7:信槍―Admilty―

『なんだよ……なんだよ、そのスピードッ!!』


 脇腹を抑えるように傷を手で覆い隠しながら、ゴノギュラを操るカルパは叫ぶ。

 当然だ。完全に捉えたはずの攻撃を躱され、ましてや一発を喰らったのだ。一撃としては決して致命傷ではない。だが、二度もかつての舎弟に苦汁を舐めさせられたのだから、彼のプライドの傷は深くなる。


『ありえねぇ……森の中で見っけたボロパーツの寄せ集めだぞ……? ゴノギュラのような具体的なエネルギー源も解らねぇのにッ! そんなオンボロに、俺が、負けている……だと!!』

『ゼクタウトは、婆さんから譲り受けたこの国の希望なんだぜ? 外からやって来た牛野郎に負けるかっての!』


 地面に突き刺した左の刃を引き抜きながらも、タスクの啖呵は軽快に響く。それが国を代表する子供の言葉なのだから、国民は湧きに湧く。

 ゼクタウトは再び跳躍する。ニーロコの空を歩み、破壊者を翻弄するように。

 風となった魔人。その一方で、その後ろ姿を見つめる者が二人いた。態勢を整えなおした黒騎士と、戦意を喪失している修道女。


「ルナ。動けるか?」

「動くの……? もう、タスクだけでも、いいんじゃないかな……?」


 戦意を見せるラグナスに対し、ルナリアはあくまで消極的であった。

 元より戦闘意識が高くない少女にとって、少年が駆る魔人機の高速戦闘は圧倒的に見えたのだ。優位に立っていることもあり、これ以上の加勢の必要性に疑念を持つ。


「二対一で叩く。高速移動を得意とするゼクタウトに、ゴノギュラの攻撃を受け止められる俺なら、奴を仕留められる」

「……それって、あの人も殺す事になるの?」


 ルナリアの不安に、ラグナスの仮面の下の一つ目が閉じる。

 カルパに言い放たれた言葉は、理不尽でありルナリアだってそれは理解している。しかし、決して全てを無視できる事ではない。

 ましてや十三歳の少女に、死という物は刺激が強い。育て親の死を目の前で見てしまい、怒りに囚われた彼女はその感情のままに謎の巨人を殺した――もしかしたら、その正体は人間が操る魔人機だったかもしれないというのに。

