ガイストは殺せない
やせん
第1話
『機械に心は宿らない』、なんて書いた萎びた紙くずを踏みつけて、街灯の光をくぐり抜けた。小刻みに点滅する光で、踏み潰された缶が浮かび上がる。
冷たい風が路地を吹き抜けて、俺は反射的に体を丸めた。
この街の春はまだ寒い。人っ子一人いない今は尚更そうだろう。何かの汚れが染み付いたアスファルトを眺めながら、よろめくように車道から離れた。
誰も乗っていないように見える車が、俺の姿を一瞥して走り去っていく。一瞬遅れた風がついてきて、俺は少し早足になった。
ポケットの中で小銭が擦れて甲高い音を上げる。こんな時代になっても、人類は目に見えるものが好きらしい。電子金なんて突飛なもの、少なくともここじゃ通用しない。
照明の下の酒場はずいぶん長いことその役目を果たしていないようだ。傾いだ看板がかすかに揺らめく。鬼火のように連なる青白い照明が誘うままに歩を進める。
左のポケットを探る。潰れた箱の中に煙草が一本残っていた。今日の星占いは見ていないが、最低位よりは上だろう。ツイてる。そんな下らないことを考えている自分を少し惨めに思った。
口元を歪めてポケットのライターを取り出す。精巧に作られた俺の義肢が、街頭に照らされてほのかに光を放つ。
コートに埋めていた口元を上げて、煙草に火を点ける。紫煙は後ろに零れていく。赤く灯った先端に、よく分からない郷愁を覚えて、再びポケットに両手を突っ込んだ。
味なんて気にもならない。こんなものが何で生き残っているのか、理解も出来ない。それでも高名なる探偵の先輩方に敬意を評して、俺はこいつを咥え続けている。
案外そんなものかもしれない。
この街が未だにこんなままなのも。
革命なんて誰かが言い続けているのも。
街灯が途切れてどうやら目的地が近いようだと知った。
ちょっとばかり憂鬱な仕事だ。それでも俺はやめずにいる。変えようと思えばいつだって変えられるものを、そうやって変えずにいる俺達はもしかしたら
見えた。目の前に巨大な壁。大きな敷地を隠すようにそびえ立ったそれの上から、僅かに工場の屋根が覗く。
暗い壁の前で俺は足を止めた。紫煙をくゆらせている場合じゃないかもしれないが、最後の一本くらい楽しませてもらいたい。そのくらいの余裕がなくては、辛い仕事も乗り切れない。
胸ポケットの重みを確認しながら、煙草に添えた手を放してコートのファスナーを少しだけ下げた。
目の前の工場の壁に反射した自分の姿が暗く映っていた。乱れた髪の毛。何処かやる気のなさそうに垂れ下がった両目。それらとは不釣り合いな痩せこけた頬。
そして、全身を覆う黒いロングコート。
我ながらひどい格好だ。師匠が見たら呆れるだろう。そんなことを思って再び口元に手をやるが空を切る。
既に灰と化した煙草が足元で燻っていた。ぼんやりしていて楽しめなかったのは残念だが、仕方ない、仕事の時間だ。
わずかに残った煙草を吐き捨てて踏み潰すと一度目を瞑った。
重要なのは、意識を変えるということだ。コップに半分入った水を多いと思うか、少ないと思うか、なんて問いに答えはない。
それと同じことだ。静かに右腕を左腕の半ばに添えた。
存在を定義するは言葉。そして名前。
「目覚めよ、我が友フェルディナンド。力を……貸せ」
そして、認識は幽霊を精神にする。
『御意に、我が主よ』
穏やかに響くその声は俺のコートから。静かに震えたそれが、音を発しているのだ。同時にそれは絡みつくように俺の全身を覆う。あたかも筋肉を外側に纏い直したように。
跳躍。塀の中腹を蹴って更にもう一度。上に掛けられた有刺鉄線に右手を引っ掛ける。
金属が擦れる鈍い音が微かに鳴って、静寂がそれを打ち消した。一気に体を引き上げて空中に身を投げ出す。
眼下には黒い煌き。見回りの兵士の持つ自動小銃だ。兵士は壁に背を向けて工場側を見据えており、他の戦力は今のところ見当たらない。工場の入口付近に詰めているのだろう。
人間とまるで同じ容貌の、機械の兵士の背後に着地。気配を察知して振り向いた兵士が慌てて俺に銃を向ける。
が、遅い。左手で銃身を薙ぎ払うとそのまま懐に飛び込んで掌底を叩き込む。
彼らに痛みはなくても、一瞬で行動不能にしてしまえば問題はない。腹部に相当するパーツに大穴が空いて、火花が散る。電力の流れが断ち切られ、兵士が意識を失う。
機能は止めたと思うが、用心に越したことはない。すぐさまその場を離れるとそびえ立つ工場の壁にそって左側へ。
入り口の大仰な門が右手前方に見える。ちょうど工場の南側部分が終わって、壁が右方向に折れている。その縁から僅かに顔を出して、状況を確認。同じ装備の兵士が今度は三人。
