第67話・大学受験

 新幹線に乗って、東京にきた。はじめてというわけではない。中学校の修学旅行で訪れたことはある。そのときは、学ラン姿の田舎っぺ大集団で、日光の東照宮や、華厳の滝や、東京タワーや、後楽園遊園地(ディズニーランドはまだなかった)など関東一円を、「ほへー」「はあ~」などと感嘆のため息をつきつつめぐるツアーだった。しかし今回は、大学受験のための東京行だ。気後れなど許されない。

 目的のムサビ(武蔵野美術大学)は、わがクラスからも数名が受験する。彫刻科を受けるのはオレひとりで、あとの連中は、デザイン科、日本画科、油絵科などに散らばっている。彫刻科の受験倍率はいちばん低く、9倍ちょっとだ。デザイン科などは、20倍~30倍などというとてつもない難関を突破しなければならない。みんな、目を血走らせている。なのに、オレは半分観光なので、気楽なものだ。天下に聞こえたムサビをスベリ止めに使うとは豪気なものだが、受かっても通うつもりはないし、だいいち高額な入学金・授業料が支払えないのだからしょうがない。「受験経験」という心持ちでのぞむ。

 中央線沿いの荻窪という街に宿を取り、そこを拠点に、小平市のキャンパスまで移動する。一日めに三教科の学科試験をやっつけた。あらかじめ、例の大学別の受験対策本「アカホン」なるものを買い込んでいたが、美大の受験といえばなんといってもデッサンがメインなので、学科の勉強はほとんどしていない。そもそもオレは、自分のおつむの天才性を信じきっているので、そこそこの点数を必ず獲る「根拠のない確証」があるのだ。だから、受験勉強などする必要はない。

 いよいよ問題のデッサン試験がある、二日めの朝がきた。宿では、ひどくチープなステーキととんかつの朝食が出た。「敵に勝つ」というわけだろう。ひどいダジャレだが、気持ちだけは受け取り、腹に詰め込む。会場に着くと、イーゼルと、四角い手鏡が受験者全員に用意されていた。事前情報どおりに、「自画像を描け」というわけだ。カルトンという、タタミ半畳分もありそうな「絵を収納できる画板」は、美大受験にのぞむ全員が各自所有のものを持ち込んでいる。そいつをイーゼルに掛け、配られた画紙(50センチ×65センチもある)をセットする。高校では、石膏像は木炭で描いていたが、ここの試験は鉛筆デッサンだ。このときのために奮発した、ステッドラーという高価なドイツ鉛筆を、4HからHB~4Bまでツンツンとんがりに削り上げ、開始に備える。

 「はじめっ!」

 試験官の合図で、いっせいに取りかかる。それ以降、聞こえるのはカリカリと鉛筆を画紙に走らせる音だけだ。いやが上にも、緊張感が増幅する。小さな鏡をのぞき込み、そこにある顔を巨大な画面にレイアウトしていく。構図取りは、最終的な出来映えを左右する重要な作業だ。自分の顔を描く、ということだけが条件であり、バストアップでもいいし、どアップでもロングでもいい。横顔でも真正面でも、アゴからのあおりでも、左45度の斜に構えてもかまわない。ただし、自分の技術と表現力を最も効果的に発揮できるようにしたい。オレは、どアップ&真正面という真っ向勝負で挑むことにした。なんたって、顔にも画力にも揺るぎない自信があるのだ。

 画紙の上端すれすれに脳天を、下端すれすれにアゴの先を入れた。極限の大きさだ。手を目一杯に動かさないと、顔全面に鉛筆が届かない。しかし、こうでこそ、画力は十全に伝えうる。真正面向きの肖像画というのは、難しいものなのだ。動感がなくて画面構成が単調になるし、奥行きも出にくい。あの美しい富士山も、真上からの俯瞰だと見栄えがしないのはわかるだろう。立体物には、最もそれらしく見えるポジションというものがあるのだ。しかし、オレは真正面というシンメトリックな構図が大好きなのだ。かっこいいポーズなど、関係ない。彫刻科のデッサンは、立体感と量感が命。鉛筆の芯が飛び、紙がボロボロにささくれるほどに描き込む。強く、濃く、深い線、その密集・・・完成した自画像は、遠目にはほとんど真っ黒だ。が、その黒の密度と、線の誘導とで、平面が奥行きをもって立ち上がってくる。正確な位置取りとか、気取ったアングルとか、小ざかしいやつらの作品を圧倒して、その存在感は際立つんである。

 さくっと合格した。

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