第29話 後悔先に立たず
一日が長い。
窓辺に座って一日をぼんやり過ごす。
昨日も眠れなくて、一晩、ぼーっとベッドに座ってました。
動かなくても、疲れは少しずつ蓄積されていく。
メイドのてっぴちゃんに「顔色が悪いようですが、ちゃんと眠っていますか?」と言われる程度には酷い顔をしているらしぃ。
昨日、彼女の前で泣いちゃったからな……全力で誤魔化した(目にゴミが入っただけです!と言い訳した)けど、多分ごまかせてねぇーよなぁ、気恥ずかしい。
はぁ、と息を吐き出して、鉄格子の向こうの景色を見る。
「えんおう」
ひっそりと、音になるかならない程の声で、守護精霊を呼んだ。
ぎゅっと胸の奥を握り締められるような、そんな感覚にこれもダメか……と溜め息をついた。
もうひとりの俺は、意地でも赤い方の精霊を受け入れないつもりです。
ミソラも帰ってきません。
俺は今、ボッチだ。
もしかして、このまま孤独死したりして?
「そ、そんな悲しい死に方は嫌だっ」
いっそ逃げてしまおうかと、坂谷くんらしくないことを考えてしまう。
逃げたって問題は解決しないのにな。
そもそも衣食住をどーするって話ですよ。
食事が不要な炎……とか、ミソラとかと違って、俺は食べなきゃ死んでしまうんですよ。
だけど、後ろ楯もねぇ家もねぇ仕事もねぇ5歳が、お金を稼ぐ方法なんて思い付きもしません。ストリートチルドレンに転職したら、半日で浚われて奴隷商で売られて、変態おやぢの玩具にされそうだしな。
それに逃げたら、アルバートさんの息子のルフナードを助けられないじゃん。まぁ、このままぼーっと生活してても、助けられ無いだろうけど……ハードルが高いっ。
「疫病とか、どーやって防ぐんだっけ?」
えーと、確か歴史の授業で
俺が今から数年後に疫病が流行って人がたくさん死んじゃう……なんて言っても誰も信じないどころか、下手すりゃ俺のせいにされそうですね。
なにせ、この国に厄災をもたらす、呪われし子どもですから。
「未来を知ってるのに何も出来ないとか……凹むわ」
いや、もう、悪いことが起きたらどのみち俺のせいだって言うヤツもいるだろうし、いっそ王さまあたりに伝えてみるか?
ま、伝えようにも、会えないんだけどな。
こんこん、とドアがノックされて、メイドさんが入ってきた。
いつもよりちょっと早い夕ご飯だ。
朝ご飯を食べるのに時間がかかったせいか、あまりお腹は空いていない。でも、折角用意してくれたご飯だし、食べなきゃね。
「お……お食事をお持ち致しました」
少々早口でそう言って、テーブルに食器を置いたのは今日始めてみるメイドさんだ。
あれ?てっぴちゃんは午後からおやすみですか?まだ、昨日の泣いちゃった事件で気恥ずかしいので、安心したような、寂しいような、複雑な気持ちです。
「……失礼します」
ささっと足早に部屋を出ようとする彼女に「あの」と話し掛ける。
「は、はい……なんでしょうか」
ビクリと全身を震わせて、俯いたまま彼女が言った。
ただの5歳の子どもが、そんなに怖いのですか。ああ、ただのじゃなくて呪い子でした。
思わず苦笑が漏れる。
「ご飯、持ってきてくれてありがとう」
相手にどんな風に思われていたとしても、お礼は言うべきだよね。
「……ひぃっ」
例え、目の前で悲鳴を飲み込まれたとしても、お礼は言うべきでしたよね。
そ、そんなに怖がらなくてもいいじゃん。俺、何もしてな……くは、ないな。守護精霊が人を焼き殺したり、ドアを破壊したり、部屋を水浸しにしたり、いろいろやってんな。
「お、お許しくださいっ、し、仕方が無かったのです殺さないでっお願いしますお願いしますっ」
俺は悪魔かなにかですか?
怯えて支離滅裂なことを口走るメイドさんに、俺は軽く手を振った。
女性を怖がらせて楽しむ趣味はない。
「気にしてないから。もぅ、下がっていいよ」と伝えると、彼女は慌ててドアの向こうに逃げていった。おーい……お姉さん、鍵ちゃんと掛けた?
まぁ、廊下には見張りの兵士がいるだろーけど。
それにしても、普通のメイドさんだとあんなカンジなんですね。
改めて思う、てっぴちゃんの鉄面皮は最強だと。
毎日毎日、あんな風に怯えられたら、俺の精神もダメージ受けそうですよ。
「やっぱり、成るべくして、てっぴちゃんが俺のお世話係になったんだね」
椅子に腰掛け、いつもと代わり映えしない食事を前に手を合わす。
パンを千切ってスープをつけて、ぱくり。
「……ん?」
なんだろう。
いつもより、若干、苦い?
気のせいかな?と首を傾げる。
塩で味付けされたシンプルなスープなんだけど、ほんの少し、鍋を焦がしたような苦味が舌に残った。
子どもの舌って敏感なんだけど、未発達だから『苦味』とか『酸味』なんかは『おいしくない』って感じるらしいね。
コーヒーを飲めないのをおこちゃま舌、なんて言ったりね。因みに俺はコーヒーを飲めませんでした。
砂糖とミルクがたっぷり入っても無理です。
はぁ、只でさえ食欲がないのに……これを食べなきゃダメですか……ダメですよね。
折角、用意してくれたのだ。
それに、生きるためにも、食べなければ。
俺は頑張って、苦味と戦いました。
完食したころには、少し気分が悪くなっていた。
胃のあたりがずっしり重い。
運動不足なのに食べ過ぎでしょうか。
やっぱ、軽めの筋トレはするべきだ。
「と……とりあえず、休憩……」
よろよろとベッドに戻り、パタリと倒れこんだ。
僅かな振動で、胃の中を混ぜっ返したような気持ち悪さがせり上がる。
なんだろう……運命さんはガチで俺にゲロ王子の称号を与えたいんですかね?
それだけは絶対に阻止してみせる、と掌で口を押さえつけた。
あ。これ、激辛カレーを食べたときの、胃の中が焼けるようなカンジに、ちょっと似てる……なんて、随分と呑気な事を考えられたのは、ここまでだった。
こぽり……と、水の中の空気が漏れるような、音に続いて、吐き出したものがパタパタと落ちてベッドを汚した。
それから、胃から突き上げるような痛みに、声も出せず胸をかきむしる。
視界の先で広がる赤。
痛みに思考が塗りつぶされて、音にならない声で、助けを呼んだ。
え、ん。
炎、王。
濡れたベッドの上に、片手が投げ出された。
力なく、半開きになったそれも、真っ赤に染まっていた。
あ、これ、死んだわ……と、頭のすみっこで思った。
その間もずっと、俺は俺の精霊を呼んでいた。バカみたいに、繰り返し呼んでいた。
心の半分は彼を赦せないのに、もう半分が、どうしようもなく求めてしまうのだ。
側に、いて、と。
なぁ、ナジィカさん。
こんなときくらい、許してよ。
ひとりぼっちで死ぬなんて、ひとりで生きるのとおんなじくらい、悲しいよ……。
せめてさ、最期に、あいつに。
「まだ……あや、まって……ないのに」
赤く染まった掌を見つめながら、俺の意識は闇に落ちた。
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