こんなものが探偵の仕事かと問われると、俺としてもため息をつきたいところだが、時代が時代だ。革命なんてものが起きてしまった以上、誰もがそれとは無関係にはいられない。世界を変える勇気もない怠惰さの代償に、俺達はほんの少しだけタフであることを要求されているわけだ。
もっとも、革命がなければ自分は探偵になどならなかっただろうから、そういう意味では何も変わらないのかもしれない。俺は自嘲するように顔を歪めた。
「防御を頼む」
『了解した、主よ』
一言声をかけると、壁から飛び出す。コートによって強化された今の筋力なら五十メートル離れた工場の入口まで、およそ二秒。
駆け出した俺に気付いた手前の兵士が声を上げて引き金を引く。マズルフラッシュが夜を染めるが、銃弾は通路の上で弾けて暗闇に吞まれていく。
加速した俺が発砲より先に銃口を逸らしている。銃を持つ腕を左手で掴んだまま、右足を振り上げて機械兵の腹部に叩きつける。自動小銃ごと両腕がちぎれ、体は金属床でバウンドして動かなくなる。
再度の発火炎が闇を奔る。既に十メートルほどの距離に離れていた残りの二機が俺を狙っていた。隙を晒した俺に躱す余裕はない。
だが、銃弾はコートに食い込み、その表面で絡め取られて、地に落ちた。意識を持ったこのコートは、俺の強化外骨格であり、同時に防具でもある。ただの布に過ぎなくてもその機能を最大限引き出すことが出来るガイストが定着しているのなら、それは一般の尺度では語ることが出来ない。故に、死霊術師達は二重の意味で常識を壊す。
右腕を掲げてコートで覆えない顔を隠し、再び前へ。三歩で左側の兵士に肉薄。敵兵は咄嗟に後ろに飛びのくが、俺の跳び蹴りがその顔面を砕く。
更に右の胸ポケットにしまっていた自動拳銃を抜き払い、後方に向けて無造作に発射。たたらを踏んで横転する三機目。拳銃程度では、機械兵の装甲にあまり効果はないが、牽制くらいにはなる。起き上がった敵兵が下がりながら連射した銃弾を躱しながら俺も反撃。
兵士の右腕に俺が放った弾丸が命中し、僅かに敵が怯む。武器を狙ったのだが、この際気にしない。一気に全身。距離を詰められて不利だと判断したのか、銃を捨ててナイフを抜き放つ兵士。
そのままこちらに突っ込んできた兵士の一撃を体をひねって回避。よろめいたその側頭部に左のハイキックを叩き込む。とっさに右腕で受け止めたようだが、その腕ごと砕いて吹き飛ばした。三年前に義肢にしたこの左足のローンはまだ残っている。そのくらいで止められてはたまらない。
散らばった敵兵の残骸をよそに入り口を見つめる。まだ来ていないようだが、この物音ではいずれ増援が来る。見たところ警報が鳴らされた様子はないが、どちらにしても連絡がつかなくてはそのうちに気付かれるだろう。とはいえ、焦って一気に侵入するのも愚の骨頂。敵戦力は可能な限り分断して排除するのが鉄則だと、大戦期、上官が呆れた顔でぼやいていたのを思い出す。
見据えた先、工場の中はまだ静まり返っている。俺は転がっている機械兵を引きずって、入り口からは見えない所に動かしていく。死霊術によってガイストを定着されたとしても、その意識は存在被拘束性の原理に従う。人間と同じで体が破壊されれば、その意識も保たれることはない。
俺が蹴り抜いた機械兵の右手からは火花が散り、瞳から光は消えていた。壊れたその目に映るのは自分の右手。それは彼らとまるで変わらない、鋼鉄で出来た機械の腕だ。
引きずってきた兵士を元来た暗闇に寝かせる。他二人は攻撃の反動で吹き飛んですぐに見つかる位置にはない。
再び辺りを見回すが周囲は静けさに覆われて敵兵の姿もない。小さくため息を付いて、入口に向かう。
この規模の工場なら、五十人警備がいればきっとマシな方だ。練度も高くはないし、機体がネットワークで管理されているわけでもない。大方ガイスト達が前線での開発、研究に使うための即席の拠点というところだろう。兵士もそのへんから駆り出してきたか、あるいは、新しく定着させた連中なのか、いずれにせよ、各個撃破で突破できる可能性は十分ありそうだ。
依頼主が求めているデータが何処に有るかは知らないが、中で一人捕まえて尋問してみればいいだろう。ここにいた連中を一人くらい話せる程度に残しておけばよかったが、今更気づいても遅い。少しの希望を込めて、吹き飛ばしてしまった兵士たちの方に歩み寄る。
その刹那、甲高い警告音が鳴る。同時、工場内部が一気に騒がしくなった。
気付かれたか。
だが、どうやって。
まさか取り逃がした奴がいたとでも。状況を把握しようと思考が加速するが、今は原因よりも対策を検討するほうが先だろう。
