第43話 彼女に心からの償いを

〈ナジィカ視点〉 



 もうひとりの【僕】の記憶を知ったからといって、まともに走ったことすらない僕が、【僕】の知るナジィカと同じ動きが出来るわけがない。

 だから、本当に運が良かったとしか言いようがないよね。死ななかったのは。


 突然、落下中の空に引っ張りだされて、腕の中には大きな荷物があって、背中の羽根は熱くて、眼前に木々の緑が迫っている。

【僕】の言葉を借りるとすると、とんだ『むりげー』ってやつだと思う。


 上手く動かして羽ばたくことが出来ない背中の翼に舌打ちをして、それなら雛を包む卵のように丸くなれと命じてみた。

 赤と黒の羽根が交差して、僕と従者を包み込んだ。

 そのまま、くるくると何度か回転したような気がする。目が回らなかったのが不思議だ。


 バキバキと木々の枝が弾け飛ぶ音の後に、ズシンという音が続いた。

 音は大きいのに、衝撃はほとんど感じられなかった。


 シンとした静寂の中、二つの呼吸音を聞いた。胸の辺りに密着していたからか、従者の心音も聞こえた。

 ふいっと顔をあげる。

 暗くてよく見えないなと思ったら、真っ暗だった世界に光が差し込んだ。


 目を閉じる。

 サラサラと砂の流れるような音と一緒に、背中の熱が消えていった。


 森の中の草の地面に、僕と従者は転がっていた。

 正確には、僕が従者を下敷きにしていた。

 目が光になれると、従者が腕で目を隠して震えているのがわかった。泣いているのかな?

 どうやら命は助かったようだ。

 彼が怪我をしたのかどうかまでは知らないから、死の恐怖で泣いてるのか、どこかが痛くて泣いてるのか、理由は分からなかった。別に興味も無いけどね……。


 はぁ、現実は面倒臭い。僕は、眠っていたかったのに。メアリーの思い出と眠っていたかったのに、こんな面倒な場面に引っ張りだすなんて……。

 ねぇ、もうひとりの【僕】。そこにいるの?


 心の奥に語りかけても、反応は無い。

 嫌だ。ひょっとして、僕がまたナジィカとして生きなきゃいけないの?冗談じゃない。

 いっそ気絶したふりでもして、【僕】が起きるまで寝たふりをしておこうかな。


「ん……で」


 従者が何かを呟くように言った。

 聞こえなかったけど、興味もなかったから、このまま知らんぷりしていようか……。


「なんであんな無茶をしたんだ!」


 突然、上半身を起こした相手にびっくりして、思わず彼の顔を見上げてしまった。

 従者の胸の上に乗っていた僕は、背中を支えられて強制的に彼の膝の上に座る格好となった。

 

 間近にある従者の目から、ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が、僕の頬を濡らした。

 メアリー以外の誰かと、こんなに近い距離で目を合わせた事はない。

 父や、弟や、精霊との触れ合いは、僕ではなく【僕】の体験だから。


 メアリー以外の誰かの、心音や、体温や、息づかいを、こんなにハッキリと感じたことはない。

  

 涙で濡れた彼の目は赤い。

 僕の嫌いな炎の色をしている。

 反射的に目を反らした。


「死んでいたかもしれないのに、なんであんな無茶を」


 あれは僕じゃなくて、もう一人の【僕】がしたことだといっても、理解は出来ないだろうな。

 確かに……無茶をしたのは【僕】だけど、でも、助かったんだからいいじゃないか。

 それに、最初に走っている馬車の屋根によじ登ったのは、彼の方だ。


「君も、無茶してたと、思うけど」


「俺はいーんだよ!でも王子はだめだ!俺は王子……ナジィカさまの騎士だから、主を守って死ねるなら本望だ。それなのに、俺が守るべきナジィカさまが俺を助けるために、あんな、無茶をして……俺のせいでナジィカさまに何かあったら、死んじゃったら、俺はどーすればいーんだよ」


 死に直面した恐怖の前に混乱しているのか、彼の口調は年相応に子どもっぽかった。

 そういえば【僕】の記憶の中の彼も、主であるナジィカに対して馴れ馴れしい口調だったな。

 時に王である主の名を不敬にも呼び捨てて、バカ呼ばわりをした。そして、先に死なないと、そう言った。


『ふざけるなよバカ王が!俺はな、お前より先にくたばったりしねぇーんだよ』


 先に、死んだりしないと【僕】の記憶の中の彼は言った。

 ナジィカを守って、生きると、彼は言った。主が、幸せな生涯を終えたのを見届けてから、死ぬと、そう決めてあるのだと言った。

 

「死んじゃったら……守るなんて無理だ。自分の命を軽く扱う理由に、"僕のため"だなんて……僕を利用しないでよ。勝手に命をかけられても迷惑だ」


 気づいたら、そんな言葉が飛び出していた。僕らしからぬ言葉だ。

 僕は、誰かの不幸を願ったことはない。

 だけど、メアリー以外の誰かの幸せを、願ったことも無かった。

 彼女がいない世界では、いまはもう、誰かの命も自分の命にも興味がわかなくて、だからきっと、"命を軽く扱うな"なんて偉そうなことを、口にする資格は僕にはない。


 それなのに、何故かな。


「守りたいなら、生きてよ。生きて、最後まで側にいてよ」


 もうひとりの【僕】のせいだろうか。

 メアリー以外の誰かに、側に居てと願うなんて。そんな気持ちに一瞬でもなるなんて……ああ、嫌だな。僕はただ、眠っていたいだけなのに……。


「な、じぃか、さまっナジィカさまっ、俺が、絶対にお守りします。お側で、お守りしますから」


 ぎゅっと抱き締められた腕の中で、僕は途方にくれた。

 その忠誠はもうひとりの【僕】に捧げて欲しい。僕はだめだ、僕はだめだよ。

 なにも返せないもの。

【僕】の記憶の中のナジィカ以上に、僕の中は空っぽだ。

 あたたかな手はいらない。

 やさしい言葉も聞かせないで。

 まっすぐな眼差しも僕には向けないで。

 どんなに心を尽くされても、なにひとつ返すことが出来ないから。


 僕はメアリーのモノだ。

 僕は、彼女の最期の眼差しと、叫び声を夢の中で何度も繰り返し思い出す。

 それでも罪は消えないだろう。何万回心が死んだとしても、僕の罪は消えないだろう。

 だから僕は、その夢の中でずっと彼女と眠り続ける。


 メアリーを殺して生き延びた僕は、永遠に彼女だけのモノだ。


 だからね、僕は何も要らないんだ。

 なにも貰っちゃいけないんだ。

 君のあたたかな手はいらない。

 やさしい言葉も聞かせないで。

 まっすぐな眼差しも僕には向けないで。

 どんなに心を尽くされても、なにひとつ君には返せない。

 僕は永遠に彼女だけのモノだ。

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