 ゆえに、彼女は戦闘という行為に忌避感を抱く。


「怖いの……腕を振るうだけで簡単に傷つけてしまう、この手が。一歩を踏み出すだけで、大地を揺るがすこの足が。それを、自分の意志で操っている事が……怖い」

「…………」

「話し合いをすれば、解決すると思ってた……マークスさんとの戦いの時も、タスクと最初に戦った時も、それができるからって……」

『へぇ……んじゃ、ルナはあの時、加減してたってわけかッ?』


 少女の懺悔に応える声が機体の中で響く。

 それはこの国で出会った少年の声だ。この国のために、命を張っている戦士の声だ。

 彼の駆るゼクタウトは、自らの身から噴き出る熱を煙に変えて線を描いていた。そのせいか、軌道が読まれ、次なる一撃はまだ与えられていない。


『そりゃ、俺は弱いからさッ! ゼクタウトこいつの今を思えば、本調子でもなかった! だが、俺は本気で挑んだんだぜ!』


 急激な方向転換――無重力の中で右往左往する暴れ馬を操るタスクは、声を何度も切らしながらも、必死に言葉を繋げる。


「それは……」

『ルナは優しい! けどッ――グゥッ!?』


 ゼクタウトがゴノギュラの拳を受けて後退する。脚部のバネと、骨格の重力操作で反動を軽減し、粉塵を湧かせながらも虫の魔人は大地に立つ。

 少年の荒い息には汗が滲み、ルナリアは思わず声をかけようとするが、遮るようにタスクは叫ぶ。


『怖いんだろ! 誰かを傷つけるのが! 迷惑をかけることが!!』

「っ……そ、それは……」

『でも、全部が全部、上手くいくわけないだろッ!』


 熱は空気を揺らめかせ、ゼクタウトの姿を歪ませていた。

 一手が足りない。最初の一撃こそ与えられたが、カルパもまた盗賊の頭をやっていただけはある。人並み以上の腕前で、タスクの猛攻を受け切っていたのだ。


『ラグの兄貴が言わねぇから、俺がハッキリ言ってやる! 過ちを理由に、前に進むのをやめちゃダメだッ!!』


 空気が変わる。タスクの発破と共に、揺らめく瞳の赤は確実な輪郭を取り戻す。

 ジジジッと、球体の骨格に電流が迸った。無理矢理に繋げたであろうパーツも、熱で少しだけだが変形している。

 それでも、ニーロコを守護する事を命じられた魔人は、少年の叫びと共に駆けだす。


『背負ってるんだよッ。誰だって、過ちをしない人間なんていないんだッ!!』


 奇怪な鳴き声を放ちながら、ゼクタウトはその右手の刃を突きつけて宙を跳ぶ。


『失敗とか、後悔とか。頭が痛くなるほどしてきた! ゼクタウトの使い方を間違えて、家を踏みつぶしたりしたこともあるッ!』


 直線を突き進む一撃を、ゴノギュラは右手に持っている斧で迎撃しようとするが――瞬時に軌道を変えて、タスクは空へ上昇する。


『商売を台無しにしたりッ、騒音の問題を言われたことだって一度や二度じゃないッ! それ、でもッ――俺はッ!』


 追撃、ではない。

 反撃を避けたゼクタウトは、ゴノギュラの頭上を抜けて後方にて着地した。

 僅かに生まれた静寂の間を縫い、タスク・アクターはその信念を言葉にする。


『この願いは譲れないッ! たとえ自分が間違っていたとしても、俺だけが信じる! だから——過ちを正しさに変えて前に進むんだ!!』


 ゴノギュラを中心とし、虫の如き魔人と悪魔の如き魔人は相対する。

 六つの赤い瞳は、兜の奥の大きな一つ目を見ていた――少女の二つの眼を見つめていた。


『ルナ……お前は、どうする?』


 言葉が詰まる。少女はその問いに答えられる余裕を持たない。

 タスクの言葉には熱があり、それは一つの答えでもある。だがそれを受け入れる事は、生きるために目の前の人殺しを許容した過去の自分を認める事だ。

 そんな自分を信じられない。その間違いを正しかった、と言えやしない。


「私——は……」


 それでも、答えねばならない。答えなければ、一歩を踏み出せない。


『クソッタレが! なら、先にその悪魔野郎をぶっ潰してやるよ!』


 少女の葛藤をよそに、カルパの敵意の矛先がラグナスに向けられる。

 ドタドタと大地を揺らしながらも、牛男は斧を両手で握りしめて前進していく。

 ラグナスの後ろの民衆が騒めく。戦意を失った黒騎士は果たして本当にまた立ち上がってくれるのか、という疑念が緊迫感を生む。


「ルナさん……」


 マナナの嘆きは誰にも聞こえない。タスクは動かない。ただジッと、そのゴノギュラの行く末を見つめている。

 否、その先にいる少女を信じている。


「私、は——」

『死ねよォォォッ!!』


 その寸胴な身体と貧弱な脚では似合わない跳躍をする牛男。誰もが死を覚悟する。黒騎士の骸が転がる光景を想像する。

 空からくる圧迫感。数秒後にはくる衝撃に備えて民衆は目を閉じる。

 だからこそか——誰も彼女の罪に気づくことはない。


「私はッ!!」


 少女の怒声を受け、ラグナスはうな垂れた口角を吊り上げる。その叫びこそが答え。生存困窮の中で見出した、彼女自身の選択。

 刹那——立ち上がる。瞬発的な行動は宙に浮いたゴノギュラでは反応できない。加えて敵は少女たちに目掛けて跳んでくる。

 であれば、次の動きは単純だ。少女の澄んだ赤い瞳は真っ直ぐに敵を見つめ、そのイメージを行動に移す。


「進む——そのためにッ!」


 即ちそれは一心不乱な願いである。そのために必要なのは、目の前の障害を排除するための行動。少女が忌避していた誰かを傷つけるという選択。

 腰を捻り右腕を思い切り退く。割れた右手の剣は霧散し元の籠手に戻っている。

 左足が一歩、前へと進む。相手の間合いへ入るための大事な一歩。己という殻を破るための勇気ある一歩を。


「振り切って――ラグナスッ!!」


 大きく振りかぶった右腕は、籠手から湧き出た赤い光が軌跡を描いてゴノギュラの腹部へ叩き込まれる。

 騎士にあるまじき暴力。少女にあるまじき拳圧。しかしそれは、人間として必然の敵意への正当防衛でもある。


『ウッソだろォォォォッ!?』


 完全なる隙ゆえに勝機しか見出していなかったカルパは、その一撃により想定外の逆行を体験する。

 それと共に、ゴノギュラの巨大な鉄の斧が手からすっぽ抜けてニーロコの西側へ――国の外へと吹き飛んでいく。

 振り切り終えたラグナスは体重移動もあり次なる一歩、右足で大地を踏みしめる。土煙も木材の破片も浮き上がる。けれど、もう少女の心は揺れない。


「——心の内から認めたな。己が罪を。己が宿願を。そのためになら悪に墜ちても良いという覚悟を!」

「堕ちるつもりはないよ……けれど」


 凛とした口調にまだ弱さが残っている。迷いは決して晴れたわけではない。胸の奥の鼓動は止まらず、脳裏の少女の良心は痛みを訴えている。

 それでも——己が願いを理解したからこそ。彼女はかつての善意だけを認める修道女ではなく、悪意を打ち破る術を振るう人間として立つ。


「私達の邪魔をするなら……私達の命を脅かすものは許さない。私は、私の信念のためにこの力を使う。そのためにここまでの罪を、ここからの罪を受け止める……だからッ!」


 前へと進む。その一歩で誰かが泣いたとしても。それ以上に己が願いを叶えるために。

 そんなエゴイズムを認めたラグナスは、心からの笑みと感嘆をもって次なる言葉を告げた。


「よかろう。であれば、その信念こそお前の新たな武器となる」


 少女の怒りが剣を作り上げた。であればそれは、一陣の風の如く、何人にも歩みを阻害されない感情の鉾となるべきだ。

 右腕の割れた赤い剣は消え、代わりに新たな光を纏う。

 剣のように鋭利に。されど、槌の如き重厚に。それは光を内包する影。紅の怒りを決意の闇により抑え込む、感情の錬鉄。


「名を呼べ、ルナリア。これは何人をも寄せ付けぬ、外柔内剛の真槍……お前が選んだ、躊躇いを穿つ約定の証明だ!」


 ラグナスの発言により、その右手には新たな武器が生成された。

 槍であると語るように、それは騎士が馬上で扱う突撃槍の形状をしている。違うのは、やはりそれがラグナスの右手を隠すようになっている事。そして、その刃が心臓のように胎動していることだ。

 黒騎士に促され、少女は右手を前方へ――ゆっくりと立ち上がるゴノギュラに突きつけるように、人差し指をあげる。


とばりを……穿てッ――」


 少女の声に呼応して、黒騎士が担い手と同じように、その槍を牛男に向けて構える。

 黒い影で覆われた赤き光は、今か今かとそのエネルギーが脈動している。信念を内包する鋭利なる影。ルナリアとラグナスが振るうそれは、その名は――


旭光きょっこうのラーンソーッ!!」


 古代聖道語が示す『槍』の意味を込めた名前。そこに加わるは、夜の終わりを告げる一筋の閃光。光の源から出ずる闇を穿つ杭。

 黎明を内蔵する馬上槍――騎士が振るうべき大型の槍だ。

 ラグナスという魔人が悪魔であれば、それは三つ又の槍が相応しいのであろう。だが彼女の感情が生み出したそれは誠実なる騎士の得物であった。

 少女の意志が騎士に力を与える。少女の願いを悪魔が叶える。戦いの理由にそれ以上は必要ない。

 悠然と立つ姿を、朝日はいつしか悪魔を騎士に象っていた。

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