工場入口の金属床が月光を反射している。ひとまずその場を離れようとして立ち止まる。
この期に及んで不意打ちをしても、削り取れるのは二三人程度。それよりはここに兵が集まる前に侵入して撃破したほうがリスクとしては低いかもしれない。進まなくてはいけないのは明白である以上、待ちの策は最善ではない。
工場入口を覗きこむ。まだこちらに誰かが来ているわけではない。照明に照らされた無機質な通路が真っすぐ伸びている。
「……行こうか」
自然と言葉が零れた。
『御意』
俺の独り言を拾い上げて、コートに宿ったガイストが静かに震える。入口の前でもう一度内部を確認して、ポケットにしまった拳銃をもう一度右手に。生身ならきっと掌に汗が滲んでいるだろう。義体に変えたばかりの頃はそんな幻の感覚を思い出したこともあった。
ゆっくりと内部に侵入する。前方十数メートルほど行ったところで、通路は右側へ直角に曲がっている。工場と聞いたが、どちらかと言うと研究所というイメージに近い。
遠くで足音が反響している。どこからか兵士が集まってきているようだが、それにしてはこちらがまだ発見されていないというのは妙だ。挟撃用に別の通路でもあるのかと思ったが、数で勝る敵が搦め手に走るのは妙だ。
曲がり角の手前で一応次の通路を壁越しに確認するが、誰もいない。五メートルほど先で今度は左に折れる通路。思い切ってそのまま飛び込んだがこちらも人影は見当たらない。
通路はそのまま直進して、十メートルほど先で十字路になっている。直進した先には、扉が備え付けられている。どうやら、思った以上に複雑な作りになっているようだ。
踏みだそうとして、足音が近付いてくるのに気がつく。右前方、十字路をやってくる複数人の足音。
一歩引いて通路の影に隠れる。銃撃戦は俺の腕じゃ分が悪い。とは言え、さすがにこんな通路では接近する前に蜂の巣だ。
鈍く光る手元の拳銃を眺めて息を整える。大きく反響する足音が遠くで聞こえる雄叫びをかき消していく。
ゆっくりと壁の向こう側を窺う。誰もいない。いや、飛び込んでくる灰色の制服。先ほどと同じ警備兵達だろう。武器に差がなさそうなのは好材料か。もう一度身を隠しながら、敵の動きを待つ。
だが、敵は曲がり角で立ち止まることなく、そのまま進んでいく。足音が徐々に遠くなって、そのことに気付く。
角から顔だけを出して状況を確認。どうやらあの兵士が向かっていった、工場の西側で戦闘が起こっているようだ。つまり、偶然にも俺と同じタイミングでここに敵が現れたということでいいのだろうか。
どうにも嫌な予感がするが、それ以外にはないだろう。それ以上に厄介な状況など考えたくもない。大企業から極秘に頼まれる依頼なんてのは、どうせ碌なものでは無いのだろうと思っていたが、予想は的中だ。大方データを狙って、別の企業も俺のようなフリーランスの荒事屋を雇ったのだろう。
それならば、敵の注意を引いておいてもらうことにして、こちらはさっさと仕事を終えてしまおう。先程上から見た限りでは、このまま直進した先が工場の一番奥ということになる。鈍く輝いている床は十字路の先でもう一度曲がっていて、その先は見えない。
足音を立てぬよう慎重に歩を進める。銃声と、小さな振動が施設を揺るがす。なかなか派手なことをする奴だ。出来れば遭遇しないで帰りたい。
そんな俺の期待は裏切られ、かなりの勢いでもう一人の侵入者はこちらに近づいてきているようだった。激しい銃声に混じって、話し声も僅かに伝わってくる。
「ありゃ、こんな数いるなんて聞いてないなー。これじゃ狭くて通れないってね」
俺は大きくため息を付くと、元来た道に戻り、銃声の方角へ向かう。聞き慣れたその声は、言葉とは裏腹に余裕を感じさせるものだった。降り続く雨のように、銃弾が金属を叩く音が鳴っている。
曲がり角を左に進み、少し開けた場所に出る。通路と通路をつないでいる小部屋のようだ。
俺のちょうど向かい側、上に続く階段の真横で、機械兵たちが包囲網を形成している。猛然と走る俺に気づくものはいない。
悪い予感は当たったようだ。予想していたのとは、別の意味で。
兵達の頭の隙間から見えたのは、たなびく黒いポニーテールと派手な色のシャツ。嵐のような銃弾の中でもそいつの表情は飄々としていて、相変わらず何を考えているか少しも読めなかった。
俺は包囲網を作る敵兵の背後に一気に接近すると、思い切り回し蹴りを叩き込んだ。不意打ちに弾け飛ぶ敵兵が右にいた敵二人を巻き込んでそのまま倒れていく。
「お前、アルフォンス! こんな所で何してるんだ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます