第26話 バラバラな二つの心

 

 炎王が姿を消して、俺はただベッドの上で固まっていた。

 ミソラが床に落ちた毛布と枕を拾って、側に持ってきてくれたことにも気づかないでいた。

 どうしよう、どうしよう、とわけも分からぬまま思考が堂々巡りする。


『もぅ夜も更けた。我が君……』


 俺の身体を毛布でくるんで、そろりと髪を撫でるミソラの手を、頭を振って拒絶した。


「え……炎王がっ……俺……な、なん、て」


 なんて酷いことを……。



 俺は言ったのに。

 許せないのは俺の弱さであって、炎王じゃないって。

 憎んではいないと、そう言ったのは俺だ。

 手をとって、側にいて欲しいと願ったのは俺だ。

 それなのに、これじゃあまるで酷い裏切りじゃないか。


「ミ、ソラ……どうしよう、俺っ……え、炎王に」


 罪悪感に痛いくらい胸が鳴った。

 それでも、心の奥にいるもう一人の俺が囁くんだ。


 炎の精霊王だけはダメだ、と。

 愛さないで、愛したりしないで。

 僕の唯一を奪ったのに、僕の世界を粉々に壊したのに、どうして許せるの。



 どうして、と、もうひとつの心が俺を責める。

 愛さないで、と、もうひとりの俺が叫んでいる。


 メアリーがいない。何処にもいない。

 彼女だけで良かったのに。

 彼女だけを愛したのに。

 彼女だけが愛してくれたのに。

 だけどもう居ない。

 僕はひとりだ。永遠にひとりだ。


 違う、一人じゃない守護精霊がいる俺の大事な……。

 ……唯一のメアリーを殺した、炎の精霊王が。


 炎王は俺を助けるために……。

 ……でもそれは、神さまのシナリオでしかない。


 俺は許したい。あいつらと生きたい……。

 ……僕は眠りたい。メアリーがいない世界なんて堪えられない。



 メアリー。メアリー。メアリー。メアリーメアリーメアリー!

 なんでいないのどうしてそばにいてくれないのどうしておいていったのどうしてころそうとしたのいつからきらいだったのにくんでいたのなんでなんでなんでなんで俺をひとりにするんだよ側に居るって約束したじゃないか炎王っ……!



 制御できない感情の波が頭痛を引き起こした。

 必死にそれに堪えながら、無理矢理唇の端を持ち上げる。


 ああ、やばい。

 心がバラバラじゃないか。

 落ち着こうぜ、俺。

 一回深呼吸して、クールになろうぜ。

 俺なら根性で出来るだろ?


「は……はははっ、俺……って誰だよ」


 坂谷、くんだよ。

 坂谷一葉さかたにかずは

 高校一年生。

 ピチピチの15歳。

 男子高校生の坂谷一葉だろ?

 両親は俺に、坂の先の谷底に立つ一本の木の枝の最後の葉っぱになれるくらいの根性を持つ子に育って欲しくて、一葉と名付けたんだ。


 どこぞの電波塔のガラスの床の上で、タップダンスを踊るバカな友人がいて、軽口を叩いてジャレ合う友人がいる。

 隣の家の、脳ミソを腐らした幼馴染みは……大好きなカノジョだ。

 そして、そのカノジョの名前は―


「あ、は、ははは……やっべぇ」


 くしゃりと前髪を掻き上げて、思わず笑ってしまった。


 銀色の髪を撫でる、乳母の優しい掌を覚えている。

 俺を見つめる柔らかな眼差しも、脳裏に思い描くことが出来る。

 同じように、幼馴染みの姿も、思い出すことが出来た。

 だけど。


「のーたりんってアイツ等にからかわれても、反論出来ねぇーよ?」


 毛布の端をぎゅっと握りしめる。

 瞬きをすると、ぱたぱたと水滴が落ちていった。


『わかってないわね!友人の赤鷹の事は愛してるけど、その中にいる炎王の存在を忌避してるところがまたいいんじゃないの!あー……この焦れったい感じがサイコーにたまんないわ!』


 そんな、腐敗臭たっぷりな発言は、嫌でも思い出せるのにな。

 どうしてだろうね。

 家族の姿も友人や幼馴染みの顔もはっきりと形に出来るのに、名前だけが、思い出せない。

 ああ、ちゃんとわかってたのに。

 一葉は過去の俺で、今の俺の全てではない。ナジィカも俺であって、俺じゃない。

 炎王を憎む俺と、家族のように大切に思う俺。

 どちらも本当。どちらも俺の本当の気持ちだ。


 二つの真逆の心を持って、どうやって生きていけばいいのか、僕にはわからないよ、メアリー。

 どうすれば心に嘘をつかず、お前と一緒に生きられるのかな……なぁ、どーしたらいい、炎王。


 ああ、心が、バラバラだ。





 気づいたら朝だった。

 一睡もしないうちに、ベッドに座ったまま朝を迎えていた。

 側に寄り添うミソラが、心配そうな声音で俺を呼ぶ。


『大事ないかぇ、我が君よ』


「……ん、平気」


 喉が張り付いて、声が掠れた。

 目が痛くて全身がダルい。

 なのに、眠気はまったく感じなかった。

 鈍い頭痛が、いまだに続いていた。


 そろりと部屋の中に視線を巡らせて、目を閉じる。


「……炎王」


 そっと、守護精霊を呼んだ。

 凪いだ心の波が、ざわりと揺らめいた。

 怒りと憎しみと、罪悪感と信頼……いくつもの感情が静かにせめぎ合った。

 慌てて、心に無にするように努めてみた。

 ああ……これは困ったなと、天井を見上げながら途方に暮れた。


「ミソラ……アイツが何処にいるかわかる?」


『……さて、近くに気配は感じるが、我が君が望むなら連れ戻そうかの』


「いや、呼んでも来ないってことは、アイツじゃなくて俺に問題があるんだろーなぁ」


わっぱよりも今はそなたの事だ。我は我が君が心配でならぬよ?』


「俺はアイツの方が心配だよ。怒りにまかせて火炎放射連発して……って、炎関係も想像しちゃダメなのか」


 ナジィカさん……君は確か、大人しく寝てるはずでは?あー、ハイハイ、あっちの精霊王だけはダメなんですね、おちおち寝てられっか!と、そーゆーことなんですね。

 うん、うん。

 ええ、勿論わかりますとも、はい。

 俺は君で、君は僕だからね。ちゃんと分かってるよ。

 でもさだからこそ、君である俺の想いも、分かってはくれませんかね?


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