし間違いなく、石彫は彫刻界の華なんである。

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